2011年10月19日水曜日

津村節子(作家)         ・夫とともに作家人生2

津村節子(作家)   夫とともに作家人生
明治29年から昭和8年から、100年もたっていないのに大きな地震津波が来る
26360人の人が亡くなっているのがかつてあった 吉村が40年まえに書いた 『三陸大津波』
田野畑村(鉄道を乗り継いで3日掛りだった)へ行った リアス式海岸絶景 津浪には困る   
よく津波の話を番屋で吉村は聞く  旅館は高台に有り高さ50mまで水が来たと言う事だった 
津波に興味を持つ  
村長、宿のおかみにも津波の話を聞いて物凄さを知る 調べ始めて随分と三陸海岸を歩く 
割合しばしば津波が来ている実体を知る
それなのに又街ができちゃうんだよなあという 自然災害は必ず来る  
防ぎようがない と云っていた 

自分で書きながら物凄い堤防が出来ている「たろう」なんかは海の景色が見えないようなところも
あるし、全然対策を取っていない所もある
避難路も用意してある所もあるし、避難路を用意していないところもある 
吉村としては津浪は必ず来ると言っていた
一生懸命 津浪に関して調べて 津浪とはどんなものかを知ってもらいたいと吉村は思った
目に見えるように 津波の状況を書いている 迫力がある
「海水が徐々に引き始めそれにつれて沿岸の川の水は激流のように飛沫をあげて走り、 
海に吸われていた 海水の引く速度は急速に増し湾内の岩や石が
生き物のように海水とともに沖に向かって転がり始めた 
岩が「ぎや」とすさまじい音響を立てて移動してゆく 
たちまち湾内の海底は干潟のように広々と露出した

沖合に海水と岩の群れを押し上げた海面は不気味に盛り上がった 
そして壮大な水の壁となると初めはゆっくりとやがて速度を増して海岸へ突進し始めた
壁は海岸に近ずくに連れてせりあがり一斉に砕けた
 家々には地震で起きた人々の手でともされた灯りが点々と連なっている
屹立した津波が諮意の水煙でかすませながら村落の上に落下したちまちにして火はたえた」
吉村は見たわけではなく聞いただけ 情景の描写 資料はあるが記録を見るよりも迫力がある  
40年前に書いている どういう方たちがどう読んでいたのか
吉村が生きていれば三陸海岸をつぶさに歩いて克明に災害の様子を調べた通りに書いて
こういう作品を書いた事で警告を発したと思う
こういう風に津波は来るんだと 予告はこういう風に有って 水はこういう風に引いて 
波はこんな風に高くなって それはどんなふうに押し寄せて来るか
を克明に描いて これだけの被害があったと 何人亡くなったとか 何軒家が流出したとか 
今度こそ皆に読んでほしいと吉村は思ったに違いない

作家としての吉村の出来ることは 広範囲な所を救う資力は無いが作家として出来ることは
そういう事だったんじゃないですかね
阿川佐和子が対談で作家同士でジェラシーはありませんかと尋ねた事がある 
吉村はないですと言う 4回も芥川賞の候補になったが女房が先にとって
もう離婚するだろうと言ったけど僕はしめたと思ったもんね と言っている 
何でまたと聞くと これで勤めから解放されると言う 女房によかってねって
僕は1年間ひもになるからな て言って小説に専任したのと言っている 
まったくの本心ではないと私は思っている 矢張り自分は4回落こっている
周りで見る目がその当時の日本の社会というのは男性が優位の時代でしたから私が先に取った
と言うのがまずいことになったなあと 吉村が先に取ってくれれば
おめでとう おめでとうで私も凄い嬉しかったと思うがそれが逆になってしまった事で私も肩身の
狭い思いをしていた 吉村はここでひもになると阿川さんに言ってるが
芥川賞を貰うと注文が一杯来まして 本も売れるし、吉村が勤めていて生活を支えていた 

全然書く暇がなかった おまけに兄の会社で専務取締役をやっていた
割合重要な仕事をしていたのでとても時間的な余裕はなかった 
寝言で経営不振がどうのこうのと言う 
これでは小説が書けなくなるので仕事を止めてほしいと要望した
務めていても書けないわけではないと言う 1年間休暇をやると言われる 
期限付きで死に物狂いで小説を書く
集中する時間がないと書けない 夜型です 明け方まで書くとかあった 
小説を書くには気力だけでは駄目 体力がないと
30年間健康ヨガをやっている 呼吸法、とあらゆる筋肉を動かす (逆立ちをしたりひねったり) 
毛細血管まで新鮮な血液が行きわたる考えでやっている
私が白髪が1本もないのはヨガのせいだと思う 
足がはやいのも病気しないのもヨガのせいだと思う

週一回 午前中に教室に通っている 好き嫌いはない 体重は45kg だが吉村が亡くなった時は
5kg以上減ってしまった 回復はしてきている
吉村は戦史小説は生きている人が居なくなってしまって取材が出来なくなり歴史小説を書くようになる
 歴史はドラマでありそこにフィクションは要らない
荒唐無稽な小説は時代小説 一般的には実在の人物を元にフィクションを入れるが吉村のは
事実のみ
桜田門外の変の時に雪が何時止んだかを商人の記載したものを探して事実確認をするほどである
私の場合は物語を書きたい 少女時代の自分を例えば戊辰戦争の時の少女に置き換えて歴史の
事実は其のままに書く
吉村が遺言みたいに長崎で上野彦馬という写真家が居る 
長崎は海外の文化が唯一入ってくる場所 写真技術も長崎に入ってきた
ニコライ皇太子の写真を撮っている 私に書かせようと思っていた 
戦時中のこと物資がなく (幕末に近いようなやり方で写真を私はやっていた)
彦馬の資料は全部そろっている 長崎には吉村は107回行っている
 50回は一緒について行っている 
書くかどうかは現時点では判らない