風見しんご(タレント) ・悲しみと向き合うということ
10年前の1月17日、風見さんは当時10歳だった娘えみるさんを交通事故で亡くされました。
娘への思いや、家族のこれまでの日々をつづった本を去年出版した風見さんに今伝えたい思いを伺いました。
自分が本を書かしていただいたのは2冊目で1冊目は9年前、娘が事故に遭いそのことつづった経験があるが、その後は考えていなかった。
10年たって、周りの方から、家族がどう過ごしていたかが興味があるといわれて書かせていただきました。
時間がたって振り返ってみると、一冊目は落ち込んでいた自分に対する叱咤激励するような部分と、娘のことが頭がいっぱいだったので、自分の娘はこの世に生きていたんですよという証を形にして残していたかったということが半分あったような気がする。
今回は読んでくださる人に対する文章で書いた本だというふうに思います。
次女は当時3歳だったので、次女に対する気持ちと長女に対する気持ちとが半分です。
この時期になると心の中を占めてくるのは不安ですね、一生わすれることのできないことが起きてしまった日なので、もう二度とないと思っているが、今年もその日を無事に越えられるのかと何か不安に思ってしまうことはあります。
その日の朝は全く普段とは変わらない日でした。
前日は塾に行っていて、娘を迎えて一緒に帰ったんですが、その日に限ってバスに乗って帰りたいと言いました。(娘とはバスだけは一緒に乗っていなかった)
横断歩道を娘の手をとって渡ったが、まさか翌日その横断歩道で娘が命を落とすなんて想像だにしなかった。
母親の作ったサンドイッチをほうばって、玄関から大きな声で「行ってきます」と言って出てゆきました。
家から100mぐらいのところを右に曲がって50mぐらいのところに昨夜の横断歩道があるが、曲がるところでおじいさんに大きく手を振ったようですが、それが最後になってしまいました。
娘が出て行ったあと、家で普通の朝を迎えましたが、近所の人が飛び込んできて、「えみるちゃん事故」と叫んでいました。
車に接触してどこか擦り剥いたのかなあとか最悪足の骨が折れたのかなあと想像していました。
現場に行ったが、角をまがった瞬間に、空気が異様だった。
娘の姿が見えないし泣き声も聞こえない。
トラックの下を覗き込んだが後輪の間から娘の足が見えて、こういうことかと、その時は覚えているのはトラックを持ち上げようとしました。
娘の為なら一人で持ち上げられると思ったが、ビクともしなかった。
体に力が入らなくて腰が抜けたのを覚えています。
引っ張り出そうとする妻の姿が見えていました。
みんなの力でトラックを持ち上げて娘を助け出しましたが、身体のすべてと言っていいぐらい体が壊れていました。
何も考えられない感じで妻と一緒に到着した救急車に乗り込んだのを覚えています。
葬式も挙げて、娘はいなくなったと判っているが、ひょっとしたら帰ってくるのではないかと本当に思っていました。
何年も娘の部屋はいじれなかったです。
玄関に置いて行ったブルーのバックも1年以上はそこに置いたままでした。(取りに来ないとは分かっていてもできなかった)
事故が起きてから1、2年の間は夫婦の救いは3歳の次女でした、生きてゆく力になった。
事故から1年と少したったころ、おめでたですと言われて、そのことも大きなきっかけとなりました。
妻も40歳を超えていて、高齢出産の領域なので、検査を受けて、遺伝子の方に障害がみられるという結果が出て、それは男の子で、子供をどうしようと思ったのが正直な気持ちでした。
妻はどうしようかとかは一切思わなかった。
長男とも向き合って、夫婦がいなくなった後も、障害というものを含めて二人がどうやって向き合って生きていけるか、親としてできる限りのことを考えようと日々が始まりました。
それまでは答えの出ない帰ってこない長女の事をずーっと考えていた。
気がつくと家族で長男、次女、将来のことを考えていた。
どうなってもいいやという思いがどうにかしなければに家族の空気がかわっていた、それが大きかった。
長男は9カ月になるすこし前に、生まれてくるまでの体に成長することがかなわなくて、妻のおなかの中で息を引き取ったといいますか、天国に帰って行きました。
長男と次女が与えてくれた時間というのは将来へ向けてのすごく大切な大きな時間になりました。
同じような心境のご家族とか、経験をされたとかの方からの励ましがあり、自分自身が救われたこともあるが、頑張っても越えられないものがある。
本当にくれぐれも頑張りすぎないで下さいと、返事する様にはしています。
乗り越えられないことはたくさんあって、乗り越えられなくても生きていきましょうということを励ましになってるのかどうかは分かりませんが、言っています。
どうやって10年間過ごしてきたのか聞かれますが、会えるという思いは以前とは違うが、いつかは必ず会えると思っていて、会えたときにお土産話はたくさんあった方がいいと思う。
大きな大事なものを失ったからこそ、最後まで生き抜きましょうと言うことですかね。
1月17日は阪神淡路大震災の日でもあるので、大切な命を失ったご家族から手紙をたくさんいただきました。
どれだけ励まされたのかと思った。
最後まで生きぬこうとしたのに旅立っていった人たちに対し、途中であきらめるのは一番失礼なんです、だから私たちは何があっても生き抜かなければいけないという思いです。(涙ながらに話す)