2015年5月24日日曜日

河原郁夫(星空案内人)      ・星を語って60年

河原郁夫(星空案内人)        ・星を語って60年
84歳 10歳の時に初めて見たプラネタリウムに感動し、解説者になりました。
東京渋谷にあった天文博物館五島プラネタリウム、神奈川県立青少年センターを経て、現在は川崎市にある「かわさき宙と緑の科学館」で星空解説を行っています。
河原さんは生で伝える事にこだわってきました。
毎回録音して、聞き直して反省点を次に生かすと言う事は、この60年一度も欠かしたことはありません。

年配の方の場合には癒しを求めてくるのでBGMを多く流しながら、星空と綺麗な音楽とでリラックスしてもらいます、子供には宇宙人とか、アンパンマンなどの話をそえて行います。
生で無いと相手の方の雰囲気が判らない、雰囲気を感じてそれに対応するように臨機応変に変えています。
一回の解説、45分間 一人でしゃべって、BGMをかけて機械の操作もします。
小学校4年、1940年の時に有楽町にあった東日天文館が有り、父に連れていってもらって、それが病みつきになった(75年前)
星も綺麗だったが、音楽が良かった。 子供の入館料25銭
多い時は月に2~3回出掛けた。
戦争中では灯火管制が有り星がよく見えて、手製の望遠鏡を作って、物干し台から星の観察を行った。
望遠鏡を作ったのは10台ぐらいある。

昭和20年4月15日に大森蒲田の大空襲が有り、自宅が焼けてしまって祖父母がいた横須賀に行く事になる。
昭和20年5月には東日天文館が焼けてしまう。
昭和21年に望遠鏡を作って、毎朝晴れると太陽の黒点観測を始めた。(ずーっと今でもやっている)
17年周期で黒点が増減する、今は増えている。
恩師である水野良平先生が東京物理学校から東京天文台(現在の国立天文台)に行ったので、先生の跡を追って、東京理科大学に進んで、4年の時に東京天文台に太陽物理部があってそこで1年間研究をさせてもらった。
渋谷の五島プラネタリウムができて、水野先生がそこの長になっていて、ここに来ないかと言われて行く事にした。
解説員の訓練をうけたが、東京生まれなので「ひ」と「し」をうまく言えなかった。
プラネタリウム弁士が当時、大坂5人 東京で5人 日本では10人しかいなかった。

神奈川県立青少年センターでプラネタリウムの解説を32,3年やって、定年になり「かわさき宙と緑の科学館」に呼ばれて、星空案内人として解説を58年やっている。
毎回録音して、家に帰って聞き直して、毎回聞いて、この半世紀反省ばかりです。
しゃべり方を気を付けようとゆっくりしゃべったり、お客さんの反応が判るので、ここがいけなかったとか、次のための材料にしています。
時間を費やしてしまいますが、妻はどうしようもないと思っていると思います。
50年近く日曜日に行くので、娘は動物園などには行けなかった。
投影の機械で一番変わったことは、スイッチの数です、最初30個だったが現在は100個近くあります。(まちがって操作する事もある)
最近は自分の好きな曲を5~8曲選んで、やっています。
星と音楽の郷 皆さんに感じてもらいたいと思ってやっている。

席が200席あるがほぼ満員になることが多い。
プラネタリウムで星が好きになって、自分で本当に星を見てみようと思っていただければありがたいと思っている。
空に光っている星は年年歳歳花のように季節によって違ってくる。
牽牛、ひこぼし 17年掛かる。  おり姫 25年掛かる。
織姫と彦星が電話をかけると声が届くまで15年掛かる。 宇宙は大きい、夢とロマンがある。
今は空が明るいので、山に行かないとたくさん星を見れない。
普通の星で、星の一生は100億年ぐらい、人間の一生はほんの一瞬。
オリオン座が一番好きです、つづみ星とも言われる。
金星、6月ごろまで日没後西の地平線上に、高さ30度に明るい星が見える。
(宵の明星、明けの明星)

20年後に関東地方で素晴らしい皆既日食が見える。
2035年9月2日10時5分ぐらいに、糸魚川と水戸を結ぶ線上の付近で見られる。
星を見ているとパワーを貰える。
解説をやっていて、間が取れるのが良くなったと思う。
日本全国に300か所あるが、生の解説をやっているところは数か所だと思う。