柳亭市馬(落語家) ・落語協会100年。これから客に恩返し
柳亭市馬さんは大分県出身(62歳)。 大分県立竹田高等学校卒業後五代目柳家小さんに入門、古典落語を中心に活躍しています。 2014年に兄弟子の小三治さんの後任として、落語協会の会長を引き継ぎました。 52歳の就任は異例の若さであり、落語協会発足後最年少の会長になりました。 2021年(令和3年)3月には第71回芸術選奨文部科学大臣賞大衆芸能を受賞しています。 落語協会は今年100周年を迎えました。 会長としての今のお気持などを伺います。
この商売は50代はまだまだ若手なんです。 今まで功なり名を遂げ、芸も人気も備わった人が会長でしたが、亡くなった柳家小三治師匠が、お前の世代でやって行けという事で引き受けました。 10年になります。 大きな協会では落語協会と落語芸術協会(会長:春風亭昇太)があり、この二つが東京の興行をしています。 交互に10日間ずつ興行をしています。 落語協会は1924年2月25日に設立されました。 5代目柳亭左楽、3代目柳家小さん、5代目三升家小勝、と言った人たちが柱になって発足したと聞いています。 私が入門した44,5年前はお客さんは来ませんでしたね。 コロナ禍では休演せざるを得ず弱りました。
1961年生まれ。(62歳) 本当の吉原の風情がわからなくても、落語のそのなかに出てくる人間には情があって、情は今の時代でも変わりはない。 子供の頃はガキ大将でした。(身体が大きかった。 今は身長が180cm) 落語は小学校上がるかどうかの頃に興味をっ持ちました。 (古今亭今輔師匠など) 寄席中継は楽しみでした。 噺家になりたいと思ったのは高校生の時でした。 高校は進学校だったので9割以上は進学でした。 剣道をやっていたのでその伝手があり小さん師匠のところに入門しました。 私が入る2年前に師匠のおかみさんが亡くなったので弟子は取らないと言っていました。 高校の剣道の監督の恩師が筑波大学の剣道の総監督で、中野八十二?さん(剣道の世界の大先生)と小さん師匠が付き合っていたので、中野先生の紹介で入門が決まりました。
内弟子でしたが、落語よりも剣道の稽古ばっかりでした。 兄弟子たちから落語を教えてもらいました。 師匠からは高座を見て、息、間を学ぶ様に言われました。 質問するとよく答えて貰えました。 1984年に二つ目になり、1993年に真打昇進し「市場」を襲名しました。 前座が「小幸」、二つ目が「さん好」でした。 小さんの「さん」に春風亭柳好が好きだったので「好」にしましたが、師匠はいい顔をしませんでした。 後から聞いたら、以前「さん好」という人が居て、手癖が悪くて辞めさせたという事を或る人から聞きました。 だから師匠は嫌がっていたという事を知りました。
いい声だと言われますが、声は別段トレーニングしているわけではないのです。 両親に感謝するしかないですね。 2008年に歌も出しています。
*「会いてえなあ ふる里に」 作詞:荒木とよひさ 作曲:岡千秋 歌:柳亭市馬
第71回芸術選奨文部科学大臣賞大衆芸能を受賞。 「穴どろ」を代表とする落語に評価があった。 「穴どろ」は比較的地味な話ですが、私は大好きです。 若いころに習った話ですが、なかなか馴染まなかったんですが、ようやくここ5,6年でしっくりくるようになりました。