佐々木則夫(サッカー日本女子代表前監督) ・“なでしこの力”を信じて(2)
47歳の時になでしこジャパンに来ないかとの要請があった。
悩みました、ユース(NTTの大宮アルディージャの下部組織)の監督をやっていて、2年目で結果をだそうと言う時だったので、 妻と娘が後押しをしてくれて決断しました。
女子のサッカーに向いているかどうか、娘から見ても妻から見ても好印象だった。
自分らしくやって、上手くいかなければその時考えればいいと思ってやってきました。
ぶつかることはあるけれども、双方が考えて繰り返してやって来たように思います。
女性は細かいことに気が付くので、身だしなみから気を使いました。
2回目の強化キャンプでウオーミングアップをする時に、右足のふくらはぎを肉離れをしてしまって、コーチが怪我してどうするんだと、選手の居る前で言われて、その時にかわいそうと選手たちが感じて、僕に対して優しくなって、女の子ってこういう要素が有るんだなと感じました。
食事などでもサポートが有りました。
仲間に対しての思いやりは男子よりも女性の方が凄く強いものが有ると感じました。
全力投球してみたいと思いました。
2007年監督になる。
身体能力は劣っていても技術、連携連動、などのサッカーをやっていたのでそれをやりました。
最初は徹底して、植え付けさせた。
東アジア大会で初めて優勝、北京オリンピック目標のベスト4を獲得しました。
その時までは我々主導だったが、選手主導ではなくてはいけないと思っていて、まだ半ばだったのでもう一度監督をやらせてほしいとお願いした位です。
継続して、それからは選手主導にしていきました。(4(監督):1(選手)から2:3へ)
2010年アジア大会 優勝 それからは僕がいなくても選手が相手の状況を感じながら試合運びが出来るように段々なってきました。
身体的能力は男性が10とすると女性は6~7でしょうか。
連携連動する日本のサッカーを見て世界が吃驚しました。
外から中に追い込む、ボールを奪う、それができるのは日本の連携連動、目配りが素晴らしい、切り替えが早い。
ボールが取られそうになると、直ぐにカバーに入って囲い込んで、ボールを取ってしまう事もあるし、攻撃の準備をする。
高さが違うので、ヘディングしに行くと相手にいいタイミングで相手にヘディングされてしまうので、ヘディングしないで相手の懐に入って自由を奪うことはできる。
あからさまにやるとファウルになるのでタイミング良くする。
2011年、2012年はコーナーキック、フリーキックで1点もやられていない。
あれよあれよと1試合ずつ結果を出してくれました。
第3戦がイングランドで2-0で負けてしまってドイツとやる羽目になり、ドイツとは一度も勝っていなかった。
チームが動揺した感があったが、今までやってきたことを信じて、自分を信じて精一杯やろうと言う事で、耐えながら延長になって、何とか1点を取って勝てて、成長しました。
イングランドに負けて、凄く反省して気を引き締めてドイツ(開催国)とやれたのはチームが一枚岩になって何とか勝てたと思います。
ドイツにとって勝てる相手とやるのはプレッシャーを感じるし、開催国という事もプレッシャーを感じるものです。
決勝、アメリカ、スタートして25分間は一方的に攻められました。
先制されたが、そのあと1点返したが、又1点入れられたが、又返す事が出来て、PK戦を経て世界一を勝ち取る。
世界優秀監督にも選ばれる。
澤選手、宮間選手等も大人の指導者が導いてくれたので、その人たちがいなかったら、日本の女子のサッカーの環境、選手の発掘、サッカーをする場が無かったと思う。
どんなスポーツでもシステムの広がりと質を高めるためにやって来たのでリオでもメダルが多くなってきた。
こんなやりがいのある仕事はそう人生ある中で、出来ないと思います。
嬉しさ、やりがいが多かった。
コツは、自分の枠の中で対応している。
自分が飾って言ってる時等には、彼女らは敏感に感じる。
誠実に向き合って同じ目線で話をする、鎧を付けて対応しても駄目。(相互理解)
選手の乗りに合わせることも大事、どうしたら喜ぶかという視点から考えていました。
喜んでもらうためのサプライズも色々考えてやったりしました。
選手たちが目標値まで掲げるにあたって、結構最善努力していると言うところは、常に行動、姿勢を見せている事が大事だと思っています。
なでしこは代表チームでありながら一つのチームの様な結束力はありました。
北京オリンピックでベスト4になった時には脈を感じましたが、選手たちはまだまだできないというイメージを持っていたので、これはいけないと思って、出来るんだと何度も説得して、途中からそうなんだ私達はできるんだとイメージが持てた瞬間に更にアベレージが高くなりました。
人生の中で様々なことが有ったが学んだことは多かった、「歩歩是道場」ですね。
第一戦は大事だといったことが、プレッシャーを感じてしまったのか、オーストラリア戦に敗れてしまって、第二戦、第三戦でも足かせになってしまったようで、力を出し切れなかった、我々は自分の持っている力を100%出してあげられる精神的状況、身体的なコンディションを整えてピッチに出すのが我々の責任ですが、選手に対してはいいコンディションを作ってあげられなかったと思います。
リオのピッチに立たせてあげることができなかったのは残念です。
自分自身は監督としてやってやろうと言うのはトーンダウンしているので、バックヤードでサポートしていきたいが、そのうち監督という仕事にめらめらと火がついたら、チャレンジするかもしれませんが、サポートにと言う事になるかもしれません、いずれにもチャレンジはして行きたいと思います。