2011年10月10日月曜日

米長 邦雄(68歳)         ・人生勝負の勘どころ2

米長 邦雄(68歳) 人生勝負の勘どころ
日本将棋連盟会長 1100勝 史上4人目
コンピューターとの勝負 毎年5月に世界選手権がありそこで優勝したチームとプロ棋士が戦う  
第1回目は渡辺彰 プロが勝つ 第2回目は清水市代女流NO1 負ける
1/14にコンピューターと戦う 今度は私がやる 70歳を目前にして挑戦したい
(予想ではコンピューターが勝つとの予想 対戦し実際に100何手かで負けてしまう)
カスパロフ チェスの有名人 チェスではコンピューターに負ける
1秒で400万手を読む 一回でも不利になると負けてしまう 兎に角有利に事を運ぶ必要がある 
コンピューターの代わりに指し手が居るがその人がどのような人かによって100%能力を発揮できるか
70%ぐらいなのかが決まる

相手の緊張度合とかどの程度本気になって指そうとしているか、変な動作をされるか(気が散る)
でこちらの能力発揮の状態が変わってくる
将棋盤の前に誰が座っているか という事は3割くらい勝敗の行方を左右させる 
目の前に座っている人が物凄く一生懸命考えていてなおかつ姿が見えない
気にならないがいいんですけれども 
ゆとりが素晴らしいものだった 教育によい 教え方が難しい 教えないと言う事が正解だった 
生きる力を育むこと 学力とは違う  (一週間で2時間有る)
大震災が来たときにどう生き延びることができるか 
生きる力を育むと言う事は洞察力と全く同じ事 一番いい授業は将棋であるがそうもいかない 
将棋の次に良いのが座禅 
座禅を組むと良いが教育にプラスなのかマイナスなのか無駄なのかという事なんですね 
今の教育は座禅は無駄という事になっている 何もしないから
座禅というものは自分自身いろんな事を考える 

迷いだとか悩みだとかどんどん捨て去って自分自身が考える事も捨て去って自分自身を捨て
去ったのが悟りなんですね
座禅は悟ると言う事 自分自身が無い 無我の境地 俗人は自分があって我欲があって 
金が欲しいあれが欲しい、名誉が欲しい等となる 
何も無くなったらどうなるかというとそれが禅の修行の究極なんです 
学校の勉強から見ると全部捨てちゃったと言う事は馬鹿なの、無学なのという事になる
試験等0点 そこに禅とか心の修養とか生きる力というものと、勉強 学問というものとの違いを
はっきりとしっかりと判らせてやってそのうえでゆとりというものを入れたんだと
実はこれは心の時代なんだとこうすればよかった 
ラジオ深夜便をそのまま持ってたら良かったんですね 

これを聞く事が授業だと言う事が一番良かったんでしょうね
今は少しでも知識があれば学力が上という事ですよね そうではない 
問題は知識をひきだす知恵なんです 知恵を身につけるのが実はゆとりだった
知識を身につける勉強、学問とそれをひきだす知恵を育むのがゆとりだったんですね 
私は少数意見になってしまって残念ながら負けたと言う事になってしまった
国際学力テストで日本は下がっているが決して知識は下がっていない、知恵を使うと言う応用問題
が落ちた
日本の子供たちが一番落ちたのは何かというと知恵を使うと言う事 教育でない場で育むべき
なのかもしれないが それが一番大事なことだと思いますね
デジタルは間違っていると思う アナログの尊さを知ると言う事が大事  
ラジオ深夜便が好きで この人の声の出し方 、しゃべり方でこの人好きだなあとか
この人の云っている事は本物だなあとか 綺麗事を云っているのでこれは偽物だなあ 
とか人それぞれいろんなものを感じると思う

どう感じるかというのがアナログの世界 デジタルは綺麗なものだけが出る そうではない 
そこに問題がある
ものを知る時にインターネットで検索するが 昔は辞書を引く (今は死語になってしまった) 
検索とは違う 知る為の無駄な作業がある しかし無駄がこの世の中で非常に重要
無駄を排したものが何かというと自然の時間を人間が 無駄を廃して人間の時間に合わせてしまっている 
温暖化とかいろんな問題が有りますでしょう
春になると桜が咲く 自然のサイクルがあるがそのサイクルと人間の生活がマッチしなくなってしまった 
(枯れ葉はごみ)まどろっこしいと燃やしちゃえと言う事になってしまった 
地球の温暖化だとかいろいろ言われているが 自然のサイクルを人間が人間の時間に替えてしまった 
無駄だ、まどろっこしいと それでいろいろな問題が起こっている

