田中恒清(石清水八幡宮・宮司) ・”中今(ナカイマ)”を生きる
田中さんは代々石清水八幡宮の宮司の家に生まれ、平成13年に宮司に就任しました。
現在仏教など神道以外の宗教と手を結び、日本の信仰の姿を見つめ直す活動に取り組んでいます。
人は中今を一生懸命に生きることが大切だといいます。
中今とは過去と未来の中間点に在る現在の事、中今を一所懸命に生きるとはどういうことなのでしょうか?
過去、現在、未来の時の流れが有って、我々は今の時代を生かされている。
生かされている時代を一生懸命に全力を尽くして生きてゆく、これが神道の根本的な考え方です。
この世に生まれている事自体が或る意味奇跡だと思うし、生かされている事も奇跡です。
祖先の営みが有って、それをわれわれは引き継いで今ここに生かされているという事を考えてみると、自分一人の命ではない、自分一人で生きているわけでもない。
日本人は神社に詣でるという事は感謝の気持ちで、神社にお参りする、それが一つの大きなきっかけになって、その場で物事をいろいろ考える。
参詣 参も詣も同じ意味、同じ言葉の重なり。
詣でるという事が最も大切。
神道と仏教はべつのものだが、信仰心に変わりは無かった。
神社お寺にお参りをする、極自然な日本人の信仰心の表れで、生活そのものが祈りであり信仰であり、その事によって日本人は長い間生活を営んでいた。
石清水八幡宮は貞観2年 西暦860年 平安京の南西に当たる裏鬼門を守る社として創建されました。
創建に深くかかわったのが大安寺の僧侶行教です。
1400年余り続いていた神仏習合の歴史、しかし明治の新政府が定めた神仏分離令によって、神と仏は分けられ、区別されるようになります。
石清水八幡宮でも多くの宿坊や、堂塔が破壊されるなど神仏習合の様式は姿を消しました。
表向きは神社も統廃合させられたが、お寺、神社を信仰されている方々の気持ちは、信仰心は脈々と流れている。
東日本大震災 3月末に田中さんは被災地に入りました。
瓦礫の山と化した建物、津波で全て流された町並みの跡。
絶望的な状況に直面しながらもお互いを労わりあい、一生懸命に生きる人々の姿がそこには有りました。
大槌町にある小槌神社は流されなかった。
宮司の息子さんが、夜になって大槌町に住んで初めての星の数を見ましたと、何もなくなった大地を煌々と照らしていた。
大自然はこんなときにも、人々を見まもっているんだという気持ちになって、これが日本人の自然観なんだなあと、おっしゃって、この話を聞いて心を打たれた。
漁師 津波でやられて漁船も無くなってしまっていたが、必ず海は又我々に豊かな恵みを与えてくれるし、もっとこの漁場は豊かになると、それは大自然の力によって素晴らしい漁場になる、それを私たちは待っています、という事だった。
自然と言うものを日本人がどうとらえてきたかという究極な問題と、とっさに感じた。
自然はおのずとそうなる。
折り合いを付けて自然とともに生きてゆく、それが我々の生き方に希望を与えてくれる。
起こってしまった過去は過去とし、その時その時の瞬間である、中今を懸命に生きる人達でした。
災いは罰ではないが、しかしそれと向き合わなければならない。
われわれに対する示唆と捉えて、自然との折り合いを付けて生活を営むにはどうしたらいいかと、
かんがえながら日本人は数千年間暮らしてきたと思います。
神社、社 復興を考えると、地域に在った神社を中心にした伝統文化の復活を大事にして行かなくてはいけないものだと思う。
あと祭りの再興。
機運が盛り上がってきている。
神社は命がそこに生まれ、育ち、命の世界の一つの大きな空間でもあると思う。
普段は気にしなくてもいいが何かあった時に、何か思い立った時に、神社に詣でて自分の心の整理をする、神々に大して何か、自分の思いを伝える、日本人にとっては神社は身近なものであるという事は変わりは無い。
1月18日 青山祭りという祭りが創建以来続いている。
国の安泰が宮司によって祈願されます。
祭りを通して感謝をして、神々との交流を行い、地域社会の連帯につながってゆく。
祭りは潤いと地域の結束をその行為によってはかってゆく。
祭りは同じことを繰り返すのが祭りなんだと先人からいわれた。
経済至上主義、経済対効果、時代の流れは政治も含め複雑に絡みあった状況にあるが、本来の祈りが何かそこに吸い取られてしまっていく様な感じもするが、神社の存在は決してそうではなくて、基本的には1年に一度、何回か、神前に詣でることが一つの生活の豊かさにつながっていると捉えています。
祈りの精神は人々の幸せを願い、地域の繁栄を祈ってゆく、そういった中に自分の日々生かされている感謝の気持ちを祈りの中に含まれている。
ある場所だけではなく、いろんな場面が有ると思う、瞬間的な場面もあると思うが、祈りという事を常に自分自身の精神の中にしっかりと植えつけておく、その事によって多くの方々に幸せをかんじて頂ける、そういう祈りにつながってゆくと思う。
神道は布教しない信仰なので、参拝に来られる方の中で神々の事を考える、いろんな機会に神社に詣でるが、言挙げをしないことは大切なことだが、言挙げをすることによって皆さんの希望が生まれ、もっと一生懸命やってみようという気持ちが起こってもらう為に、もっとおおいに言挙げをしないといけないと思う。
アンケートで貴方がなやんだ時に真っ先に相談する人はどういう方ですかという問いに、神職は高い位置にいない。
神主に聞けば判る様な事でも他に聞くという様な人も結構おられる。
われわれから進んで人々の悩み、苦しみを聞いてあげる。
神職は話上手よりも、聞き上手になりなさいというのが私の考え方です。
窓口をしっかりと神社のなかにも設けておくべき時代だと思います。
中今の精神は一生懸命と相通じるものが有るが、しかし一生懸命しても自分が報われるとは限らない、逆の方向で見られる可能性もあるが、自分がやらなければならない事は神々からわれわれに与えられた大きな役割が有ると思う。
それに一生懸命取り組んでゆく。
一生懸命 一所懸命 一ところ(所)に懸命に、自分が住んでいる土地に命を懸けて守る、その土地から離れることは無い、それが本来の意味だと思う。
神社は最も古くて最も新しいものだと思っている。
神楽舞 五穀豊穣が圧倒的に多い。
奇抜な服装、所作は当時の人は驚いたと思うが、今は当たり前な形になっている。
神楽舞はミュージカル、歌劇だと思う。
最初は神社でやる、神様にご覧頂く。(能、狂言等も)
人生儀礼、年中行事は日本人に取っては季節季節、年齢年齢のけじめだと思うがけじめが無くなってきている。
今この瞬間、一分一秒を神々から与えられた命を大切に、その命を全うするために一生懸命に生きる。
一生懸命に生きるという事は、世の中のために公のために生きるという事を本分として、生きていかなければいけないという事だと思います。