本郷由美子(大阪・池田小事件遺族 精神対話士)・ 娘の思いを支えに生きる
50歳 15年前大阪池田市の大阪教育大学付属池田小学校に、刃物を持った男が押し入り、子供8人の尊い命が奪われ、15人が怪我をしました。
本郷さんはこの事件で当時小学2年生の長女優希さんを亡くしました。
最愛の娘の命が奪われたことで、一時は自らの死も考えましたが、そのたびに気持ちを押しとどめたのは最後まで懸命に生きた優希さんの姿でした。
本郷さんは自分だから出来ることが有ると考え、人の心に寄り添い対話で癒す、精神対話士の資格を取得したり、大切な人を亡くし嘆き悲しむ、人を傍で支援するグリーフケア(Grief care)を学んだりして、現在は犯罪被害者や東日本大震災の被災者等の心のケアに取り組んでいます。
福島の方から、原発によって東京に避難している方がいますが、月に2回心のケアと言う事で訪問して話を伺いに行っています。
気持ちが楽になってくれたらいいなあと思って行っています。
自分達が子供のころから住んでいたところに戻れないと言う事で、家を解体してしまって更地になり、それをどう自分で折り合いを付けてゆくかとても苦しい事で、つらい部分に寄り添いながら、以前の家の写真、更地の写真を前にして、話をして聞いていて悲しみが伝わってきて、話を聞いて気持ちを共有すると言う事、共有してくれる人がいると言うだけで、少しは安らぐことが出来ましたと言ってくれて、最後は手を握って、頑張っていきますからと、自然に言ってくれて、生きる力を支えあう事が出来ていると言う風に感じました。
話を伺うと言う事で複雑に絡まっていた色んな感情が、自然とその人の力でほどけてゆくというようなことができる可能性が有るんですね。
私自身生きる基盤を喪失して、酷い時には見ている景色が色彩もなかったりするし、聞こえる声もはっきり聞こえない、味も感じない、触っているものも、熱い冷たいとかの感じが無かったこともあったんです。
支えてくれた、寄り添ってくれて、人が人を救うんだなと思って、救っていただいた、事件で学んだことがたくさんあって、それを活かして伝えてゆく事は大事な事と思いました。
2001年6月8日、鮮明に覚えています。
娘と一緒にクッキーを作ると言う事で、材料の買い物に行っていて、車のラジオを聞いて、池田小学校に刃物を持った男が侵入して、低学年の児童が何人も刺されている様だという内容だった。
大阪教育大学付属池田小学校と言っていたので、学校にかけ付けました。
怪我を負って運ばれてくる光景を見て、これは大変なことだと思いました。
とにかく子供達のところに行って安否を確認しようと思いました。
娘とは40分間ほど、同じ敷地内にいましたが、娘は直ぐに外に運ばれていて、誰の付き添いもなく横たわっていて、助かる見込みはないと言う事になるのですが、そこでは名前は確認されていませんでした。
色んな病院中に電話をかけて娘に会う事が出来ました。(亡くなっているとは思っていませんでした)
控室で待つように言われて、その後主人だけ呼ばれて、その時にもしかしたら最悪の事態になるかもしれないなあと思いました。
死の宣告をされて、余りに突然の死だったので受けとめられなかった。
臨時ニュースを聞いても、これが現実なのかと思えなかった。
後になって凄い大きな喪失感が襲ってきたなあと思いましたが、葬儀をしていてもこれが自分の娘の葬式なのかなあと、そうなんだろうと思うと保てない自分がいる様で、そんな感覚でした。
淡々とこなしている自分と、今何が起こっているんだろうと言う自分がいて、乖離状態、急性ストレス障害状態と言う様な感じでした。
娘は即死という状態でした。
調べてゆくうちに、受け入れがたい事実として、心臓を刺され廊下を歩いたと言う事を聞かされて、あれだけの深い傷を負ってどうしてあそこまで68歩を歩けたのかと言う事を医師から聞いて、娘に寄り添えることができなかったことに、いったいどんな思いをしたんだろうと、感じられない自分がいて少しでも感じようと思って毎日歩きました。
痛みに寄り添って行こうと思っているうちに、最初娘の悲痛な顔しか浮かんで来なかったが笑顔の娘が浮かんで来て自分にとって不思議な体験でした。
娘は生き抜くことの強さを私に教えてくれたんだ、メッセージを残してくれたんだと思う様になり、ちゃんと生きていこうと誓って廊下の倒れた処に座って、「神様お願いです、もし本当に天国が有るなら、私はしっかり生きてゆくので、69歩目を娘と一緒に歩かせてください」と、願いました。
娘は心の中に生きているから一緒に歩むことができると思って色んな活動をさせてもらっています。
優希は優しい希望と書くので、希望を失わずに頑張ってくれたんだなあと思っていて、グリーフケアは人の痛み、苦しみに寄り添ってゆき、その人が自分で生きて行こうというプロセスまで歩んでいるんですが、そこに寄り添う事によって絶望の中から生きる希望を見つけられると言う事を、娘との寄り添いの中で、娘が命懸けで教えてくれたと思います。
