2017年1月28日土曜日

寺内タケシ(ギタリスト)      ・ギターは弾かなきゃ音が出ない

寺内タケシ(ギタリスト) ・ギターは弾かなきゃ音が出ないやりたいことをやろう!
寺内さんは昭和14年生まれ、5歳でギターを始め、1962年自身のバンドブルージーンズを結成されました。
運命、津軽じょんがら節などのヒット曲も多数お持ちです。
今年ブルージーンズは結成55周年を迎えます。
日本にとどまらず世界中のファンからエレキの神様といわれる寺内さん、今も2時間以上のステージをこなす現役です。
茨城大使や、茨城県政策アドバイザーを努めるなど、ふるさと茨城への熱い愛情を持ちです。

78歳になりました。
1939年土浦市生まれ、5歳でギターを始めて、電話のコイルを使ってエレキギターを発明、大学在学中からプロ活動を始めて1962年ブルージーンズを結成、今年結成55周年。
年間150ぐらいこなしています。
3月に県民ホールで3000人ぐらいの会場で行います。
2時間ぐらいのステージで疲れますが、疲れたのを気どられない様にしている。
一日に2升~2升5合とか大学1年の頃飲みましたが、これでは卒業もできないし、もっとエレキギターに情熱を注ぐのには駄目かと思い、すっぱりと18,9歳で辞めました。(?)
煙草も辞めました。
母が小唄の家元をしていました。
三味線の音色よりも6本のギターの方がかっこいいと思って、ギターを独学でやりました。
母のところには弟子が100~200人ときていました。
三味線を見ながら三味線を手本にギターに応用しました。
母からは座り方、お辞儀の仕方などを厳しく言われました。

戦争中に3台の電話を壊して自分のギターにつけてしまう、おやじが怒りましたが、やるなら最後までやれといわれました。
目の前が電信電話の公社があり、毎日コイルをくれと交渉にいきました。
メンテナンスでの麻袋にコイルが入っているのをくれました、1000個ぐらいです。
コイルを弦につけて行きました。
アンプがなくて、空襲警報のスピーカーが16本屋上にあり、夜に1本ずつつないで夜中に鳴らしたんですが、空襲警報と間違えてしまって、みんな防空壕に逃げて行きました。
高校ではマンドリンクラブをつくろうとしました。
みんなを集めて120~130人ぐらいになりました。
場所がなくて予科練の練兵所があり校庭から、父が建築会社をやっていたので、そこを買い取って、メンテナンスして余っている教室があり、練習をして、マンドリンのコンテストがあり日本で一位になりました。
勉強に関しては父から校長の家に預けられましたが、一番ビリでだめでした。
マンドリンの楽器も100人分ぐらい発注して、持てきてもらったんですが、楽器屋も父が建てた家なのでつけとければいいやと思ったので、多分代金は父が払ったと思います。

関東学院大学の電子工学部に入りました。
一生懸命やっているであろうということで、父が一軒家を建ててくれてばあやをつけてくれましたが、期末試験で最悪で1週間後に我が家に帰ってみたが更地で家がなかった。
立て札が立っていて勘当と書いてありました。
潮時だと思って、プロで食っていくと決めました。
昭和40年ベンチャーズが2度目の来日。
メンバーの子供が亡くなり帰ることになり、代演しますよと言って、メンバーの一人として何回か一緒にやりました。
エレキがブームになりTV、ラジオがエレキ一色でした。
楽器屋は作っても作っても品切れでした。
しかしエレキをやっているのは不良だというような風潮が出てきました。
学生がエレキギターのバンドができないということがあり、ハイスクールコンサートを始めました。
土浦の第三高等学校(母校)から始めました。

昔も今も高校生は10年、20年変わらない。
学校で教えるだけが能じゃない。
バンドができなければ一人で弾いていて、そのうちに増えてくる、僕の場合にはそれが100人以上になりました。
日本全国が終わり、いろんな国に行きましたが、日本人が当時行ったことはないソ連、ソチ、モスクワ、レニングラードに行きました。(会場は大きくて20万人ぐらい)
津軽じょんがら節、ロシアの民謡などをやりましたが、音楽に国境がないということが判りました。
言葉はできないのがいいと思った、身振り手振りでなんでも通じてしまう。
ブルージーンズが55周年になります。
日立の社長と話をして世界一のケーブルができました。
2001年ごろに大腸がんをしました。
心臓の手術もしました。
弾いていた曲を思い浮かべていると、心技体みたいなものが一体になった時、痛みは消えますね。
茨城県は魅力度は最下位ですが、そんなことに関係なく、一番いいところだからこの県は騒がない、こんないいところはない。
「ギターは弾かなきゃ音が出ないやりたいことをやろう!」 ハイスクールコンサートで毎回高校生に言っている。
今オファーが来て調整しているのが3年後です、ですから病気もできない、だから幸せです。
夢中になってこれで行こうと言った時の気分の良さを是非皆さん味わってください、いい人生を歩んでください。

参照
*寺内 タケシ(ギターリスト 73歳)   ・生涯現役サウンドの秘密(1)
 http://asuhenokotoba.blogspot.jp/2012/06/73.html
*寺内 タケシ(ギターリスト 73歳)   ・生涯現役サウンドの秘密(2)
 http://asuhenokotoba.blogspot.jp/2012/06/732.html