田部井淳子(登山家) ・「自然を楽しむ~山から学んだこと選」
世界最高峰のエベレストの登頂に女性として初めて成功した田部井さんが今年、10月20日癌のため埼玉県内の病院で亡くなられました、77歳でした。
田部井さんは福島県三春町出身で、大学を卒業後に本格的な登山を始めました。
昭和50年には世界最高峰のエベレストの登頂に女性として初めて成功したほかアフリカ、キリマンジェロやアメリカのマッキンリー(デナリ)世界の7つの大陸の最高峰の登頂にも女性として初めて成功しました。
田部井さんは内外の沢山の山に登りながら、環境保護の活動、東日本大震災の後、登山を通して被災地の復興支援や被災した人達の応援に力を尽してきました。
ラジオ深夜便の「自然を楽しむのシリーズ」では、今年の3月までの4年間、毎月一回山登りの楽しさや山から学んだことを田部井さんに話していただきました。
その中から3回分を選んでお聞き願います。
40年前の5月 昭和50年5月16日、 世界最高峰のエベレストの登頂に女性として初めて成功。
最終キャンプ地8500mから 頂上までは標高差で350m。
天気は良くて風もそれほど強くなく、気温は-20~25度ぐらいで、朝には雪がやんで、40~50cm積もっていました。
出発は5寺50分、酸素ボンベを2本(7.5kgを2本、)魔法瓶とか非常用具で22kgの荷物を背負って行きました。(体重は43kgでした)
テントを出た途端にいきなり急斜面が有りました。
ピッケルで雪をかき下ろして、膝で踏んで足で踏みます。
少しづつ前に進みました。
8700mのところの南峰でようやく2人(シェルパ)で立っていられる所が有り、そこで初めて休みました。
そこからガクンと降りますが、ナイフの刃の様になっていて、ナイフの刃の様なとがっているところを手で持って、アイゼンの先のつ目だけで身体を支えるように側面を20mぐらい下って行きました。
ナイフの先は中国側が見え、股下には2000m下には第二キャンプが豆粒のように見え、中国側を覗き込むと5000~6000mがドーンとおっこっていました。(ピッケルは使えなかった)
20m降りるとようやく両足が立っていられる幅が有って、そこから5mのオーバーハングした岩が有って、苦労しながら岩を廻り込んでいきましたが、帰りはどうすればいいのかと思いました。
すでに36人が行っているので、自分もいけないことはないと思いました。
兎に角今の一歩を頑張ろうと足を引きずりながら行きました。
山頂に立ちチベットのロンボク氷河が目の前に広がっていて、あーっもうこれ以上登らなくていいと思いました。
地球の一番高い所から見た風景、自分の目で見たこと、自分の足で一歩一歩歩いたからこの風景が見れたと言う、あの凄さは感動的でした。
ネパール側は雪と氷で出来た山々が林立していて、チベット側は起伏の緩い白と茶色の風景が延々と続いているチベット高原。
「サスケネー(差支えない、気にすることはないと言う福島の方言)は魔法の言葉」
31年前、旧ソ連のパミールの7000mの山を3つを登った山の話。
夏の限定された期間に登ることができた。
世界から300人ぐらいが集まりました。
真夜中にバスでスタートしました。
女性だけのチームなので期間を延ばしてほしいと交渉して1週間延ばしてもらいました。
コルジェネフスカヤ、コミュニズム、レーニンと言う山でした。
ベースキャンプからは2つは登れましたが、もう一つはヘリコプターで行かないといけない山でした。
チームの二人は30代の7000m級の山は登った事のない人達でした。
頂上に行った時は二人は歩く速度ががくんと落ちてしまって、這ってでも登ってこいと怒鳴りました。
頂上では3人で抱き合って喜びました。
降りるときは疲れていたので事故のない様に暗くなってようやくテントにつきましたが、二人は疲れきってしまって座ったきりでした。
サスケネー、サスケネーと言ってやりました。
なんかわからないけどホッとしたと言われました。
これ以上進めないとか、遠征の中で困ったことがいっぱいありましたが、サスケネー、サスケネーと
自分に言い聞かせるときもありまして、乗り越えられたのかなと言う気がしました。
最初の7000mの山をクリアした後は、後の二つの山は大分楽に登れました。
「山からもらった元気を沢山の人に伝えたい。」(最終回)
癌になって余命 3カ月を告知されたが、克服。
故郷福島で東日本大震災で大きな被害を受ける。
76歳になりました。
193カ国が国連に加盟しているが、76カ国の山に登っていますが、5月にインドネシア、スマトラ島の最高峰クリンチ山に行く予定にしています。
グリーンランドに行ったことが無いので行って見たい、アフリカも行っていないところもいっぱいあるので興味があります。
被災した福島の高校生徒と一緒に富士山に登る計画をしました。
達成感が得られる、仲間ができる、無理と思っていたけれど一歩を諦めない限り頂上に立てるということが判って、これからどんなことが有ってもこれを思い出して、やり遂げていきたいという感想をもらって、1000人になるまでやりたいと思っています。
3月半ばに大熊町に住んでいる人が会津若松、いわき市に避難されている方達と福島県沼尻温泉のスノーハイキングすると言う事で集まってもらい、ハイキングして温泉に入って楽しんでもらう。
出会いの場にもなったりしまして、良かったと思います。
首都圏に避難している人に声をかけて埼玉県の天覧山で東北応援プロジェクトの企画として山に登ったりゲームをしたりしました。
三春町に泊って桜を見て楽しんでもらったりすることもやっています。
「歌のステージ」 山に一緒にいっている5人の人達と、シャンソンの練習をしているうちにコンサートをやろうと言う事になりました。
「怖いもの知らずの女ステージ」別名 「AKB」(あっちもこっちもばあさんだらけ)
メークをして大変身しました。
佐渡に行ってやることにもなっています。
山に登る魅力、屋根の下ではないと言う事が大きな魅力で、雄大な自然の中に自分がいると言う事が凄い魅力で、あーっ生きていると言う事を感じます。
帰ったら又頑張るぞと言う気になります。
一歩一歩が本当に辛いんですが、この一歩を一生やっているんじゃない、だから今この一歩を頑張れと、そういう気持ちを味わえるのは自然の中だなあと思います。