2011年9月3日土曜日

中村哲(医師64歳)        ・ ヒンズースクに魅せられて

中村哲(医師64歳)  ヒンズースクに魅せられて
<概略>
PMS 平和医療団院長 医療NGOぺシャワール会現地代表
中村 哲(なかむら てつ、1946年9月15日 - )は、福岡県福岡市出身の日本の医師
1984年、パキスタン北西辺境州の州都ペシャワールに赴任。以来、20年以上にわたって
ハンセン病を中心とする医療活動に従事
パキスタン・アフガニスタン地域で長く活動   少しでも清潔な水、食べ物を与えられる
ように用水路を拓き 畑を作る
アフガニスタン 緯度は日本と同じなので今は真夏 熱いところでは50度を超える 
1978年 32歳の時にヒンズースク山脈最高峰ピルチミール山岳(7700m)遠征隊に参加 
パキスタンとアフガニスタンにまたがっている山 (ヒマラヤ山脈の西側)
虫の観察、採集が目的 医者を連れていくと云う規定があり 私も参加する 
 日本の隊員は8名 私は第二キャンプまでしか行って無い(6000m)
1984年 38歳のときにパキスタン北西辺境ペシャワールに赴任する  
以来今日まで27年間になる

(ペシャワール:パキスタンのカイバル・パクトゥンクワ州の州都である。また、連邦直轄部族地域
(トライバルエリア、FATA)の行政上の中心地である。人口122万人(2007年現在)。
ハンセン病のコントロールに従事 我々が問題にすると問題になり、我々が問題にしないと
問題にならない 
金が投入されると一旦マーケットが成立するが、補給が途絶え、話題が途絶えてくると 
又元に戻ってしまう (普通現地で起きてしまう事)
2000年からアフガニスタンを大旱魃が襲う 

農地が砂漠化して多くの難民が生まれる これを機に医療活動が変わる
いろいろな問題を抱えながらも、それまでは医療活動を続けてきた 
そのスタイルでの医療活動が出来なくなった
旱魃になる、飲み水がない、汚い水を飲む、村中が飢える→栄養失調、病気が起こり
易いのは当然のこと
我々が出来ることは、キズを縫ったり、診断をして薬をやったりする ・・・
悪いとは言わないが如何にも空しい 直しても又病気になるような環境に戻る
それよりも清潔な水を与え、食べ物を十分与える様にしてやれば、病気の殆どとは云わない
までも9割以上は医者は不要だと思いました

「100か所の診療所よりも1本の用水路を」というスローガンを掲げやってきた
パキスタンもひどいがアフガニスタンに比べればまだましな方である
旱魃は降ってわいたようなものでなくて、何十年も前からすこしずつ悪くなってきていた
 2000年になって今まで見えなかったものが突然見えてきた
何かというと地球の温暖化 これによって今までアフガニスタンを潤おしていた農業用水、
すなわち川の水 川の大元というのはヒンズークス山脈の白い山の雪だった
それが夏に溶けてきて川沿いに豊かな実りを約束してくれていた
 「アフガニスタンでは金が無くても喰ってゆけるが、雪が無いと喰ってゆけない」 諺がある

雪の絶対量も減ってきたがそれ以上に大きかったのは雪の溶け方が変わってきた→
今まで夏まで残っていた雪が気温が高くなってくるために突然春先に洪水を起こす
一気に溶ける 洪水と干ばつが同居する様な環境が出来てしまった  
おそらくヒマラヤ山系全体に起きてしまっている事だと思う
35年前に雪線が3300mであったが、今は4200mに行っても雪がない状態→
30数年の間に自然に大きな変動が生じてしまった 
2001年9月11日 同時多発テロの報復としてアフガニスタンに対して攻撃を始める 
診療所がなくなってしまう それまでは平和な土地であったのが戦場と化してしまった
本拠地のペシャワールが市街戦となる 引き上げざるを得なくなる
 診療所は11か所あった カブールに5か所あったが空爆で半年で無医療地区になって
しまった

今は1か所だけ細々とやっているが、米軍が入って来てきな臭い状態になって来てる
2003年から始めた用水路、マルワリード用水路25.5kmが去年完成した 
水を送れる面積は3600ヘクタール (畑が蘇れば最低15万人が生活できる)
元は600ヘクタールがかろうじて有ったが、それ以外は荒れ地であった 
マルワリード用水路建設に当たって気にしていたのはメンテナンスです 
私が決意を堅くしていくら長くいたと云っても外国人なのでいつかは帰らざるを得ない
日がくるかも知れない
用水路は延々と引き継いでいかねばならない 
何らかの形で維持、補修をしなくてはいけない (この先何十年地元の人による手に
よって維持、補修をせざるを得ない)
手作業で現地の人でもできる用水路の構造を目指した 
 
