2016年11月16日水曜日

内館牧子(脚本家・作家)     ・今やりたいことを最優先に

内館牧子(脚本家・作家)     ・今やりたいことを最優先に
68歳 朝の連続TV小説、「ひらり」や大河ドラマ「毛利元就」等の脚本で知られています。
昨年内館さんの書いた「終わった人」は定年を迎えた主人公のその後生き方を描いたシニア世代の話題作となっています。
その内館さん、武蔵野美術大学を卒業後、OL生活を経て40歳で脚本家デビューしました。
多くの作品を手掛け売れっ子作家として活躍しました。
2000年には女性として初めて横綱審議委員会のメンバーとして10年間務めたことも話題となりました。

「終わった人」 13万部の売れ行き。
主役は63歳 田代壮介。 東大出のエリートで大手銀行の出世コースから子会社に出向、転籍させられてそのまま63歳で定年を迎える。
何でもいいからと職探しをするが、特技もない定年後の男に職はなかなか無い。
或る友人をきっかけに仕事をすることになる。

物凄く反応が大きいです。
90代、80代の人が感想を寄せてくれる人が多くいます。
みんな同じような思いで会社を辞めて幸せそうな顔を見せて辞めてゆくんだろうなと思いました。
定年後に孫と遊んだり、妻と温泉に行ったり、趣味やボランティアに生きたり凄く楽しいと言う人もいるかと思いますが、孫は直ぐに大きくなるし、妻はそんなに喜んで夫といつまでも旅行には行かないだろうし、男は定年後の技量、能力を活かせる場所が欲しいと思うのは当たり前だと思います。
若いものにはまだまだ負けないと言う考え方はちょっと違う気がしました。
書こうと思ったきっかけは会社に勤めていた頃、社内報の編集をしていて、定年してゆく人達にインタビューをしました。
10人中10人がこれからが楽しみですと言いました。(20代の頃)
40代のころには、本当にそうなのかなあと思いました。
60代になって、クラス会、サークルの集まりがあり、そこに出ると、エリートだった男性、物凄い美人だった女性、みんな大差は無いんです。
横一列に並んで終わって着地点が一緒だったら、そういう話が書けるかもしれないと思いました。

エリートであった人達はここまでくるプロセスは華やかで突然終わると、どうしていいか判らなくなる辛さは見てとれました。
世代交代はあるわけで、これは大きなテーマだったと思いました。
サラリーマンとして、成仏するまで仕事をしたい人は仕事をした方がいいと思います。
趣味、町内の仕事をしようとやりたい人はいいんですが、仕事をしたい人は仕事をすべきだと思います。
自分に与えられた場を最優先にして、仕事だと思ったら、仕事をして終わった時にやるだけやったと思います。
思い出と闘っても駄目、勝てない。
自分にとって最盛期の黄金時代を思い出すが、それには勝てない、思い出とは戦わない。
はやった言葉のネバー ギブアップは過剰にもてはやされていると思う。
相撲を見ていると、よくわかる、佐田の山は全然辞め無くてもいい状態の時に辞めてしまった。
しがみついて頑張って落ちて、又上がると言う様な繰り返す人がいるが、日本人には散り際というものがあって、深追いしてかっこ悪くなるよりも散り際は大事だと思います。

8年前大きな病気になり、13時間の心臓の手術をして、このままかも知れないと思ったが、40代、50代などにちゃんと仕事をしておいてよかったと思いました。
その時点で立っている段階で自分が優先順位をつけて、やりたいことをやると言うのは思い残すことはないことかもしれません。
以前は夜も仕事をしていましたが、今は日中仕事をして、午後5時ごろには止めます。

武蔵野美術大学を卒業後、会社に入社して広報、社内報の仕事をしました。
その時に沢山の人に会いました。
女性は補助的な仕事をする時代だったので、このままでいいのかなあと思って、大相撲の仕事をしようと思って、電話をしたがすべて断られて、文章を書くのは早かったので、プロ養成の学校に入って勉強しました、シナリオライターが作家の一種だったことに気が付いて、恥ずかしくてできないと辞めてしまった。
ゴルフを始めて、クラブを買う前にメンバーの会員権を買って、まわったがゴルフが好きでないとはっきり判りました。
又学校にいって、一生懸命やって、試しに書いて雑誌に出したら佳作をもらった。
たまたまNHKのドラマ部のひとから連絡があり、若い脚本家を育てようとしているのでメンバーにならないかとの事でNHKに夜通って、時間がなくて会社から電話で打ち合わせをしたりしました。
1988年 本格的にデビューしました。
民放の方から声を掛けられて、「薔薇」という仕事でした。
2時間ドラマで200字詰め原稿用紙で、200枚位ですが、1700枚書きなおしされました。
あんたは脚本は下手だが、一ついいところがあって叩かれ強いと言われました。
「ひらり」 視聴率42.9% 相撲好きな女の子の話でラッキーだった。

2000年から10年間相撲審議委員会を担当する。(51歳で女性で初、他の人は60~70歳代)
或るとき時津風理事長からお使いの電話があって、豊山が反物一反かかえて家に来て、反物を開けてみたら双葉山の浴衣で、何の用かなと思ったら、30分以上麦茶を飲んだりしていてようやく、相撲審議委員になって欲しいと言われて、そこで直ぐになりますと言いたかったが、ちょっと考えますといって、その後お受けしますと言いました。
10年経って女性がその後担当しないので、懲りたのではないでしょうか。
朝青竜とはバンバンやったし、クールビズでノーネクタイで内閣官房副長官が土俵に上がったので、審議委員会で聖域でしょうと、猛烈に怒りました、懲りたのではないかと思います。
3年間仕事を休んで東北大学大学院に行って宗教学で相撲の事を勉強しました。
今も東北大学の相撲部の総監督をしています。(以前の様に何回もいけなくなりましたが)
力士が落ちてきてアバラを折ってしまったこともあり、ドクターストップがかかってあの席は止めてほしいと言われてしまいました。
希勢の里が好きで、柏戸の様な感じがします。
裏切られて裏切られてきたが、でも好きなんですね。
朝青龍は男としては魅力的な人で好きですが、横綱としてはそれとは違う立ち位置なので、横綱としても最低限のことはきちっと守ってもらう人が欲しいです。
次は女性を主人公にして小説を書きたいです。