高崎 明(NPO法人「ぷかぷか」理事長) ・“障がい者の力”をビジネスに
高崎さんのNPO法人は横浜市緑区霧が丘商店街の一角でパン屋とカフェを営んでいます。
現在40人の障害のある人が生産と販売をになっています。
店をオープンしたのは養護学校の教員を定年退職した6年前、障害のある人達と一緒に働ける場を作りたいと言うのが動機でした。
店の経営が軌道に乗るまで多くの困難を高崎さんと障害のある人達はどう乗り越えてきたのか、そこで得られたものは何か伺いました。
40人ぐらいが働いているが、多くは知的障害、精神の方もいます。
私は大学で電子工学の勉強して、大手電気メーカーに就職してレーダーとか衛星の追跡装置とかの仕事をしていました。
山は好きで毎週のように行っていましたが、マッキンリーにも行きました。(その時には会社を辞めていました)
会社を辞め、お金もないので大変でしたが、自分を探すと言うか、これから先を探ってました。
色々アルバイトをしていて、宮城教育大学の学長をやっていた林竹二さんの授業の記録を読んだのがきっかけで、教育の面白さに目覚めました。
神奈川県の教員採用試験を受けて受かりましたが、その年の冬に富士山で滑落事故を起こして、両足とも滅茶苦茶な骨折で教員をやれる状態ではなくて(9カ月入院)、翌年又試験を受けました、そうしたら受かりました。
養護学校の教員になりたいのか、どうかを聞かれて、最終的に養護学校に行く事になりました。
障害児教育は殆ど勉強していなかったので対応には苦慮しました。
そのことが却ってよかったようで、手探りで対応してきて、人として出会えたと言う事が言えます。
人としてきらっと光るものが有ったと言う、そのことを素手で向き合ったから見つけられたということはあります。
日々凄く楽しくて、彼らと出会う中で人間を本当に見直しましたね。
その人のそばにずーっといたいと言う、そんな気持ちになりました。
60歳で定年退職したが、人間について教えられたと言う事と、一番良かったのは自分が自由になれた、規範に縛られていたが、彼らに接して一つ一つ取れていきました。
おもらしをする子がいて10分置きにパンツを脱ぐ様な子で、こちらは履けといって、そんな繰り返しだったが、天気の良い日には履かないで大の字になって気持ち良くしていて、ひょっとして彼の方がその時その時、いい時間を過ごしているのではないかと気がついて、パンツを履かなくてもいいのではないかと思って、穏やかな目で見られる様になった。
私自身が生きることが楽になった感じがしています。
定年退職したら彼らと別れるのが淋しくて、彼らと一緒に生きていきたい、そのためには彼らと一緒に働く場を作ろうとパン屋をやろうと考えましたが、実際大変でした。
最初は10人と一緒にはじめました。
声がうるさいとか目ざわりだとか、色々苦情がきました。
彼らの持つ雰囲気が、ちょっとずつ地域の方の雰囲気が変わってきました。
新聞で障害のある人と一緒に生きていった方がいいと日々発信しているのですが、そういったメッセージが伝わる内容のものをいれています。
(AKBの娘が辞めた時に押し入れに首を突っ込んでワーワーと泣いた事とか、色々なエピソード)
一人一人の理解が深まってきました。(毎月6ページの新聞)
パンは始めるまえは絶対売れると思っていたが、売れなかった。
店では一斤340円、スーパーでは120円で、売れなくて、翌日半額にして売る、という繰り返しでした。
或る日、障害のある方の親が見学に来て、そのかたは一部上場の役員の方で、経営が全く下手糞だと言う事で毎週アドバイスを言いに来てくれました。
赤字が怖いぐらい増えていて、まず資金繰り表を作れと言われて、資金繰り表を作って、先ず不安が解消してきて、データ表を取る様に言われてデータに合わせて数量調整して行って、3年目に黒字になりました。
美味しいから買うと言うストレートで勝負しようと思っていて、だから天然酵母に拘って、おいしいものを作るとちょっとずつ売れるようになり、好循環が生まれました。
カフェをやる時に接客をどうしたらいいか判らず、講師を呼んでセミナーを開いた。
接客マニュアルが有り、その通りにやるとその人ではない様な感じでそれは辞めようと思った。
お客さんが不愉快な思いさえしなければ、後は自分で考えてやりましょうと言う事でスタートしたが、それが却って受けました。(ありのままの姿こそ魅力が有り、人の心を癒したと思います)
彼らの魅力は社会を変えるチカラ、そういうものを感じます。
出会いが生まれ、「ぷかぷか」のファンが増えてゆきました。
今は彼等に支えられている、彼らがいなければただのそこらにあるパン屋です。
60歳過ぎてこんなに楽しい人生を送るとは思わなかった。
相模原事件の容疑者は障害者なんていない方がいいと言っていますが、「ぷかぷか」は彼らと一緒に生きていった方がいい、その方が得だと言っています。
一緒に生きていった方がいいという事実を作ってゆく、「ぷかぷか」は日々その事実を作っていると思うんです。
パン屋の働いている人と、地域の人が一緒になって芝居作りをやっています。
彼らがいることで、できてくるものが幅が広がって、豊かになってくる、彼らがいることによって出来る芝居だと思います。
彼らがいた方がいいという具体的なメッセージです。
そういう事を作り続けてゆく事が相模原事件を越えてゆく社会を作ることになるんだと思います。
彼らがいてからこそできる文化だと思います。
有りのままでいられる職場、世界の都市の名前をずーっと言う事ができたりする、おしゃべりが得意な子がいてそれに対してファンが出来、行列ができたりして凄いなと思います。
「ぷかぷか」は彼等に社会が合わせて行った方がお互い楽になると考えています。
仕事をやりながらも楽しい事をやり続けることが凄く必要なんだと思います。
広めてゆくためには、いいものを作ると言う事と、彼らの魅力を活かす事だと思っています。
規則は大事だと思っていなくて、ゆるい所が大事かなあと思います。
作るものは妥協はしない、健康な命を未来に引き継いでゆく、ここは外したくない、お客さんが安心して食べられる、ここは外せない、そういう思いでやっています。