2011年10月9日日曜日

米長 邦雄(将棋棋士)       ・人生勝負の勘どころ

米長 邦雄(将棋棋士68歳) 人生勝負の勘どころ
日本将棋連盟会長 人生に余生はない  60歳までは修行期間それを離れてからが本業離れて
から 人生の勝負である それが幸せかどうかが決まると思っている
タイトル獲得数19期は歴代5位。永世棋聖の称号を保持
70歳からがどうだったかが問題  将棋の実力 40歳までは強くなる(ピーク) 50歳になると昔の方
が手が良く読めたなあと思う
60歳になると「あかん」 確かに40歳代の方がつよかったなあと明らかに判る 
問題は将棋から離れた人生をどうするかという事
大山康晴坂田三吉 は60歳代でも強かった  

昭和10年に7番勝った方が名人にしようと制度が変わった 第1期が木村義雄という名人
坂田三吉だけは参加していなかった ファンからの要望もあり坂田三吉(66歳9カ月)が名人戦に
挑戦することになる  
名人戦への挑戦権は8~10名でリーグ戦を行う 坂田三吉は2年間指した 
最初の年が2勝6敗 翌年5勝2敗 二期目のリーグ戦が終わった時の年齢が69歳9カ月
ほぼ70歳でトプクラスに居た 大山康晴 60歳目前までタイトルを持っていた 
米長と対戦してタイトルを失ってしまう 70歳でトップ5に居たが癌で亡くなってしまう
来年 コンピューターと対戦することになる

現在 前立腺がんになっている  PSA値が4.0が上限 4.0の数値を突破した 
癌の疑いがあると言われ細胞を採取して検査したところ4/12か所が癌だった
患者が治療方法を決める 5通りある ①手術して全部取ってしまう ②放射線を当てる 
③ホルモン治療 ④放置(75歳以上は放置の方がいいと一般的に言われている)
私は放射線治療をすることにした 再発の可能性もある 全て責任は自分にある 
治療開始 ある時8.8になった(これも定めだと思う) 2.2にもなる 現在薬を飲む 
大事なことは決断 結果については全て自分の責任 将棋の素晴らしいところは洞察力 
これが一番いい手だと見抜く力 

何故そういう考えに基づくかという大局観が大事 後は迷わない 最後の決断は「感」です 
決断できない人が居るが決断できない人は過去を振り返る
過去と喧嘩しても何にもならない 未来が問題 
自分はこうすることが一番いいだろうと思ったらもう迷わないと言う事です 
何で癌になちゃったんだろう こんなことを考えてもしょうがない 
どうしたらいいんだろうとは考える 自分はこうすることが一番いいだろうと思ったら
その様にして後は迷わないと云う事です  
洞察力、決断、これが非常に大事なこと NHK杯30秒で1手 3時間かけて1手を指すような対局もある 
1局の対戦は平均130手ぐらい お互い65手ぐらい指す

65手のうち63手ぐらいは同じ(30秒限定と違う場合と) 2手ぐらいは違うがこれが大変 
もう少し時間があればこんなことはしなかったのに、という事がある
これはプロにとって大事なことであり、致命的な手になってしまう事もある 
時間があると迷ってしまう場合も又有る。
将棋はインドが発祥の地 インドに原形が有った 世界に広がって40種類ぐらいある 
一番人口のおおいのが中国の将棋 次に多いのがチェス 3番目が日本の将棋
盤上の戦争 死者が出ると外に出されてしまうが 日本の将棋だけ死人が出ない 
相手の取った駒を捕虜として使う 捕虜を使う時相手の肩書でつかう
王が真ん中にいて金、銀、桂馬、香車とあるがこれは仏舎利の配置と同じなんですね  
それらは宝物なんです 宝石をいかに活用するか

中国の将棋とチェスは似ている タイの将棋が日本の将棋に似ているのでタイの将棋を日本が
改良したのではないかと思う
馬は世界共通で端から2番目に置いてある 馬は独特な動き方をする 
ぴょんと跳ねる チェスの場合はナイトという、馬に人間が乗っていて槍を持っている(本当は馬)
日本の場合も馬なのだが「圭」をつけた 桂(かつら) 
日本に伝わったのは仏教伝来と同時期であろうと言われている
お釈迦様と日本の神々とどっちがえらいのだろうかと考えたがどちらも偉いのだろうと言う事に
なったのでは  どちらも素晴らしい おそらくこういう国も珍しいのでは
敵も味方もなくて 死者を一人もださないという事はその辺りから来ているのではないかと思う  
共存していて排他的ではない

