勝山泰佑(写真家) ・時代を撮り、人を写して、50年
昭和19年東京生まれ、早稲田大学に入学後、写真部に入り写真家濱谷 浩さんの助手をつとめました。
在学中からドキュメント写真を撮り始め、今日までフリーランスの写真家として活動を続けてきましたが、今年の1月、「フォト50年 1963~2014 できごと ひとびと」 というタイトルの写真集を出しました。
今50年間に撮影した写真の中からモノクロームの写真381点が収録されています。
写真集は 二つに分かれ 「できごと」には学生運動、ベトナム反戦運動、大都市の光と影、農村の伝統的な生活などが年代順におさめられています。
「ひとびと」には抵抗する人たちを筆頭に、作家、アーティスチ、政治家、ミュージシャン等240人の肖像が乗っています。
「太陽の軌跡」 は8月6日の広島や、6月23日の沖縄摩文仁等、歴史的な日に同じ場所で太陽の運行を撮影したものです。
あとがき風なところに、暗いところが好きだったと 押入れが好きだったと書いてあるが?
押し入れに入って自分の世界に浸るのが好きだった。
友達がたくさんいたが、家に帰ると自分だけの世界に入るのが好きだった。
身体的には体育系だった。
少年雑誌の付録についてくる日光写真が特に好きだった。
1963年に早稲田大学に入る。
新聞記者になりたかったので、写真をやっていれば何か役に立つと思い、写真部に入る。
多くの先輩の中には写真を職業とする人たちがいた。
あちこちに行って合宿などをしていた。
60年安保の或る種の挫折が有って、学生運動が激しいというわけではなかった。
写真の対象として見るのが半分、学生としての気持ちが半分あったが、その後写真的な関心がだんだん強くなってゆく。
初期の写真はデモが多かった。
学生が武器をもったり、ヘルメットをしたりするに従って機動隊も重装備になって来て、そういうところで写真を撮ろうと知ると近づいて撮ることになり、暗闇に引きずり込まれて蹴飛ばされたり、フィルムを出せとか、抜けとか2回~3回あった。
濱谷 浩さんの助手になる。 土門拳、木村 伊兵衛の次の世代の人。
写真家としてのスタイルは舞いとかお茶とかの作法に近い様な感じをもっていました。
1969年社会人としてスタートする。
公害、薬害、地域の闘争等が有る。
雑誌などに写真を提供するなどしたり、その後「寂聴」 「海渡る恨」 「植村家の庭園」等の写真集を出し、そして今回の写真集を出す。
「できごと」、「ひとびと」の2分冊とした。
纏めるにあたって自分のやってきたことが、外でどういうことが起きていたという様な事を見てきたが、中間で起きた事、内で起きた事 3つにわかれると思っていたが、歴史は外で見える部分と見えない部分で進んでいくのではと考えた時に、2つを分けてみたらわかりやすいのではないかと思った。
写真の本命はスナップショットだと思っていてその延長がでデモ、或いはある種の事件だと思う。
新潟県狩場村原子力発電住民説明会、原子力に対する不安が有るが、賛成せざるを得ない中でいろいろな人に出会って、運動の中で変わって行った人とか、高度成長の歴史の影、歴史、とダブるものが有る。
福井県敦賀港の漁港の風景、松山地方裁判所の、伊方原原発の訴訟の判決が出た時の写真、サリドマイド被害の子供達の成長の写真、水俣の写真等公害の問題の写真が捉えられている。
現場主義は貫こうと思っている。
「ひとびと」 小田実 ベ平連の集会の写真とか、作家、政治家、ミュージシャン等。
瀬戸内寂聴さん 1973年に得度して出家するが、半年前の対談集の写真の仕事をはじめてゆくなかで、瀬戸内さんから写真を撮っていってくれないかという事で撮ってゆく事になる。
ボブ・ディラン日本初公演 全行程を撮影した。
その前にニール・ヤングが日本に来た時に撮りたいと思って、策を弄して全部撮ることができた。
ボブ・ディランの時にも撮りた居と思ったが、最後まで行きつかなかったが、ニール・ヤングに仲介をしたが、いい返事はもらえなかったが、最終的には契約をすることができた。
その時のアメリカの政治的な事に腹を立てたニール・ヤングが歌っている時の顔だが、よくぞ変わったと思う、こんなに恐ろしい顔で歌うのかというような激しい顔でした。
私は写真は白黒写真が写真だと思っています、しかもフィルムだと思います。
モノクロでフィルムは手に入れるのが難しくなってきている。
昔は撮影するということは、特別なことであったが、撮る、撮られるという関係が距離、場の設定も限定されていたと思うが、今は写真を撮るという意識もない様な、違和感のない様な時代になってきている。
ドンドン個人が主張される時代になって、非常に撮り易いのだが、撮影しようとすると撮りにくい状況になってきている。
モザイクがやたらに多くなってきていると思う。
写真家にとっても仕事がしにくい事がたくさんある。
「太陽の軌跡」 メモリアルな場所を12時間 太陽の軌跡を捉える。
場所の記憶みたいなものを写真にとどめることができないかと考えたのが「太陽の軌跡」。
意味の或る一日を選んで撮影している。
カメラから離れられないので、専ら紙おむつをしている。
フィルムの大問題はあるが工夫して「太陽の軌跡」は続けていきたいし、ひとびとが眼を向けられない人達をどのように撮影して写真にして残してゆくか、地味なところをやって行きたい。