2015年4月17日金曜日

波多野裕造(白鴎大学名誉教授)  ・私と中東の40年

波多野裕造(白鴎大学名誉教授)   ・私と中東の40年 
毎日新聞の記者をしていた波多野さんは、昭和50年 45歳の時 中東に詳しい事を買われて外交官にスカウトされました。
民から官へというケースは当時は緒方貞子さんぐらいで、珍しい経歴でした。
しかもこの後64歳で大学教授に転身され、ジャーナリスト、外交官、大学教授と言う3つの職に就きました。
それぞれの職業で中東の大きな出来事に直面してきた波多野さんに伺います。

世界は各地では紛争が有り、特に中東は1948年のパレスチナ紛争から今日に至るまでずっと続いている。
ISは自分でイスラム国家と称していますが決して国家ではない。
これはずっと続いている中東紛争の変わった形なんでしょうね。
一番気がかりなのは先進国の若者が、ホームグロウン・テロリズム(Homegrown terrorism) 何不自由なく育っているのにもかかわらず、若者が過激派組織に魅力を感ずるのか、シリアからイラクの方に侵入して参加する。
何万という数になっている。
アラブ諸国の中にも親米派、とか反米派とかいろいろ別れている。
欧米的な価値観で支配されることを拒否している。(キリスト教文化)
イスラムは自分たちには自分たちの文化があると、アメリカが自分たちの価値観を中東に押し付けてくるのは迷惑だという感覚が有る。

1990年頃、ハーバードのハンティントンという教授が「文明の衝突」という本を書いたが、そういう捉え方をする必要が有るんでしょうね。
考え方、価値観の違い、ということでしょうね。
アメリカは自分たちの考えが世界的に通用すると思っているが、そうではないという事の一つの証明が中東であろうと思います。
大学を卒業して20年ぐらいはジャーナリストとしてやってきた。(特派員等を含め)
外務省から誘いを受けて入ったのは1975年です。
その前に第4次中東戦争があって、アラブの産油国が石油戦略を発動して、イスラエルに好意的な国には石油を売らないという事だった。(オイルショック)
何故早く情報をキャッチして対策を講じなかったのかと、外務省は避難をかわすため、避雷針的な役割を果たすために、民間からの登用を行ったんだと思います。(その時だけだった)
外務省のキャリアは大学を卒業すると、外務省に入って温室育ちだと言われて、世間を知らないという事で一般企業、大学にいた人を採用して批判をかわそうとしたんだと思います。

73年のオイルショックまでは日本のマスコミは中東には目を向けていなかった。
新聞記者の時に、中東巡回特派員を命ぜられて、3カ月中東を歩いて、新聞にレポートを出して、それを見て外務省が波多野記者に声を掛けたらどうかと言う事になった様です。
開発は進んでなくてオマーンに行っても、外国人が泊まれるようなホテルなほとんどない状態で、大変苦労をした。
パレスチナ解放機構がテロを行うので、世間の注目を引いた。
シリアでPLOのキャンプに潜入して彼等の軍事訓練などを見たが、日本の軽トラックの台座に機関銃を据え付けていて、そこで日本は中東問題をどう思うかとか、よく聞かれた。
結構危険だった経験が何度もあった。

日本政府はPLOとは公式的には関係ないという立場だが、私はエジプト大使館の次席公使だったが、密かにPLOとコンタクトしろと、密命を受けて色々工作したことが有ります。
何かあった時に彼らに日本政府の意向を伝える様なルートを作れという事です。
一番最初はエジプト勤務、スエズ運河の国有化等の問題が有り、そのあとナーセルが倒れて、サダトが副大統領から大統領になった時代。
スエズ運河が通行できない状態だったので、ODA(開発援助)の資金を使って、スエズ運河の再開のために運河の浚渫と拡張を行った。
エジプトから感謝されていると思ったが、全然感謝してくれない。
日本企業の救済のために政府が金を出すんだろうと言われた。