犯罪被害者はとても大変で事件のあとは、悲しんでいる間もなく色んな多次元の難問が起こって来て、その中で、49日が一区切りと言われてしまうと、普通の過程がなじめないと言う事もあり、そう言う事に傷ついてしまうと言う事もありました。
まだ娘は亡くなっていないとの思いが有るのに、亡くなったことを色々報道されたり、抱きしめていた娘を検死の時に、「床に置いて」と言われた時には置くと言う言葉ではなくて「寝かせてください」と言われたら傷つかずにすんだのにとか、遺族の思いに寄り添っていたら、その様な言葉がでなかったのではないのかなあと思う様な言葉に傷つきました。
私を支えてくださった方たちは、ただ寄り添って傍にいてくれたと言う事です。
言葉にならないから沈黙になるんですね、ただただ手を握っている、うなだれて涙を流している、空気感で伝えてくれる、言葉ではないんですね。
不要な言葉をかけてしまう言葉が実は傷ついたりするので、言葉にならないほど苦しいと言う事、それくらいの気持ちで寄り添う、それが本当の共感なんだと思います。
一人ではないんだ、こうやって判ろうとしてくれる人がいると思うと、それだけで安らぎが有ると言う事を体験しました。
立っている大地が足元から崩れていく様な不安感があり、生きる基盤を失っていたので、唯唯そこにいてくれたと言う事だけでこんなに自分が安定出来るんだと感じました。
1年経つか経たない頃、犯罪被害者の為に活動しようと思いました。
犯罪被害者基本法も出来ていなくて、手探りの状態で支援が有りました。
池田小学校は8家族の遺族が有り、負傷者が有って学校にいた人全員が被害者でした。
それぞれ違う被害を受けて悲しみ方もそれぞれ違って、それを目のあたりに経験しました。
個別性の悲しみに寄り添う支援が無かったのを感じて、その大切さに気付きました。
本当に苦しんでいる人は外に出れないし、聞いて寄り添っている人がいたら大分違うと思って、色んな方と関わる中で、精神対話士を目指しました。
折り合いを付けないと先に進めないので、一つ一つ折り合いを付けて向き合ってやってきました。
追い詰められた時に、私が生まれなかったら娘がこんな目に遭わなかったというところまで追いつめられて、自分史を語る中で、事実があってその中の一部として受け入れて、その先を進んでいくんだと、その折り合いをつけることがなかなか一人ではできない、人の力を借りて折り合いをつけないと、乗り越えられないと感じました。
苦しんでいる人に寄り添うのであったら、「人は自分を大切に出来るほどしか他人を大切にできない」と言う事を知って、自分の限界を知って、人と向き合う事をしなければいけないと思いました。
「助けて」というのには凄く勇気がいるので、勇気にこたえられる心構えをいつも持っていたいと思っています。
被害者支援にグリーフケアの視点が必要だという事とか、講演などでさせて貰っていて、
社会に発信できるとしたら、命の大切さを子供達に伝えると言う事をしたり、私が感じている視点を発信してゆきたいと思います。
医師のたまごのかたとか、警察官の研修、学校の教育関係者に読んでいただいて話をしています。
この15年生きるとは、命とは何だろうと、問い続けてきました。
日野原重明先生に、命とは自分の使える時間の事だと言う風に聞かせていただきました。
時間が命だったら、他者と分かち合っていきたいと思いました。
生きることとは何と問われたら、沢山の命と繋がることだと思っていて、命の大切さを知って、繋がった命を一つ一つ大切にして行くことによって、平和な社会につながっていくんだと思っています。
池田小学校の事件の犯人は幼少期から色んな事を背負っていて、色んなところで色んな方がかかわったと思うんですが、事件の数日前も色んな問題を抱えて連絡を取ったりしたが、きちんと対応してもらえなくて、それが引き金になって、苦しみを社会に味あわせてやりたい、仕返しをしてやりたいと言う発想に繋がっていって、出来るだけ多くの人をあやめたいと言う事で子供に向かった事件でしたが、誰かがどこかで違った寄り添い方をして、話を聞いていたらこの事件は起きていなかったのではないかと思いました。
今している事は犯罪を防ぐことになるかもしれないと思って活動をしている状況です。
「遺志の社会化」、その人が残してくれた事を知恵として受け取って、今の社会に生かしてゆく事が「遺志の社会化」と思っていて、心理学でいう「途切れない絆」といわれるが、こういう活動をしていることは、これは娘と共に生きていることだと思って、自分の中で会えないけれど一緒に生きている、体は衰えてゆくけれども心は成熟してゆく。
娘と共に見えない部分で一緒に心が成長していっていると感じるので、共に生きていると感じます。