2015年4月10日金曜日

佐藤由美子(米国認定音楽療法士)  ・アメリカ・ホスピス体験10年を語る

佐藤由美子(米国認定音楽療法士)  ・アメリカ・ホスピス体験10年を語る
佐藤さんは1977年昭和52年福島県で生まれ東京で育ちました。
6歳からピアノを10年間学び、19歳の時にアメリカに留学、大学在学中に難病患者、末期がん患者の心をやわらげる音楽療法を知り、26歳の時ホスピス緩和ケア専門の米国認定音楽療法士の資格を取得しました。
アメリカ各地の病院や施設で終末期を迎えた癌や難病患者の人たちにギターやハープを奏で、歌で語りかける音楽療法を行ってきました。
アメリカ社会の中で様々な出会いと音楽療法の体験を語っていただきます。

ピアノの練習は好きではなかったが、15歳まで続けてきた。
ギター、アイリッシュハープ、フルート、ウクレレ等を使ってやっている。
米国でホスピス と言うと余命6か月以内の人で有れば、だれでも受けられるケアの事。(家族を含め 心のケアも提供する)
大学では音楽専攻、心理学が副専攻だった。
音楽療法が有ることを知る。
ジム・ボーリング教授と出会って、それがきっかけで音楽療法をやろうと思った。
他の人に使えることを知った時に、それができるのであればそれは素晴らしい職業だと思って、教授の最初の授業の時に音楽療法士になろうと思った。
26歳で米国認定音楽療法士を取る。
MTBCという称号が与えられる。 6000人程度が米国では取得している。
日本では日本音楽療法士は2600人ぐらいいる。(資格等は違うところもあるが)

聴覚は最後に残る感覚である。 
最初半信半疑でしたが、音楽療法士になって1年目に出会った患者さんに出会ったのがきっかけで分かった。
80歳の肺がんの女性末期患者さんで、いつ亡くなってもおかしくない状態だった。
音楽療法を始めたが、音楽療法について家族は良く知らなかった。
患者さんは昔からミュージカルが好きだった。
「エーデルワイス」の曲を弾いたあとに息子さん等と話を始めた。
笑いがでて、リラックスして思い出話などをした。
リクエストをしてもらったら「サイレント ナイト」を要望された。
弾いている間に患者さんの変化が有って吃驚した。
患者さんの呼吸が急に規則的になったのである。
3番目の歌詞に差し掛かった時にそれまでずっと閉じていた患者の眼が微かに開いたのだ。
驚きを隠せなかった、息子さん等も異変に気付き、眼は少しずつ開いていき最終的には完全に開いた。
そして彼女はにっこりとやさしく微笑んだのである。
歌の終りに差し掛かると彼女はゆっくりと息を吸い込んだが、その息を吐き出すことはなかった。
私が生まれて初めて間近に見た死だった、とても自然で信じられないほどおだやかな死だった。
息子さんがこんな形で母さんが最後を迎えて良かった、今まで生きていた中で最も美しい瞬間だった、母さんは素晴らしい女性だったから母さんにふさわしい死に方だったと思う、有難うと私に言ってくれた。
これがその後の私の音楽療法士としての活動にかなり影響を与えた。
聴覚が最後まで残る感覚であるという事を実感した。

アメリカのホスピス
①病院  ②自宅  ③老人ホーム が有るがほとんどは②,③が多い。
音楽療法士に関しては看護師が委託する形になる。
音楽療法が適してしているかどうかを、検討して適しているかどうかを判断し、プランを立てる。
患者さんのニーズに合わせて対応する。
一人一人の人生が違う様に死に方も違います。
認知症に対しても効果を発揮する。
認知症の末期の人でも音楽を聞くと覚えているという事が多い。
懐かしい曲を聞くという事は心の支えになる。
認知症の患者さんは考える事は出来ないかもしれないが、感じることはできる。
音楽はその気持ちに響くんです。

2002年7月 老人ホーム 80歳代のアルツハイマーの人
ジャズシンガーだった人で、 音楽療法に適していると思った。
彼は末期であり、車椅子に座って下を向いていて、ほとんど寝ている状態だったが、音楽を聞くと別人のようだった。
顔の表情が生き生きする、本来の姿が一瞬見えるような感じだった。
彼が亡くなる2日前に、一緒に歌おうといっても今まで歌ったことはなかったが、今日は君のために歌うよと言ってくれて歌ってくれた。
彼の顔は本当に生き生きとした顔で、この人の本来の姿はこれなんだと思った。
私は聞いた事はなかったが、ラブソングだったと思う。
最後に歌ったという事は娘さんにとっても凄く心の支えになったみたいです。
音楽の力は凄いと思います。

日本でも老人ホームに行っています。
童謡を聞くと涙を流して、うれし涙だと言ってくれる。
子供の頃のことを昨日のように思い出させてくれる。(音楽は記憶を刺激する力が有る)
自分と同じ年ごろの人と出会ったりすると、自分自身もいつか死ぬんだなと気付く時が有って、死を見つめる事は生きることを考えることなんですよね。
この仕事をしていくうちに、限られた時間でどうやって生きようかという事を考えるようになりました。
音楽療法は日本ではまだまだ普及していないというのが現状ですが、ニーズは高まっている。
グリーフ(grief)は、深い悲しみの意、身近な人と死別して悲嘆に暮れる人が、その悲しみから立ち直れるようそばにいて支援すること。
感情の変化、体の変化があるが、グリーフには時間がかかる。
悲惨な事故に遭ったときには精神的なケアをすることが多い。
子供は感情が上手に表現できないので、それが行動に出たりする、暴力とか。
音楽療法を取り入れながらやると子供は心を開いてゆくので、音楽療法を取り入れる事は効果的だと思います。

悩みをもっている人の心を癒すことに、音楽は力強いものが有る。
音楽が人と人をつなぐ役割もする、特に認知症の人の家族は何年もケアをしているので、心身ともに疲れているので家族にケアをする事はすごく重要なことです。
夫婦、親子の関係が無くなり、看護する人、看護される人の関係になってしまっているので、音楽療法の時だけでも家族を含めて音楽療法をすることによって、夫婦なり、家族の関係に戻すという事が出来るという事は、それがあることと無い事では凄く違うと思う。
こういう仕事を永年やってゆくという事は精神的に結構つらいことですが、日本に帰って来て「ラスト・ソング」という本を書かせて頂いて、初めて自分が今までどれだけ感情を抱えてきたのか、初めて判ったんです。
この本を書いてきて毎日涙がとまらなかった。
当時のそのときにはそんなに泣かなかったが、積もり積もっていたんだなあと気付いて、ちょっと休んで本を書いた事は自分のケアになったんだなあと思います。
「音楽は人間が言葉で言えない事で、しかも黙っていられない事柄を表現する」
ヴィクトル=マリー・ユーゴーの言葉
音楽の力そのものをいっていると思う。