2015年4月26日日曜日

三田 完(作家)         ・ディレクターから作家になって

三田 完(作家)            ・ディレクターから作家になって
埼玉県出身59歳 先ごろ小沢昭一さんの人生を纏めた「明日のこころだ」を出版しました。
小沢さんと言うと、俳優、放浪芸の研究者、エッセーイスト、「小沢昭一の小沢昭一的心」のパーソナリティーとしても活躍。
三田さんは慶応大学卒業後、昭和53年にNHKに就職、ディレクターとして新潟局を振り出しに、仕事を始め、4年後東京の歌番組を制作するセクションに転勤しました。
平成4年にNHKを退職、民放等でTV番組を制作、執筆活動を始めます。
平成12年にロシア人の幇間 太鼓持ちを描いた「櫻川イワンの恋」でオール読み物新人賞で受賞し、作家デビュー、平成19年には昭和初期を舞台に俳句の会で出会った3人娘の友情や恋愛を描いた「俳風三麗花」が137回の直木賞の候補にもなりました。
翌年にはNHKの中西龍アナウンサーの人生をまとめた「当マイクロフォン」を出版しています。
又「知水」という俳号では俳句の世界でも活躍しています。

「あしたのこころだ」 著書出版
とっても胸の中に小沢さんにまつわる声の思い出、話の内容、ハーモニカの音色が残っているんだなと改めて思いました。
小沢さんは昭和4年生まれ、平成24年に83歳で亡くなっている。
小沢さんは「変哲」という俳号をもっていた。
久保田万太郎風の洒脱なお方だったと思います。
40年間続けられて「小沢昭一小沢昭一的心」の最後の4年ぐらいはその台本を書かせて頂いていました。
小沢昭一さんは本当の意味でのタレントだったと思います。
一緒に歩いていて、新しいラーメン屋を覗き込んだり、野良猫に話しかけたり、本当に面白かったですね。(好奇心の塊)

新潟に4年間赴任、4年目にラジオで特集番組をやりたいと思い、村田文三という古い民謡歌手を取材するものだった。
「佐渡おけさ」を日本全国に広めた人。
声が合うのではないかと、小沢さんへの出演依頼を手紙でお願いした。
それが小沢さんとの最初の出会いでした。
私がNHKを辞めてから、ポツンポツンとご一緒させていただいた。
「小沢昭一的心」を書かせていただく様になる。

平成4年にNHKを退職後、阿久悠さんとコンタクトが有り、阿久悠さんのお手伝いをさせていただいたり、放送の仕事の企画などをやっていました。
2000年に 「櫻川イワンの恋」でオール読み物新人賞で受賞することになる。
2007年に「俳風三麗花」が直木賞候補になる。
40歳になった時点でTVの企画等についていけなくなった様な気がした。
民放でやっていたときに若者向けの番組が多くて、自分の性癖とTVの企画が齟齬を生じていたと思う。
俳魁」著書  7,5調、俳句はもともと好きだった様に思う。
友達と句会をやってみようという事になり、句会に出席するようになり、はまってゆく事になる。
母は長谷川秋子(昭和の有名な俳人)、祖母は長谷川かな女(高浜虚子門下)
そういう環境があって、家でも句会をやっていた。
私は「知水」という俳号をもっている。 現代俳句協会の会員。

私の子供の頃はフラフープがはやった時代で、豊かではなかったけれど、白黒TVがどの家庭にも広がり始めた時代です。
慶應義塾志木高等学校へ進学して、応援団(応援指導部)に入る。
慶應義塾大学文学部でも応援団に入る。
ドイツ文学の宮下啓三先生が恩師で、お芝居がすごく好きな人だった。
千田是也さんと先生は付き合いがあって、学生時代に千田是也さんと飲んだことが有るが、小沢さんの恩師でもあった、いろいろつながりが有るものです。
小説はテリトリーが狭くても良い様な感じがする。
TVは今日やることと明日やることがまるで違う素材をやってもしょうがない事だが、小説の方が体系だてて、自分の得意分野を歩んでゆく事は出来るかもしれない。

今銀座を舞台にしたものを書いていますが、それとは別に、中西龍さんをモデルにした小説を書いている。
土地を舞台にして人を絡めて書くのも好きですが、評伝みたいなものも好きです。