2015年5月2日土曜日

田中利典(住職)         ・花に祈る 山に祈る

田中利典金峯山寺一山宝勝院住職)            ・花に祈る 山に祈る
59歳 古くから桜の名所として知られる吉野山、鎮座する金峯山寺は平安の昔から修験道の聖地として信仰を集めてきました。
田中さんは昭和56年、金峯山寺に入り広報を手初めに、宗門の要職を務めてきました。
田中さんが歩んできた修験道は、役 小角の行者が開いたと伝えられ、日本古来の神道と伝来してきた仏教とが出会う事で生まれました。
山伏の姿で山をめぐり自然の中に身を置く事で心を整え、人々の苦悩に寄り添えることが修行の目的とされます。
30年余りに渡る吉野の山での修行で見えてきた心の世界とはどのようなものか、伺います。

吉野の桜は今から1300年前に役 小角の行者が吉野から南へ24kmにある大峰山山上ヶ岳があるが1000日の修行をされて、修験道という独特の御本尊を祈りだされた。
これを蔵王権現というが、この権現様を山桜に刻んで、お祭りをした。
其伝説から、吉野では御神木が山桜であると伝わりまして、山桜を大切にしてきました。
権現信仰が広がってゆくと、権現様を訪ねて、信仰のあかしに山桜を献木して山桜の名所になって行った。
権現様は青黒いお姿をしていて、顔は恐ろしいが青黒い肌は意味があり、青黒は仏様の心が有る。(柔和な仏様の姿と荒々しい姿 自然が持っている恩恵と脅威)
桜は厳しい掟が有り大事にされてきた。
献木によって山全体が桜の木になってきた。

自然の中に神仏がおり、桜の木に権現様がいて、自然とつながっており、大地ともつながってゆく。
我々の修行がいろんなものと一体となって大きな力を得てゆく、そういう世界が有るが、その一つの信仰の形が権現様の御神木。
大峰おくがけ修行 吉野から熊野まで170kmに及ぶ山道を8日間掛けて歩き通す。
25歳の時に初めてゆくが、歩くのに一生懸命で疲れ果てて、何回か行くが、山が嫌いだったので、7~8回目でようやく山の修行の良さを知るようになる。
それからは楽しく行けるようになった。
人間「我」があり、歩いて同じことをしていると、任せるままに歩かざるを得ないので、心の我執が消えていく様な感じ。
「懺悔、懺悔 六根清浄」と登りながら声を出して歩くなかに自分の中の我が消えてゆくし、六根(眼耳、鼻、舌、身、意 )も清浄になってゆく。
繰り返しの中で自然の中で生かされている自分を見つめ直す。

日本人の生きている感覚で「晴れ」と「褻(け)を行き来するが、同じ生活をしてゆく(「褻(け)」と考える)と心がくたびれてきて 、しまいに心が病んでいって、病気になるが、それを時々もとに戻さなくてはいけない、それを晴という。
「晴れ」とは日常ではない、非日常の聖なるものに触れる。(元旦、3月3日、5月5日とか)
今の日常は「晴れ」と「褻(け)」を失ってきている所が有るが、山の修行は日常を離れて、8日間朝から晩まで歩いて、歩いている世界が神仏の聖なる世界、聖なる世界で非日常を体験する。
それが山修行の素晴らしさです。
自然の中で生かされて自分がいる、自然の一部として自分が生きている、そういうことを体験できる。

父親(田中得詮)は国鉄に勤めながら、山伏修行に打ち込んでいましたが、勤めを辞めて専門の僧侶になりました。
5歳の時に父に連れられて大峯修行に行くが、母に聞くと1歳半の時に肺炎になり、死にかけたそうで、蔵王権現様に願を掛けて5歳になったら連れて登るのでどうか命を助けてほしいと言って、助かることになり、5歳の時に父が一緒に私を連れてきた。
「拝み屋」ということを言われて苦しかった時期がある。
15歳で得度、僧侶の道に入る。
修行で気付かされたのは「人間は自然の一部でしかない」ということ。
阪神大震災、東日本大震災、御嶽山噴火とか、災害が続いているが、報道される中で異和感を感じた、想定外の大きな被害、想定外の津波、想定外という言葉の裏には自然が悪い様な、自然に善悪がある様な、風に聞こえた。

自然には善悪は無い。
人間は自然の中で生かされている事を忘れているのではないか。
自然への畏怖、恩恵、感謝を忘れつつある社会だからこそ、単なる登山ではなく、そこに神仏がおられることを前提に祈りをささげてゆく。
共生は共死でもある、そいう目線で自然に対して畏敬の念をもつ事は大事で、人間の都合で自然を考えてしまうので、想定外という言葉を生んでしまったのではないか。
土にまみれながら歩いてゆくが、登山靴ではなく地下足袋を通して土の暖かさ柔らかみ、土の力を感じるのが修行。
修験道ルネッサンス 
仏教はグローバルな宗教 神道はローカル 修験道はグローバルとローカルが融合してできた宗教で超ローカル。

人が生きてゆくのにどう寄り添ってゆくかと、父が生涯を通してやってきたとするなら、私も山で世話になったものを里で生かしてゆければと思っている。
林南院 父が建てたお寺。
今年の4月からこの寺を拠点に新たな修行の道を歩きはじめる。
今年60歳になり、今年から一人前になるのかなあとの想いもあり、直に寄り添って里で生かしたいと思っている。