東京都の教育委員を担当している
将棋は教育上いいものであると思っている 学校教育の中に将棋をとりいれる事はいいことだと
考えている
将棋が強くなることと勉強が出来るようになる事はまったく違うこと
強くなる方法には2通りある ハイキングに行くにはどれがいいかという勉強方法とエベレストに登る
にはどうしたらいいかという勉強方法 という2通りある
学校だとだれでも同じところに登れるようにする 
将棋の場合どこまで強くなりたいかによって勉強方法が全く違う
今の学校の教育はみんなこのくらいの山を登れるようになろうと言う教育ですね 
こういう方法だとタイトルを取ることはできない
 
目からはいるもの、耳からはいるものは2番目、3番目の事 教科書があり、先生が教えてくれるもの 
目からはいり、耳から入りと全て二の次三の次
一番大事なことが何かと言ったら 今ある将棋の局面をじっと見て何が一番いい手って何だろう 
どれが最善の手なんだろうかと答えを自分の頭で考えた時間がどのくらいあるか
という事  時間の長さがプロの実力を決める 私はそれを5000時間ぐらいだろうと思っている 
一日に将棋に費やす時間が3時間とすると 約1年で1000時間  5年間
最初は先生の云う事を聞いた方が伸びる がそのうち自分で考えていた人の方が全然違ってくる 
温室で肥料を与えられてぬくぬくと育つのと路地もので勝手に生きろと野菜のようなもので先生
の云う事を聞いていた方が早く伸びる その方がよさそうに見える
会社で採用試験を受けても素直でいいなそっちを採用しよう となる 
そこまでは ところが25歳 30歳になったらどうなるか
 
路地ものの方がおいしそうなもの見つけたな
という事になる 実が全然違っちゃうことになる 
脳みそに汗をかかせる時間がどのくらいあるか それには
一つの局面を見てその局面を脳みその中に入れて目を閉じて耳を塞いで雑音を全部入れない
でじっと考える 
その総合計ですね 学校はそういう事を教えられない
世の中に役立つ、人に抜きんでた人材を育てるにはそれが必要だと感じる 
昔の人はそうだったんだろうと思う 子供のころにどんな勉強していたか
江戸、明治時代 読み書き算盤だったと思う 読み書きは論語、漢詩、古文 意味が判らないが
毎日毎日読む  そういう風な勉強をしていると人間も大きくなる
昔の人の方が洞察力だとか決断力だとか 人間的な大きさだとかに はるかに叶っていた
勉強方法だと思う

私は中学1年から家弟子だった 師匠は上から30番目ぐらいだった 
ある時に教えてもらう事に お断りしますと言ってしまった(天才だと思っていた) なんでか
私は日本一を目指すんです 先生の癖が付いてしまう 師匠どまりになってしまう 
昭和31年の話 ゲンコツがきてその後師匠が「そう言われればそうだな」といった
(もし私が弟子にそう言われれば破門にしたかもしれない)師匠は尊敬していたけれども人間臭い
処が有った
児童の保護者が「私は学校の先生を尊敬しております 信頼しています 
「学校にお任せします」こう言えば学校の先生は、全部元気になって教育が全て良くなる

保護者の姿勢が教師を苦しめ教育を駄目にした それだけがマイナス マイナスが全てなんです 
もしも学校で何かが起きたら、それは保護者の躾だとか教育だとかあるいは本人が悪いのであって
学校には責任はないんだと言う事をみんなが思えば教育は良くなる
残念だがそれがうまくいかない それが学校の実情です 学校教育につきましては 
保護者の姿勢と教え方が問題が有るんだろうなと思いますね
画一的に教育するのが問題 地域、地域(サラリーマン、山の中、農業、漁業等)の生活に合った
教育は違うと思う
小学校の時までは農村に居て私は伸び伸びとそだったと思う 
長兄はリタイアして将棋を教えている 一緒に兄弟で将棋を始めると弟の方が強くなる