2011年9月7日水曜日

齋藤孝 (明治大学文学部教授)    ・伝統に学び今に活かす 2

齋藤孝 (明治大学文学部教授) 伝統に学び今に活かす 2
身体文化 小さいころから相撲に親しんできた  足腰が重要だと思った 
今は相撲を子供が取らない
しこを踏むと支えられてる足が鍛えられて足腰が強くなる 股関節も柔らかくなる   
 しこを踏むことをずっと続けていると気力が充実してくる・・・「腰腹文化」と名づける
日本の伝統文化で足腰を重要視しないものはない 身体文化が薄らいできてしまった 
身体からの教育を改めて根付かせたかった
日本人は腰と腹 特に臍の下の鍛練と云うところを自分たちの心の中心、身体の中心だと思って
大事にしてきたんですね

其の臍下鍛練という言葉すら使われ無くなってしまった 
日本の身体文化が押し流されてしまった 
不安感を感じて身体からの教育というものを日本にもう一度根付かせたい
呼吸法を研究した 20年~30年研究した 鼻から吸って緩く長く吐く 
(臍の下に手を当てて 口をすぼめて口から吐いてゆく)・・・落ち着く呼吸法(集中とリラックス)
弾む呼吸・・・ 軽く膝の屈伸を使って上下にゆすって息がはっ、はっとなる 息がはずんでくる 
淀んでいた胸の空気が吐き出され入れ替わる 身体全体がほぐれる
小学校の3年生の身体が良いと思っている  
弾む身体を多少取入れると心も体も柔らかくなってゆく

笑える身体 身体がほぐれている 弾む呼吸で大事なのは肩甲骨の周り 肩甲骨をまわして
やって廻りの筋肉をかたまっちゃうのを防ぐ→機嫌が良くなる
上機嫌の作法 (出版した) 上機嫌は気分ではなく日本では一つの作法になっていた 
例えば日本人は意味もなく微笑む 明治時代には外国人には異様に映ったらしい
身内の者が亡くなった時に人に話す時に微笑みながら話す人がいるとそれには感情に問題がある
のではないかと欧米人は見たんですね
小泉八雲はそれはむしろ気使いなんだと 自分の悲しみで相手が嫌な気持ちにさせないように
ちょっと微笑みながら話す(悲しみを伝染させないように)
40,50代以降の男性は普通にしていても不機嫌に見える
 
プライド、自尊心というものが出来すぎるとか、年年反応するのがめんどくさくなるとか 
軽々しく反応出来なくなってくる
そこをほぐした方がうまく行く いま不機嫌なお父さんというのはプラスに働かない
(男が威厳を持つと言うような時代ではない) 軽やかさ、にこやかさをむしろ獲得してゆくことが大切
自分の人生も軽やかに明るくなる そのきっかけというのが身体から入るのが一番いい 
スキップする70代以上の人はいないのでは 子供時代はした
スキップしながら不機嫌を続けえることは難しい 
温泉に行って温まって不機嫌でいることは難しい 

自分で気付かないが、自分の気分とか心の多くが身体の影響を受けている→ 
ちょっと弾む呼吸をするといい
心と体と精神の3つが合わさって人間を作っているのではないかと思っている  
精神と身体の部分の両方が弱くなって来てしまっているのが日本人の心を弱くして仕舞っている
鍛錬呼吸法 ドイツのディルクハイム哲学者が戦前の日本を見て日本人は腹というものを大事にしている 
昔は精神の整え方をうまくつかんでいたのではないか 
日本にはいろいろな体操がある 野口体操 とか10種類以上ある 
身体の事が大好きでこれからの日本を見た時に心が崩れていくだろうとそのために身体から
立て直そうとそういう教育を何としても根付かせたいと思って身体を基盤
にした教育の研究をすると言う事で大学院から教育の方に行った 

10年以上いろいろな分野の先生に師事したりしてシンプルな方法を編み出して行った
肩甲骨を回すのがいいとか、声に出して読むと言うやり方で日本人の身体と精神と云うのを
建てなおすのがいいかなとかアレンジしたのが自分の仕事かなと思った
宮澤賢治はアイデアが生まれると手帖を持っていて首からペンシルを吊り下げておいて書きつけた 
詩を外で作る場合が多く歩いていて身体の運動と詩を作ることを一体化していた
いい着想アイディアが生まれた時にホホーッと云って飛び上がり一回転したと云われている 
喜びが充ち溢れると身体が自然と動いたのではなかろうか・・・子供のような身体
身体を反応出来る様な身体にする コミュニケーションも身体から考えてゆく 
目を軽く見る 微笑む 頷く 相槌を打つ 4つ一遍に出来るようにする・・・動ける身体 
昔はTVを見ながら相槌を打っていたのを見かけるが、今は人と話していても相槌を打たない、
微笑まない、頷かない、目を見ない事が多くなってきている