砂漠の緑化、海水の淡水化を提供したら喜ばれると思ったが、あまり喜ばれなかった。
淡水化するまではいいが、淡水化したものを砂漠に撒くが、地下水が有り、その地下水の水位が上がってくる。
砂漠の砂は塩分をふくんでいて、せっかく淡水を撒いたのに、、塩水になってしまって、オアシスを塩水化してしまって、反って木が枯れたとか、クレームを付けられた事が有る。
現地をよく知ってからでないとよくないと思います。
エジプトの後はロンドンに行く。
サダト大統領がキャンプデービットでベギンと中東和平の調印したりして、一時中東問題はうまくいきそうだったが、イスラムの過激主義者に襲われて暗殺された。
合理的な考え方の人はなんとかイスラエルとの間に平和をもたらしたいと気持ちは持っていると思うが、パレスチナ問題は第二次世界大戦中に、ユダヤの人たちは、パレスチナは自分たちに約束された土地だという事でドンドンヨーロッパからはいってきたわけですが、パレスチナ人にしてみればなんで来るんだという事で排斥したいと思っているので、紛争はずーっと絶えなかった。

いまは形を変えて、アラブ同士でもやっているが、IS等を生みだして国と称しているが、異常です。
対処の方法が無い。  根深く浸透している。
オスマントルコの領土だったところをフランスとイギリスが話し合って線を引いて分割した。
サイクス・ピコ協定があって、種族などを考慮しないで線を引いてしまったものだから、今のISはイラクとシリアの両方にまたがっている。
種をまいたのは列強なんですね、紛争の種は尽きないですね。
ロシアとウクライナの関係も非常に難しいと思う。
EUとロシアはウクライナの動向を巡って、かなり難しい感じがする。
ウクライナ問題はなかなか解決しないのではないか。  クリミヤは併合してしまった。
プーチン大統領は核兵器も準備をしたという事で恐ろしい事です。
世界各地で紛争の種は尽きることはない。

新聞記者時代に衝撃を受けたのは浅沼稲次郎さんがが演説中に刺されたが、浅沼さんの演台から5mぐらいのところの幕の陰にいました。
少年が駆けあがって来て、短刀で刺したが、浅沼さんがスローモーションの映画を見るように倒れた、その場面が鮮明に残っている。
1963年のケネディー大統領の暗殺事件、11月22日、妹の結婚式で大坂に帰っていたが、本社から直ぐに帰って来いと言われた。
ロバートケネディーとは沖縄問題で論争をして、険悪な雰囲気になったが、その後仲良くなった。
64年にワシントン特派員としてアメリカに行くが其時ロバートケネディーは上院議員になっていた。
その4年後に彼はロスアンゼルスで暗殺されて大変ショックだった。
三島由紀夫の自殺について佐藤栄作首相に感想を求めたことが有るが、幹事長だったのが田中角栄、防衛庁長官が中曽根康弘だった。
私は敬愛していたので、おしいと言ってくれる人がいると思ったが、おしかったとは3人とも言わなかった。

ジャーナリストと外交官とどちらがいいかと尋ねられることが有るが、ジャーナリストは乞食から皇帝まで誰にでも会えるが、外交官になるとそれぞれのランクの相手と交渉をするので、その辺が違いますと答えている。
公使、参事官、一等書記官とランクが有るので、同レベルの相手と付き合う事が多い。
エジプト、ロンドン、カナダで総領事、カタールの大使を務める。
カタールはパレスチナ問題とはあまり関係なかった。
アラブ諸国から見ると日本はアメリカの従属国と見えるんでしょうね。

大学の教授になっても、カタール時代に友達になった人がいるが、王族と近い人で奥さんが日本人で、日本に来る度に一緒に会っている。
原理主義者は過激な人が多い。
原理主義者はイスラムの原点であるイスラム教の根本に立ち戻るべきだという事で欧米の影響力を否定する。
アメリカは自分の価値観を彼等に押し付けても、彼らは受け入れないだろうと思います。
2001年に9・11が起こるが、ブッシュ大統領はこれは戦争だと行ったんです。
そういうスタンスでアメリカは臨んでいるのでなかなか和解は難しいだろうと思います。
ISは特別なので付き合い様、が無いでしょう、複雑化している。
紛争の種は尽きない。