2017年1月26日木曜日

大越 治(国立天文台広報普及員) ・日食ハンター世界をゆく

大越 治(国立天文台広報普及員) ・日食ハンター世界をゆく
64歳、日食は太陽と地球の間に入った月によって太陽が隠されて太陽が欠けて見えたり、まったく見え無くなる天文現象です。
太陽全体が隠れる「皆既」、月が太陽全体を隠しきれず、月の外側に太陽がはみ出して太陽が細いリング状に見える「金環」、太陽が一部隠される「部分」の三種類が有名です。
他に月の移動とともに日食が見える場所も移りますが、日食が見える地域のうち初めの方と終わりの方の地域では金環、それ以外の場所では皆既として見える「ハイブリッド日食」という日食もあります。
大越さんはこの日食にひかれて中学校の教師をしながら、世界各地に行き部分日食を除く日食を45回も観測をしています。
これまでに観測を訪れた国は、オーストラリア、パナマ、マダガスカル、アイスランド、キリバス等があり世界を股にかけて観測しています。
教員を退職した後は国立天文台で、天文についての相談や問い合わせに電話で答える天文台広報普及員をされている大越さんの日食に魅せられた人生について伺いますた。

行った国は同じ国で観測したことは数えるほどしかないので40カ国近くの国だと思います。
一人では行きません、荷物がたくさんあるので、一人では動きにくくて最低でも2人です。
妻も大学の天文の同じサークルだったので最初から日食に付き合ってくれています。
日食はその回その回で特徴があるので、これが一番というのは難しいです。
パプアニューギニアに新婚旅行で行きました。(そこでも日食を見ました)
1973年、大学の1年生の時に天文部の部室に行ったときに先輩たちがアフリカに皆既日食があるので、そこに出かけるという話をしていました。
先輩が戻ってきて日食の報告会があり、写真、8mmフィルムで上映したりして、見ているとおもしろいのかなあと感じました。
1年先輩が来年オーストラリアで日食があるので一緒にいかなかということで、1974年に西オーストラリアに出かけました。
日食が見られて、コロナプロミネンスが写真とか8mmで見たものと全く違っていて、もっといきいきして透明感があり美しかった。
その時から夢中になりました。
写真で見た日食と実際に自分で見たものがこれほど違うものかと思いました。

秋田で4歳の時に、父が家の外に連れ出してくれて、火星の大接近で、あそこに見えるのが火星だよと言ってくれてそれが天文に関する一番古い記憶です。(1956年 昭和31年)
多分次に大接近を見えるのは2050年です。
転勤で新潟に移って、アメリカでエコー1号という人工衛星を打ち上げて、直径が30mもある風船衛星で、父に教えてもらって見て、ますます星に興味を持つようになりました。
小学校5年生の時に東京に転勤になり、東京は全然星が見えなくて、中学1年の時に望遠鏡を買って、太陽黒点の観測がいいと本に書いてあって、太陽黒点を鉛筆でスケッチをとることを始めました。
それから17,8年は続けました。
それが日食につながっていると思います。
天文学者になりたいという夢はありましたが、高校では物理、数学が苦手で、天文学者は物理、数学に精通していなければいけないと書いてあって自分はだめかと思ってあきらめてしまいました。
大学は東京理科大の応用物理に進んで、物理の勉強をして、就職はどうするかという時に、いろいろ考えて学校の先生を選びました。
中学校の理科の教員になって、全般についての知識がないといけないので、生物、化学もやらなければいけなくて、勉強もしました。
忙しくて時間をつくるということは難しかった。
周りの先生からの協力を得ないと天文のことはできませんでした。
校長先生、教頭先生には本当にお世話になりました。

子供たちには理科の時間を利用したりして、必ず報告するようにしていました。
大人でも自分が好きなことをひとつ持っていると人生面白いよ、ということを伝えたいと思って話をしてきました。(自分の生き様)
アマチュアとして星が好きだということで今でも活動を続けている子はいます。
1977年日食情報センターを立ち上げる。
ボランティアで日食に関する情報を必要としているアマチュアに発信するのが役目です。
1977年ハワイの海でみられる日食があって、飛行機をチャーターしなくてはいけなくて、人を集めようとしたが集めることができなくて、情報発信の必要性を感じて、作ったのが日食情報センターです。
秦 茂先生、山口 正博先生を中心に8名でスタートしました。
年間100~200人が受け取ってくれて、どんどん増えていきました。
天気はどうしようもないことなので、過去の統計を調べたりしてなるべく晴れるところを選ぶというようなことをしたり、どのような準備ができるのかということを進めてきました。
日食が起きる場所は必ずしも交通がいいところではないので、安全に確実につけるのかなど、事前準備をすることが大変ですが楽しみでもあります。

ガボン アフリカの国 ハイブリッド日食がみられるが、どこで見られるのか確実ではなかった。
ハイブリッド日食のみられる範囲は非常に狭くて、ガボンの時には500mの幅の中に入らないと見られないと予想されていた。
ガボンの場合にはGPSのある時代ではなくて、地元の地図も正確ではなく皆既日食になる時間が1.7秒ぐらいの予想で、出かけました。
1984年アメリカのバージニアで金環日食に出かけたのが金環日食の最初でした。
金環になっている時間が8秒ぐらいでした。
行ったら天気が悪くなってしまって、30秒間だけ雲がかかって、雲がどいた時にはリングが見ることができず悔しくてガボンの日食につながるわけです。
ガボンの場合も天気が良くなくて、その前後10数秒間雲がどいてくれて見ることができて、印象深かったです。
観測報告書をできるだけ作るようにしています。
次に行く人の参考になるようにするため、細大漏らさず記録するようにしています。

当初と道具の様相が一変してしまって、今までできなかったことができるようになり、皆既日食のときに見られるコロナ、目で見るととっても綺麗だが写真に撮ると細かいところが皆潰れてしまって駄目だが、いまはコンピューターを使っていろいろな露出条件の写真を合成することができて目に近いコロナを画像処理が作れるようになりました。
日食情報センターでの活動目標は日食に興味を持つ人を増やすということだったが、日食値段という言葉があるぐらい高騰するのは困ったと少し思っています。
2月26日に南米で日食が見られます。
8月にもあります。
なるべく両方に行きたいと思っています。
2035年、日本で皆既日食が見られますので、見たいと思っています。(80歳は超えてしまうが)