江戸、幕末、明治時代を訪れた外国人はなんでこんなに機嫌が良いんだろうと不思議に思っている 
情緒が安定している 礼儀正しいけれどもほぐれている
昭和30から40年代は人と人との距離感が近かったような気がする 
全体があったかいと云うか 最近は職場でも会話も減って来ている
雑談で笑いが起きる職場は巧く行っていたらしい 
効率が良い様でいながら実はメールでしか会話しないと云うのは人間関係上効率は良くない
信頼関係というのは何気なく雑談し笑い合うと云うところから生まれる 
あったまった会話、身体が必要・・・「対人体温」という言葉を考えた
昭和30年代に比べて対人体温が低くなった 係わりたくないと云う人が多くなっている 
距離の近さが煩わしいと思うようになってきているようだ 
身体でコミュニケーションするのが苦手になって来ている
 
アジアを旅行した時にあっ昔の日本だと思う時がある 家族が大人数で皆が一緒にいるとか 
アジアの空気と云うものがある 個人の弱さでもある 個が強くなくて
みんなで何となく空気を感じ取って体がふれあうような感じで仕事をしたり、生活をしたりしている  
精神の安定には良いんじゃないかと ばらばらになると
人間て、結構心がつらいと思う  
ナデシコジャパンの戦い方を見ているとチームとしての一体感が他の国よりも物凄く強かった為に
あのような優勝が出来たと思う
心の要素でいくと自分がレギュラーから降ろされてもちゃんと応援する 
途中交代しても一生懸命に応援する  
日本人では当たり前だが、ドイツのフランクフルトの地元紙はそれを褒めている  
なんでかと云うとドイツのキャプテンのエースは途中で降ろされた後にキャプテンマークを
たたきつけちゃったらしい 

監督とそのキャプテンが不仲になって日本戦前から精神的に疲れていたらしい 
それではなかなか戦えない
日本人は体格的に小さいので素早くパスを回して接触を避けるという戦法しかなかった 
システムを身体で身に着けていた  
日本の良さを生かして企業も戦い教育にしてもチームで戦うと云うのもおもしろいと思う 
個人としては乗りの悪い学生もチームになると面白さが判ってくれる 
チームでやることに慣れている国民 それが昭和に比べ段々にが手になってきちゃっている
日本人の和の精神をアクティブにしてやる(拍手、ハイタッチ 笑い)→会議でのアイディアが多く出るよう
になった 温かみが出てくる
 
心以上に日本人の身体は変わったと思う 
表で遊ぶ子供が減って来て運動能力自体が落ちてきた 
1970年代が頂点腰、腹がしっかりした身体では無くなった
 腰、腹を中心にした身体感覚が消えたと云う事なのでこれは歴史的に見ると大変なこと
心のあり方にも影響があるかも知れない 帯をしなくなったのは影響が大きいと思う 
きゅっと帯を締める事によって腰と腹の一体感が感じられる
腰を一つのものとして安定させるものとして帯にはあるので 帯感覚というのは簡略に復活
できないものかと思った・・・現在考え中
臍の下で帯を締める  日本人の精神性というものは腰とか腹とセットでずっと維持されてきたので
、この財産を何となく失ってしまうのは勿体ないと思う 
能でも歌舞伎でも狂言でもやっている事は様々ですけれども腰という事に関しては全部共通のもの
がある

練られた腰腹文化が感じられる 腰腹文化が出来てないと役者としてしまりが無くなる 
能になるとますます静かであるから腰というものが存在感に繋がってくる
磨り足を学生とやったことが有って磨り足をやるとスーット意識が遠くに放たれるような感じがする 
気持ちが落ち着いてくるし地平線の彼方を見ている様な感じになる
こういうのが悟りに近いのかなという風にも感じられる 
大震災があって日本人の方向性が変わったと思う  
大量の物を消費してゆくより江戸時代のようなリサイクル文化
江戸時代のような落ち着いた循環した暮らしというよなものが一部入って来て、もう一つは
ハイテクの進んだ日本との同居ですね そのバランスで生きてゆくんじゃないか
江戸時代の良さが見なおされてあの省エネぶりは凄い 

落語の世界にあるようなああいう情愛もいいのではないか 
江戸時代の良さを明治時代以降、国家が継承しようとしてこなかった 
今だからこそ落ち着いて取り出せる 
帯感覚を復活させる 下駄を履く 下駄というのは親指と他の4本で挟むようにする 
これは身体が締まる  下駄をはく事が身体のトレーニングになっていた
健康というものが一つのおおきなテーマになって来ている 
良く歩くようにするとか足腰を鍛えるとか しこを踏むとかすることが健康に直結してくる
江戸時代の身体は凄い身体 間宮林蔵 江戸から青森まで4日?で歩いたと言われる
 ※実際は青森三厩まで20日らしい(30から50km/日歩いたようです)
 伊勢参りでもみんな歩いて行っている 
身体を柔らかくすることはいつも意識して行い 呼吸法も合わせて行いと良い