沢山のお金をかけるのでは無く 手、しゃべる、つるはし この程度の道具でできるもの
地元、筑豊川を見て工事の状況が多いに参考になった(江戸時代の工事)
じゃかご・・・鉄線に負けない竹のかご これに石を詰めて並べて行って堤にする 
日本の治水工事は当時おそらく世界最高水準に有った
クナール川から水をひく クナール川はヒンズースク山脈に水源がある 
村の人たちの協力が有って、政治的な事、労働力、等 工事を進めることが出来た 
こちらとしては半分教育の場であると考えていた 若い人を鍛える 
日本人のワーカーが協力してくれる つるはしを持った事がなくても何とか溶け込もうと努力した

資金面の援助が福岡に本部を置くペシャワール会 
治安が悪くなるが動かずに生活している その人達が飢えているのに 日本側の都合で
以って
事業を停止することはできない
これが普通の事業体のあり方であると思う 
2008年にカマという処の2つの取水堰の工事にも着工する 
ここも砂漠化の一歩手前だった 前述のように年年川の水が取り込みにくくなっている
洪水が起きてくると同時に水が減って来て取り込みにくい 
最も人口の多いところで30万人 半分以上が難民化してパキスタンに行っている

農業が減って来て廃村が広がりつつある 一時的な工事をする→本格的な工事を
進めつつある
7000ヘクタール 30万人の人が生活できる 難民が帰って来ている状態 
ベスードも工事を開始している モスク、 学校を建てたりしている 
ガンベリ沙漠に試験農場を作り始める  自立定着村を新しく作ろうとしている
医者だからかもしれないが、こっちで助ける方法があるのに目の前で困っている人を
ほったらかすと云うのはできないじゃないですか
地元の人たちとの信頼関係 人は信じられると嬉しいもので自分もその気になる
 
ソ連の時代から居て戦闘の場面を何べんも遭遇したけれど、その時に危ないと自分が
弾よけになって庇ってくれるような人が今、日本にいるかとそのことと深い関係がある
自分の気持ちが快適な間はいいよ、自分の気持ちが満足すれば協力しようと云う人は
沢山居るでしょうけれども、この人を守るためには信義を尽くす 
そういう気持ちが日本人の間に薄くなってきたんじゃないんですかね   
信じないと他に頼るものが何にもないんです お金に信頼を置く事は出来ない
利害関係でよってきた人は利害関係で去ってゆく 

損得を抜きにして自分の為この仲間という人間の為に尽くしてくれる 
日本人の中にはあれほどの人はいないと思う
30年ぐらい日本を離れ、あたりを見回すと随分昔の日本と変わっているというのは
そのあたりなのではないでしょうか
実体のない言葉が増えすぎている感じがする 
アフガニスタンにソ連が侵攻して、撤退した 内戦が終わってタリバン政権の時代があった 
アメリカ軍の攻撃が始まる パキスタンでも政変があったり、テロがあったりした

今年5月アメリカ軍によるウサーマ・ビン・ラディン殺害 
一連の30年間のパキスタン、アフガニスタンの経験を肌で感じてきた
国際社会に本当の事というのは伝わりにくいものだなと思う
 現地が本当に困っている時に救いの手が来ない
 もう来ないでくれという時にわざわざ居る
結局もたらされたのは破壊だけだった という実態を見てみると 結局自分たちの
後始末は自分たちでしなくてはいけないと云う事情はすこしも変わっていない 
私達は世界情勢を話したり、政治情勢を話したりしましけれども、基になるニュースのネタが
そのものに問題が有ったんじゃないか

もしそのように温かい関心を他の地域に向けてくれるならば、そのことが尊いならば
本当にその地域の人に立った言葉なり、行動なりがほしかったなあという気がする
日本人も終戦の度には思いだすでしょうけれども、いつの間にか爆弾を落とす方の立場
でしかものを見なくなったという感じがする
農民の願いとは→ご飯が三度三度食べられること 古里で住める事 
我々が10年の、20年の、30年のというが自然に比べればほんの一瞬 
人類そのものが何万年か前に出てきて何万年か後には居なくなる
そんな短い期間でそんな狭いところでごちゃごちゃ争う事も無かろうがと思う