2015年4月20日月曜日

藤田 潔(広告会社名誉会長)    ・放送で伝え続けた感動人生

藤田 潔(広告会社名誉会長)    ・放送で伝え続けた感動人生
一般家庭にTVが定着した昭和30年代の後半になりますと、家族そろって楽しい番組を食い入るように見入ったものです。
藤田さんは大学を卒業した昭和28年以降TVを中心とした広告業界で60年間仕事をしてきました。
藤田さんの会社は新しい番組を企画し、スポンサーの承諾を取り、民間放送教に売り込みに行くのが仕事です。
深夜番組の先駆け、イレブンPMや、ザ世界遺産など様々な企画はどこから生まれてきたのでしょうか?

85歳です。  
5年前腰痛で歩くのも大変だったが、毎日朝家の中で1000歩歩いて、血圧を計り、そして毎日3000から5000歩歩く様にしている。
民間放送は65年になるが、初期のころからかかわってきた。
親しいプロデューサー、ディレクターはほとんど天国に行ってしまっている。
イレブンPMを企画したのは、最初からそうは思っていなかった。
歌手のアイ・ジョージがいてどうしてもカーネギーホールに出たいと、言う事で、アイ・ジョージの為だけにアメリカに行くのはもったいないという事で、手塚治虫の鉄腕アトムをもって行って売れたらいいと思って、アイ・ジョージはついでにコマーシャルを撮って行こうと、ニューヨークに乗り込んだ。
カーネギーホールは行って見て判ったが、東京の渋谷公会堂みたいなもの、だが良いものしかやらない。
3局に持ち込んだが、NBCが物凄く興味を示して、私たちがいる間にやってくれた。
昭和38年の時で、カーネギーホールで日本人の歌手がやるなんて考えられない時代、日本のアニメが売れるなんてとても出来ない様な時代だった。

手塚治虫さんを連れて数カ月後に、契約に行く。
NBCに来てスタジオを見ないで帰るのはもったいないので、スタジオ見学をさせてもらった。
夜(11時)の公開番組を見るが、我々の姿を映してくれたりしたが、当時の日本の時間の感覚とは違っていた。
当時は日本では11時でTV放送は終わっていた。
11時からの企画書を作ったが、全部断られた。
日本TVの井原 高忠さんだけが、企画書を見てくれて、面白いからやってみようという事になる、日本の深夜番組の幕開けでした。
深夜番組には全然スポンサーがつかなくて、提供マークはいらないと、いう決断をする、全部スポット売りにしようと考えた。
15秒、20秒だったら、お金も余りかからないので、皆やりだして、いつの間にやら物凄く売れた。
何でも自由に出来た番組だった。
放送局は時間を売って商売をしている、売り場面積を増やすという事はどういう事かという事を放送局の民放レベルの人は判っていない。

ゴルフの生中継を朝4時ぐらいから始めた。
マスターズをVTRで2週間ぐらい送ってやっているけれど、衛星が上がったんだからゴルフも衛星中継でやろうと、TBSに申し込んだが、朝の4時から誰が見るんだと相手にしてくれなかった。
全部借り切るという事で、TBSは今年40周年になる。
スポーツは生で無いと駄目だと思っている、結果を知ってから見る時とドキドキしながら見るのでは全然違う。
ケネディーが暗殺された時が衛星放送による最初の衝撃でした。

四国の新居浜で育つ。
9人兄弟の7番目の長男です。
早稲田の商学部で販売管理 (マーケティング)を学ぶ。
3年丁稚奉公するという事で、この業界に入って国に帰れなくなってしまった。
昭和28年に民間TV放送が始まって、入ったのがその年だった。
面接の時に、小谷さんから広告の仕事で一番大きいところはと尋ねられ、日本電報通信社(現在の電通)と言ったら、そこと喧嘩する自信が有るかと言われ、喧嘩の相手は大きいほどやりがいがあるので私にまかして下さいと言った。
プロデューサーは黒子でなければいけないとは、小谷さんからの教えだった。

「閃きを感動に」 うちの会社のキャッチフレーズ。
街を歩いていて、閃かないような人間はこの業界にいたら駄目、という事が私の哲学です。
世界遺産だけを研究している人がいて、その人の話をじーっと聞いていたら、これはTVになるという事で企画書を書いて筑紫 哲也さんに相談した。(その話を聞いて閃いた。)
世界遺産って何という様な時代だった。
ソニーの大賀さんに持って行った。 これこそ映像遺産になるという事でユネスコ本部に飛んで行って話を付けてOKがでて、それから始まった。(1996年から開始 今年20年になる)
企画書を最初スポンサーに持って行って、時間を下さいと交渉をする。
スポンサーを探すのには日ごろのコミュニケーションが大切です。   広告とはコミュニケーションです。
視聴率も大切だがもっと大切なのは視聴資質だと思います。

若い社員に「NNN」が必要だと言っている。 Now News Now 
今何をやっているか、今何が起こっているか、そういう事が敏感になっていないといけない。
「8020」 80歳になって歯が20本ある人が日本歯科医師協会、区長さん等から認定書が出ると、歯医者さんから言われた。
80歳になって20本或る人は健康なんです。  私は区長さんから認定書を貰いました。
認知症になる人は歯が弱い、だから「8020」というTV番組を作ろうと閃いた。
認知症にならないためには、歯をもっと若い時からやらないと駄目。
そして世の中を明るくしたい。