2024年5月17日金曜日

小泉今日子(俳優 プロデューサー)    ・私は私〜自己プロデュースをするということ〜

小泉今日子(俳優 プロデューサー)    ・私は私〜自己プロデュースをするということ〜 

小泉さんは1966年(昭和41年)神奈川県生まれ。 1982年「私は16歳」デデビュー、その2年後「渚のはいから人魚」が大ヒットして、一躍トップアイドルになります。 その後も「ヤマチナデシコ七変化」、「なんてったってアイドル」などヒット曲を出して、80年代を代表するアイドルになります。 又、俳優活動にも力を入れて、ドラマ、映画、舞台と出演、2013年の連続テレビ小説の「あまちゃん」とか2019年の大河ドラマ「いだてん」などにも出ていました。  2015年舞台のプロデュースをするために会社を設立、2018年デビュー以来所属していた事務所から独立、自身の会社で活動を始めます。 現在歌手として、俳優として、プロデューサーとしてマルチに活動しています。 

デビュー以来今年で42年になります。  映画『碁盤斬り』が公開されます。 冤罪事件を起こし班にいられなくなった浪人・柳田格之進の役は草彅剛さんで、娘・お絹役が清原果耶さん、私はその親子を陰になり日向になり見守る遊郭の女将・お庚役です。 復讐劇です。  人情噺で役としてやったら凄く面白そうなので即答しました。 白石監督がきちんとした舞台としての色を作ってくれたのでやり易かったです。 京都の撮影所は初めてだったんですが、一つ一つのものを磨きながら大事に使っている、京都的なものが随所に現れている、洗練された感じがしました。  江戸の町ってこんな感じだったのかと思えるシーンが沢山ありました。 音、灯り、セットもそうですし、丁寧に作られた感じがします。  「覚悟」と言う言葉が随所にありますが、私も「覚悟」という言葉を使って生きてきたと思います。 

歌手になると決めた時も、1年目は判らなかったけど、ちゃんとやるという覚悟がないと出来ない仕事だなと感じました。  節目節目でそう思ったし、今もそうありたいと思っています。 年頃になって、一家離散的なことがあって、姉二人がいますが働けたりしましたが、私は足手纏いになってしまうと感じて、出来る仕事があるかなと思ったら受かって、自分の仕事が出来たという感覚でした。 父が小さな会社を経営していましたが、倒産して、母と私がこっそりアパートに住みました。 問題が解決して戻ってもいいといことになりましたが、私以外は誰も戻りませんでした。  早く仕事が見つかったので気は楽になりました。  皆同等と言うような家族でした。 家族離散とはちょっと大げさに言いましたが、家族が繋がってはいます。 今は亡くなって、姉一人と私だけになってしまいました。 

或る時にディレクターが変って、曲調が明るくなった瞬間があって、ショートカットにしたり、服もカジュアルにしたりして、反抗したというような印象に見えたかも知れませんでしたが、そういう訳ではありませんでした。  いいお姉さんたちと親しくしてもらって、いろいろなところへ連れていってもらったり話をしてもらって、そこで吸収してゆくのが凄く楽しかったです。 芸能界に入って一番最初に凄く嬉しいと思ったのは久世光彦さんのドラマに出た時でした。 久世さんからは飴と鞭でいろんなことを教えてもらいました。 

色々なことを教えてもらったお陰で、プロデュースに興味を持ちました。 2015年に会社を設立し、舞台に制作から始めました。 2018年には独立しました。(50代)  残りの人生は自分で責任をもって、生きてみたいと思いました。  沢山お勉強代がかかりました。 還暦までは毎年ツアーをやって、歌手として立つ場所を作ろうと思っています。 とりあえずゴールを60歳に置いていて、そこから先は未定にしています。 いろんな方がオファーしてくれるので、それだったらどうやろうかとか何時も考えています。 自分からこんな役をやりたい、この監督とやりたいというようなことは余り無いです。 総合的にプロデュースすると言うのが、多分私のやり方なのでそうなっているのかもしれないです。