保阪正康(ノンフィクション作家) ・日本万国博覧会とその時代(第35回)
昭和年40年から45年の時期で、佐藤栄作内閣に対応する。
明るい面と暗い面が極端に出ていたのではないか、人類が進歩してゆく姿と、ちょっと戸惑いながら現実と向き合うと言う形がはっきり出ていたと感じます。
高度経済成長が進んで行って、経済大国二位になってゆくが、公害が広く国民の間で病に倒れる人も出てくる。公害病として認定されると言う形になる。
影の部分と明確な形で対比できる。
米ソが宇宙開発の競争をし、アメリカはアポロ計画で月に足を踏み入れるが、一方でベトナム戦争があり、ベトナム戦争が高度成長第二期の間はずーっと続くが、これ自体が影の部分として日本の社会にも影響を与える。
アメリカとの政治外交を重視する事で、沖縄返還に成功する。
高度経済成長の矛盾が露呈してきて、四大公害病が明らかになってくる。
世代間の価値観の対立が明確になる。(若い世代が社会に異議申し立てをする)
近代日本を問い直しすると言う形の中で大阪万博が開かれて、好むと好まざるとにかかわらず、光と影を背負っていたと思います。
生活全体に豊かさがあるが、緊張感が失われて、一部退廃化するようになり、豊かな社会なりの問題点も浮き出て来たと思います。
昭和40年
アメリカが北爆を開始してベトナム戦争という形になってゆく。
ベトコンを支えている北ベトナムと戦争状態に入ってゆく。
2月北爆開始、2万の兵力が12月には37万6000人と急激に増える。
アメリカに反戦運動がおこり、日本にも波及して、ベ平連が出来て、大きなうねりを作った。
ボブ・ディランが24歳で、ジョーン・バエズも24歳だった。
日本の大学生の数が100万人に達する。
昭和41年
ほぼ一月の間に大きな航空事故が3件起きる。
ビートルズが来日。
昭和42年
イタイイタイ病、四日市ぜんそくなど、公害に取り組まなければ高度成長という光の部分だけでは世の中がおさまらなくなってくる。
公害対策基本法が出来て、政治も地方自治体が革新主体に変わってくる。(美濃部知事とか)
昭和43年
水俣病が公害病に認定される。(チッソの廃液が原因と断定)
患者発生以来15年が経過、当時患者111人のうち44人が死亡。
ベトナムでの虐殺事件がおきる。
学生運動が全国的な広がりを持つ。(授業料反対闘争など)
純粋な思いで社会全体、教育全体に異議申し立てをしていると感じました。(世界的な潮流)
公害、こういう形での産業公害に大きなショックを受けました。
10月21日、新宿で国際反戦デーでの騒乱。
昭和44年
東大安田講堂の攻防(1月)など起きたりして、学生運動も暴力化する。
7月20日、アメリカのアポロ11号が月面着陸に成功する。
「人類の非常に小さな一歩です、この一歩は小さいが人類にとっては偉大な躍進だ。」
昭和45年
日本万国博覧会が大阪で行われる。(大阪万博)
規模が最も大きく、最も多くの国が参加、最も多くの人が見学に駆け付けたと言う記録的な万博だった。
45年3月14日から9月13日 183日間開かれる。
参加国は77カ国 パビリオン数83、国内関係32のパビリオン。
人類の文化の進化、国内の文化の紹介。
アメリカでは月の石を展示。(4時間~5時間待って見学)
日本館は72億円をかける。 (建築家 丹下健三、黒川紀章など)
会場のシンボルが高さ70mの「太陽の塔」 作者は岡本太郎。
人類の生活がこういう風になるのかという事と、便利で機械化していると言う事、体を動かさなくても全部できるような時代が来るのかと言う事を漠然と進歩としてとらえていると言う感じがしました。
赤軍派によるよど号ハイジャック事件 (3月31日)
学生運動が暴力化していった中で、先端にいるグループがこういった過激派になって行ったんでしょうね。
福岡に緊急着陸して、婦人子供 23人が降ろされ、100人を越える乗客と共に北に飛びたち、韓国の金浦空港に着陸。
4月3日 山村運輸政務次官が身代わりの人質になって乗客は解放される。
11月25日 三島由紀夫 盾の会4人による防衛庁関係の施設に行ってクーデターを促したが、受け入れなくて自決したという三島事件。
戦後民主主義、高度経済成長で豊かになってゆくが、色んな問題があると言う事を右と左の側からつきつけたと言う二つ事件なのかなあと感じます。
「おはなはん」 平均視聴率50% 最高で60%