デジタルは人工知能 アナログというのが人間の心 人間の作った脳みそか人間が持っている心か
 今こそ心を大事にしなければいけない 
今年はいろんな事が起きた 人間の心がデジタル化され、ちょっと行き過ぎじゃないかと云う天の声
じゃないかと思う
北原白秋の詩  「かごろばに 沈みて匂う夏霞 若かる我は 見つつ観ざりき」 
白秋は晩年失明する 
古里に帰ってきて 失明する前の年に詠んだ詩
視力が衰えてきたのでおぼろげに見えてきたのであろう  
「かごろば」とは夏に黒っぽく見える葉っぱが覆っている山 
「若かる我は」 子供の頃の自分(白秋) 子供のころに如何してこの様な美しさを判らなかったんだろう 
「見つつ観ざりき」 「見つつ」目で見ていて 「観ざりき」心で観ていなかった
 「見つつ観ざりき」→この詩の一番の現代社会に問いかけた詩だと思う
美しさを 見つつ(子供の頃は見る事が当たり前だった ただ見るだけ 感じていなかった) 
 観ざりき(心から観察  感謝の気持ちで観る) 
ものを見るときに デジタルという生地を活用してみるのかアナログで見るのかという事に
決定的な人間形成に違いがあるのだろうと思っている  知識と知恵の違い

一番求められているのは心のあり方だと思う 鉛筆とかペンを持って字を書く  
今は字を書くんではなくて打つ、クリックする  
矢張り 字を書く 辞書を引く これが大事な作業だと思うんですね
白秋は歌人であり 一字一句 万感の思いで語っている
70歳過ぎたらどう生きるか 私自身過去を振り返らない事にしている 
馬鹿な手を打ってしまった→形勢が悪くなる(順調にきたのが躓いてしまった) ここでどうするか 
人生順調に行った エリートコースを歩んでいる 変なことで躓いちゃった 駄目になっちゃった 
ここでどうするか ここが大きな問題なんですよ
将棋の場合 勝った後どうするか、負けた後どうするか がある 有利な時どうするか 
不利な時どうするか がある

形勢が有利な時→平凡  当たり前  自分が悪い事さえしなければ必ず勝つ 
優勢が拡大していって勝利に繋がる 決めるべき決めないとまずい(勝負処がある)
 安全策は良いが消極策は駄目  安全と消極は混同しやすい あれが気になる 
これが気になる こうされたらどうしよう 気になって来ると大体迷いが有って躓きの元
英断とか決断がどこかである・・・ 優勢な時
不利な時→将棋の場合 相手が間違えないと勝てない 間違えさせる手が一番 辛抱する 
時が来るのを待っている  優勢な状態から不利になるときどうするか
一番大事なことは過去を振り返らない (ああやっておけばよかったのにな) 
将棋が終わってからやればいい (対局中は生きているから 生きている間は反省しない)
生きている間は前を見る ああいった事だけはやっちゃあいけないと言う事は心得ておく 
今ある局面で何が最善かという事を探して前に進む事が大事なこと
後悔ばかりするのは益にならず まったく益にならない 

ただ反省すると云う事は賢い事なので
 反省する 勉強する 振り返るという事はあっても
結論が出た時にはすぐに前を向くと云う事が大事なことですね 
いっつまでも引きずっている人がいる 過去を振り返ってくよくよするのは良くない→
大体負けになる  今ある事を肯定して前に生きると云う事が大事ですね
負けた時→負けが続いた時 負けたのが何か 二つ ①弱い  ②スランプ  
どうなのかを見定める  
原因が有るが→それ原因の為だから弱い→技術の勉強をする 
スランプ→強くなることはない 自分の実力が発揮できないから負ける 

精神的なものだけ ・・・将棋の事を考えるのがタブー(好きなことをやって将棋から離れる)
まったくの気分転換をする 将棋から兎に角離れる 
そうするとまったく違う自分があって、普通の自分にもどっているので、将棋をやればスランプは
切り抜けられる 
本業でしくじった人はどうしたらいいかというと 人知れず遊びに行くと云う事ですね  
30~40歳代が強く 今は弱くなっているがもう一度強くなりたいと思っている
(コンピュータとの対局を控えている)
弱くなったのが元に戻れるのか それに挑戦しようと思っている その様な夢を持っている
「生涯青春」「若さと笑い」 (兎に角前だけ見る)