直野 資(東京藝術大学名誉教授・バリトン歌手) ・71歳、人生も舞台も自然体
2017年 1月1日 「新年明けましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いします。」
直野さんは昭和20年生まれ石川県出身。
東京藝術大学主席卒業後、大学院に進み、後にイタリア、パルマに留学します。
帰国後、新国立劇場リゴレット二期会ファルフスタッフの舞台で活躍、1994年~2009年にかけてNHKニューイヤーコンサートに出演、コンサートソリスととしても高い評価を得ています。
東京藝術大学では20年以上学生の指導に当たって、多くの優秀なソリストを育ててきました。
退官後は昭和音楽大学大学院で教鞭をとり、オペラの舞台では公演監督を勤めてきましたが今年 2月の二期会とローマ歌劇場の提携公演トスカでは一歌手としてオーディションを受け、スカルピア役としてオペラの舞台に登場することになりました。
70歳を過ぎて久々の舞台にかけるオペラへの想いを伺います。
ヴェルディが好きですが、プッチーニは或る意味やっかい、難しい。
音楽の作られ方がベヴェリズモ・オペラに近づいている中でプッチーニは作っているので、その気もちを上手く捉えないと上手くいかない。
やりたくて、通るかどうかわからないがあえてやってみようと、オーディションを受けました。
近づいて来るとプレッシャーがあり、そのプレッシャーがいい。
大学では自分の部屋で声を出したりしています。
母親は私が学生コンクールで優勝したがもっと飛び立っていくと言う風に思った様です。(金の鳥が生まれたのを夢に見る)
子供のころは音楽は好きだったが、クラシックではなく歌謡曲でした。
春日八郎さんが好きで全部覚えました。
母親がいないのを見計らって金物のバケツに向かって春日八郎の歌を歌っていました。
「資」 大岡昇平「あすへの遺言」に出でくる「岡田 資」 こういう人になってほしいと願って父が名前にこの文字を付けました。
月に一回斎藤達雄というバリトンの先生がいて、歌を教えて貰えと言われ教えてもらって、内容が面白くなかったが、やっていました。
高校は東京に行って、音楽学校に行って試験で好きだったので「別れの曲」を歌いました。
東京音大学付属高校に合格しました。
歌は持ったものがないと駄目。
3年生の時に東洋音楽大学の学長から、「お金いらないからうちの学校に来なさい」といわれて大喜びで母親に連絡したが、「私は芸大に行くと思っているんだけどね」、それでおしまいでした。
ドイツ歌曲ばっかり聞いていて、ドイツ語のことばっかりやっていました。(大学2年まで)
歌はベルカントでなければだめといわれて、イタリア語の物を歌う様になりました。
テノールも考えたが、いろいろめんどくさいこともありこのままでいく事にしました。
歌い手になろうとは思っていませんでした。
大学院に入った時に柴田先生に、辞めたいと言ったが、相談して、修士を取らないといけないと言われたが、大学院を途中で辞めて就職しました。
ニコラ・ルッチ先生がいて貴方はイタリア的な声なので、次の定期のころにやるんだよと言われたがお断りし、BGMの音楽系の会社に入ったが、半年後にイタリアに入学したい気持ちがめらめらと起きてきて、好きな人が出来て(一人娘 一級建築士の免許もっていた)駆け落ち結婚をしました。
稼がなければいけないと思って、鞄屋さんの会社に就職しました。
子供も授かって、頑張れたのは子供のおかげだと思います。
留学するのにコンクールなど受けたが、そうはいかず、直野(妻)の父親が和解して、受け入れてくれてお金を出すことになり、一人でイタリアに2年ぐらい行きました。
ラウリ=ヴォルピという有名なテノールがいて、そのひかえとしてしていました。
ヴェルディが作った音楽院にいまして、そこに毎月行っていました。
帰って来てから、貧乏な生活で、野草で食べられる物をてんぷらにするとか、していました。
イタリアにいたころに残ったお金をお土産ではなく、御礼を述べてお金を返して、よかったと思いました。
妻もちゃんとしたところに入った方がいいと言う事で、入団試験を受け、受かったが、簡単に役はもらえるわけではなくて、セビリアは得意ではなかったが、役をいただきました。
大学でボランティアに興味が有って、世の中に貢献しなければいけないというベースが有って、そこで育ててもらった様な気がします。
林間学校とか子供達を集めるところから始めて、それは一つの社会、勧誘に行ってそこから始まり、家を建てる、それを一から始めて、林間学校が終わったら積んでテントで被せて来年まで待たせる。
学生時代はエネルギーを持っていたので,それを社会にどう貢献しようとかは、常に思っていました。
いい仲間達もいました。
スタッフさんだとか、衣装さんだとか、社会のつながりが有るので、それを理解しなければ絶対駄目だと思っていました。
トスカ 命をかけたんです、その位の思いがないとオペラは出来ない。
ヴェルディは或る決まったフォームを守って歌い続けなければいけない、プッチーニはそこから離れた処を要求してくる、発声の崩れなどを乗り越える自分を持っていないといけない。
プッチーニはリアリティーが有って、魅力を感じる。
自分がやるとなるとえらい大変です。
スカルピアはどんな声と色んな人が言いますけど、きちっとした人ではないが、人格としてちゃんとした人だと思っていて、汚しては駄目。
変なことをすることに人の目が行くが、それは絶対やってはいけない。
スカルピアは2幕で死んで、カーテンコールで一回出してもらったが、白っとしてしまった。
あれは絶対やってはいけないものだと教えてもらった。