2015年5月26日火曜日

中野北溟(書家)         ・ふるさとで書を続ける 

中野北溟(書家)            ・ふるさとで書を続ける 
中野さんは北海道の焼尻島出身の91歳、今も札幌を中心に現役で活躍している書道家です。
今年の年賀切手の絵と文字切手でひつじという文字を書いている書家の10人のおひとりです。
旭川師範学校を卒業して、小学校の教師になりました。
教師をしながら独学で書道を続けている中野さんを見て、或る友人から書道の大家として知られる金子鷗亭に見てもらったらと、勧められて自分の書を送りました。
金子鷗亭に認められ教えを受けるようになりました。
金子鷗亭に東京に出て一緒にやらないかと誘われましたが、それを断り北海道で仕事をすることに拘って製作活動を続けています。

筆の数も100本ぐらいある。
空海は「筆を選ばず」というが、それは間違いで、空海ぐらい筆を工夫した人はいない。
100枚ぐらい書く事もあるし、気が燃えたつという事、この部屋は気を高ぶらせる部屋だと思っている。
ゆったりした表現、厳しい、烈しい、静かな表現、表現もいろいろあるので、自分で生きている生きざまの中から、生まれてくるようなものを作りたいと思っている。
2000年に交通事故をやって、10m飛ばされて、3カ月入院した。
頭から落ちなくてよかったと思う。(鎖骨、肋骨、大たい骨を折って、肺座礁、足の靱帯を損ねて、他にも負傷した)
若い時にテニス(国体に2度出場)や運動をやっていて運動神経が良かったのが、良かったと思う。

師範学校の書道の先生が良かった。
筆の動きが大切、どう動くかが大切、呼吸が大事。
「北溟」は北の海と言う意味です。
或る人から金子鷗亭に送ってみたらと言われて、送ったら絶賛された。
金子鷗亭先生から「北溟」と号せよとの連絡がきた。
ひつじは気が優しくておおらかなところがあるので、ゆったりとした気分で字を書きたいと、ふくよかな感じに書きたいと思って書かして貰った。

母親が将来医者にしたいと言っていたが、島の先生がたが皆いい先生だったので学校の先生になりたかった。
家の壁に字を書いたり、絵を書いたり、よく落書きをするのが好きだった。
軍隊から帰って来てから、又師範学校に入りなおして、物理の勉強をした。
書道は学校で習う以外は、特別に習う事はなかった。
稚内の中学に赴任してから、展覧会に出してみないかと言われて、落選したらもう書は辞めよう入選したら書を続けようと思った。
旭川に来てから、理科を教えながら書道も教えていて、札幌に移動して国語を教えるようにと言われたが出来ないと答えたが、書道は引き続き教えるようにした。
55歳で教職を退く事になるが、その間、書家として東京に出ないかと言われたが、北海道で自分の思う様にやりたかった。(60歳で定年だが、早期退職をした)
金子先生から、再三一緒に東京に行くようにと言われたが、勘弁してくれと先生にお話しした。

春の海はゆったりとしている、夏の海は澄み切って綺麗、秋の海はどんよりとして濁ってうごめいている、冬の海は怒涛逆巻く様な、四季の変化が人間の気持ちを動かす。
風の音、波の音、光、こういうものが人の気持ちを高揚させる。
流氷の詩 を書いたが、流氷の時期になると、巨大な感じがする、北海道は人の心を揺さぶるものが有る。
細い線も単なる優しさではだめで、その背後にある優しさで違うものが背後にあり、それが一つになって昇華されて、なんか優しさを表現する、そうだと思います。
生徒に教えていて、おっ、これは自分にないものが有るなと、こういう事は大事だと思う、触発されることはある。
絵、書の展覧会は良く見に行くが、自分を目覚めさせる、掘り起こす、そういう風になる。
感じて、その良さを別のものとして、自分のものにして行きたい。