2011年9月4日日曜日

草刈正雄(俳優)         ・二枚目と言われるのが嫌だった

草刈正雄(俳優) 二枚目と言われるのが嫌だった  
大河ドラマは1年やっていて家族のような付き合いになる
俳優同士は中々アドバイスはできない
昭和27年生まれ 福岡県北九州市出身 59歳 
デビューは昭和45年 化粧品会社のコマーシャルで注目される
昭和49年卑弥呼 で俳優としてデビュー   
コメディー基本的に大好き (こういう面もあるよと見てほしかった)
モデルとしてはあまり動く事が出来ずに余り好きになれなかった 
化粧品のコマーシャルで芝居がかった内容でこれにはマッチングした
大きな交通事故を起こして仕事を停止していて見舞いに通った→仕事は駄目になるだろうなと思った
帰るつもりで(母親もこちらに来ていた)居たら、新聞に美談として掲載され、その記事を篠田正浩監督が見て、使ってもらえる事になる
篠田監督は卑弥呼の義理の弟役を探していた 
CMからいきなり大抜擢され、台詞が難しくよく怒られた 
ここで頑張らないといけないと必死に対応した
時代劇 沖田総司役をやる 
時代劇風の顔ではないので当人としては不安だった でも違和感がなかった 身長が高いのが結構大変だった (所作、撮り方)  
演技に関しては本当に不安だった(ポッと出だったから)

高校は定時制に行っていた 昼間働いていた 
4時間授業が終わってから野球の練習をする 
当時16歳で 練習後にスナックにバイトをしていた
終わるのが5時 そういう生活をしていた 
ある時にマスターがルックス、見てくれがいいから、モデルの方が稼げるんじゃないかと言われる
東京に送り出してくれたのがそのマスターのお陰
最初博多のモデル 女は食っていけるけれども、男はちょっと大変だよと言われる 
→東京の事務所を紹介してもらう事になる
当時昼の仕事が1万9000円だった モデルになったら5万円くれると云う これは凄かった
角川映画にも多数出演 「復活の日」 1年近い撮影 
南極に一部いて後は細菌で人類が死んでしまうという話
半分以上がロケーション  主役が外人顔が欲しかった 角川氏の弁 
国際的な映画にしたかったとのことだが、映画を見てみると完全な日本人顔だった 外国の人は気が入って来てから「スタート」となるが 日本は「スタート」の声が掛り よしやろうと気を引き締める 出来上がった映画を見ると外人の方が自然・・・ショックだった  
オリビア・ハッセー とのラブシーンは50回ぐらいやって何とかOKとなる 
(あこがれの人だった  上がってしまって駄目))
アンデスで私が乗っていたヘリが墜落してしまった 
3機で行く 景色を見てあっちに行こうと搭乗者が指示、しぶしぶパイロットが従うが天候が急変し落下する
たまたま山の近くであったので大事には至らなかった