荒木雅博(野球解説者・元プロ野球中日ドラゴンズ)・〔スポーツ明日への伝言〕 外れ、外れの1位からの道
荒木さんは2塁手として6年連続でゴールデングラブ賞を受賞、更に盗塁王、2000安打達成と切れ味鋭い走攻守のプレーで多くのファンを魅了してきました。 さらに現在の日本代表「さむらいジャパン」監督の井端弘和さんと組んだ2游間は1,2番の打順と併せて、「アライバ」と呼ばれて、何度となく連携の妙を見せてくれる、球界を代表する名コンビでした。 荒木さんに守備やバッティングへのこだわり、若手への期待などを伺います。
ちょっと離れてみると、もうひとつ違うものが見えると思て、いま勉強させてもらっています。 自分がコーチをやっていた時に、「今上手くなるとは思うなよ。」とは言っていましたが、これからが楽しみな時期ですね。 上手く成り方はずっと平坦でいきなり来るので、いつ来るのか楽しみに待っています。 今の選手たちは2000年生まれとかで、「アライバ」のプレーは観ていないですね。 ユーチューブでは観ているので凄いなあで終わります。
熊本県菊池郡菊陽町出身。 菊陽町は台湾の半導体メーカーが進出してきて、全国的に注目されている町になっています。 まったく変わってきています。 子供の頃はのどかな町でした。 小学校の頃はサッカーをやっていて、中学から野球を始めました。 高校は熊本工業に行きました。OBには川上哲治さんほか沢山の名選手がいます。 今年野球部100周年の年になります。 1995年(平成7年)のドラフト1位で中日ドラゴンズへ。 星野仙一監督で1位指名が福留孝介選手で外れて、つぎに原俊介選手で外れて、星野さんは「もう誰でもいい。」と言ったらしいです。 それが僕でした。 入ってお前がドラフト1位かとよく言われて辛かったです。 ドラフト1位と言うプレッシャーは全くなかったです。 自分の立ち位置を考えて、やるべきことをやってゆくという思いしかなかったです。せっかちで、こつこつと言うタイプでした。
セカンドは高校2年生の時に一寸の期間やっていただけでした。(ショートでした。) プロになってセカンドになりました。 ショートはファースト迄の距離があるので前に行って早く取らないと間に合わないことがあるが、セカンドはそんなことはなく、違いは時間の問題だと思います。 逆方向に投げなければいけないのがセカンドですね。 右にも投げるし左にも投げなければいけないポジションですが、しかし突き詰めてゆくとおんなじなんです。 ヘッドスライディングで肩を痛めてしまって送球には苦労しました。 自分の意志通りにはそこに投げられなくなってしまったのが1,2年ありました。 注射を打ったりしましたが、最終的には水泳でクロールで治りました。(33歳)
2007年日本シリーズ第5戦、完全試合なるかの時に、ツーアウト目にキャンバス寄りの難しいゴロが来ました。 ボールを取って変なところで握ってしまいました。 握りかえるとセーフになってしまうので、どうにでもなれと言う思いで投げたら、高めでしたが、何とかいきました。
2塁手として6年連続でゴールデングラブ賞を受賞。 「アライバ」のプレーで、グラブで取ってそのまま、ショートにトスをして、ファイストに投げてダブルプレーをとる。 声でショートの位置を感じます。 ポジションについては聞いたり見たりして身に付けていきました。 一時期ショートを守ったことがありましたが、いろいろ失敗がありいい勉強になりました。 落合監督は不思議な感じがありました。 怒らないし、技術指導と言うよりは性格をみて采配の中に入っていたのではないかと思うぐらいの感じでした。 若い選手は直ぐに結果を求めたがる。 駄目だとそれを辞めてしまう。 コツコツ積み上げることが大事だと思います。