吉田良一郎(津軽三味線奏者) ・〔にっぽんの音〕 能楽師狂言方 大藏基誠
吉田兄弟、デビュー25周年。 全国ツアーを行っています。 生の音色を改めて聞いて貰おうとしています。 和楽器ならではの音の揺れ、響き、濁りと言うか、その音を体感してもらいたいと思っています。 客席は最高で500人ぐらいです。 残りが40公演ぐらいあります。
1977年北海道登別市出身。 5歳から三味線を習い始め、12歳の時に津軽三味線に出会う。 10代で津軽三味線の大会で賞を受賞するなど頭角を現し、1999年に弟の健一さんと兄弟でメジャーデビュー。 2003年に全米デビュー、以降世界各国での活動、様々なアーティストとのコラボレーションを通して津軽三味線の世界に革新を起こし続けています。 2008年からは吉田良一郎個人としてのプロジェクトとして、学校公演を中心とする邦楽ユニット「わさび」の活動を通して子供たちに伝統音楽の伝えています。
きっかけは父の勧めで5歳の時に三味線を始めました。 父が津軽三味線の演奏を聴いて凄く感動して、プロになりたかったらしいが、親から反対されたそうです。 民謡三味線から始めました。 津軽三味線のバチを叩く方法は独特です。 津軽平野の風、吹雪と言う音に勝つために、派手に演奏してもらうと言うところから生まれた奏法だと思います。 世界中で弦楽器で叩く、リズムを刻むものはないと思います。
最初に父が洗面器、スコップの柄などを利用して手作りの三味線を作ってくれました。 近所に先生がいて通うようになりました。 小学校2,3年生の時に三味線を習っていると言ったら、「なんて爺臭いことをやっているのか。」と言われてショックをうけました。 中学に入ったら父に辞めようという事を言おうと思っていましたが、言えずに今日まで来ました。 その後父の勧めで津軽三味線を習い始めました。 衝撃を受けました。 譜面がありませんでした。 構え、バチの持ち方から全部やり直しでした。 津軽三味線の全国大会があることも知りました。 大会に参加したらさらに衝撃を受けました。 同世代がいました。 そして20、30代が優勝していました。 そこでスイッチが入りました。 今では大学のサークルがあり沢山います。 「ましろのおと」という津軽三味線のアニメが始まり、ハリウッドで映画「KUBO」という三味線を持った男の子が主人公でやりました。 それが津軽三味線の火付け役になりました。
デビュー前にオーストラリアのオペラハウスで弾きましたが、満席だったところがパラパラと帰って行く姿をみました。 もっとわかりやすく、聞きやすくしなければいけないと感じました。 オリジナル曲を作ればもっと判りやすいのではないかと思いました。 オリジナル曲を作ったり、バンドとのコラボレーションを始めました。 どんなオリジナル曲でも、それはギターでもいいのではないかと言われたらおしまいだと思っています。 三味線だからできるフレーズでなければいけない。
*「RISING」 演奏:吉田兄弟
結婚式でこの曲で入場してくるのが流行っているらしいです。
2008年に若い人に和楽器の魅力を伝えるために学校公演を中心とする「WASABI」(和のサビ 一番聞かせどころ)を結成。 幼稚園から大学までが対象になっています。 オリジナル曲でやっています。 日本に触れたことのない子が多い。 教える先生もいない。
*「ほたる」 演奏:WASABI 朗読劇で沖田総司が亡くなってゆくシーンで使われた曲。 津軽三味線とお琴が一緒にやるという事はまずなかったですね。
日本の音は風の音、虫の音、雪が降る音だったりとか、そこを表現していると僕は感じます。 自然から出てくる音が日本の音だと思います。
好きなタイミングでどんどん拍手してほしいと思います。 「津軽じょんがら節」を越えるような曲を作って行けたらばなと思っています。