2026年3月8日日曜日

松村由利子(歌人)             ・「どこまでも晶子の後を追っていく」

松村由利子(歌人)         ・「どこまでも晶子の後を追っていく」 

松村さんは新聞記者として20年以上働き、その中で歌を詠んできました。 新聞社を退職してからは短歌を詠むだけでなく、「乱れ髪」などで知られる与謝野晶子の思想や言論人生を明らかにしてきました。 晶子は今から100年前、男女平等、男女共同について活発に評論を行い、多くの新聞や雑誌に社会評論を寄稿してきました。 10人以上の子供を育てながら、明治末期から昭和初期にかけて、男女平等、労働問題、教育制度等についての評論を発表してきました。  松村さんはジャーナリスト、ワーキングマザーとしてのの晶子の歌や文章を読み解き、著書「与謝野晶子」などを出して、男女の対等なあり方などについて提言しています。    今日3月8日は国連が定める国際女性デー、女性の権利や政治経済的分野への参加について考え、ジェンダー、平等の実現を目指すためにに制定されました。  晶子の言葉をひもときていただくとともに、松村さんご自身の人生を振り返っていただきながら、男女が支え合う社会について考えます。

2010年から沖縄の石垣島に住んでいます。  2008年からはNHKの短歌の選者を勤めました。2011年、第三歌集『大女伝説』で第7回葛原妙子賞受賞。

昔語りぽおんと楽し大きなる女が夫を負うて働く

大女の明るさ、おおらかささをすごく魅力に感じました。 私たちは知らず知らずに植え付けられた価値観があって、男の人よりも女の人は先に行ってはいけないと言う、少し後ろから行くと言うようなことが意識の隅っこにあると思います。  とっても素朴な昔話の中に人生の真実というか、知恵みたいなものがあったりしないかなと思います。  短歌や俳句は余白があって、その言葉に付随する雰囲気と言うか、温かみがあったり、手触りだったりそういう良さがあるので、それを含めて余白の味わい方と言うのは、読者それぞれに任されている良さがあると思います。

1960年福岡県生まれ。 新聞社で20年余り記者として働き2006年に退社、短歌結社「かりん」の編集委員を務めています。 1994年「白木蓮の卵」で第37回短歌研究新人賞を受賞。  2009年著書「与謝野晶子」で第5回平塚らいてうを受賞します。  2010年にはエッセイ集「31文字のなかの科学」で科学ジャーナリスト賞を受賞。 2023年著書「ジャーナリスト与謝野晶子」で日本歌人クラブ評論賞を受賞しました。 

新聞記者としては暮らしにまつわる全てを取材すると言うフィールドの広い部署でした。 暮らしに関係した問題と言うのは、幅広く取材できたのは勉強になったと思います。 次に長かったのが科学環境部で科学や環境に関係した問題、トピックスを扱うということで、楽しかったです。  優れた歌人も、日常の風景の中に深いもの、美しいものというのを発見して、それに喜びや驚きを感じて、センス・オブ・ワンダー「自然に触れて深く感動する力」)と言うものを持ってると思います。  短歌は自分にとって非常に大事なものだったので、もう少し時間をかけて自分の心の中を覗いてセンス・オブ・ワンダーを感じられるような余裕のある日常を過ごせたらと思って会社を辞めました。 

会社を辞めて新しい生活をしたかったので、石垣島に住むことにしました。   短歌は大学に入ってからなんとなく詠んで新聞に投稿すると言うことをしました。与謝野晶子について知りたいと思うようになったのは「愛、理性、勇気」という本を読んで、柔軟な考え方をする人だと言うことがわかって、すごく興味を持ちました。 「愛、理性、勇気」を読むと開かれた精神の持ち持ち主だと言う事はわかりました。

「私の新聞観」私は毎日7、8種の新聞を読んでいる。 新聞は日々の歴史であり、日々の社会批評であり、また未来に対してされる日々の予言であり、暗示である。いまひとつ私の不満のとことは、すべての新聞記事が報道本位もしくは興味中心で書かれ、社会の改造と覚醒等を理想とする倫理的批判がほとんど加わっていないことである。

与謝野晶子は広く世の中を見ていたんだと思います。 与謝野晶子は自分が取材される側でもあったと言う事で、複眼的な見方ができた。 報道とは何か、メディアとはどうあるべきかみたいなところを経験的に把握していた人だと思います。  教育、政治、男女平等とか、いろいろな分野において、いろいろな問題について積極的に発言して、先見的な意見を発信してたと言う面がそれほど知られていなくて、それはとてもおしいことだと思いました。  男女の平等とか、女性の経済的自立と言うのは、晶子にとって大変大きなテーマでした。  男性たちは育児に関わっていないと言うようなことも書いています。  男性は長時間労働すぎて全然家庭を顧みないのはと言うことも書いています。 ライフワークバランスとか男女共同参画社会と言う概念もなかったと思いますが、そういった新しい社会のあり方と言うものを、リアルに見つめることができた人ではないかと思います。

与謝野晶子は、1878年(明治11年)大阪堺の老舗和菓子店の30として生まれました。酒井女学校を卒業1901年(明治34年)「みだれ髪」を発表し、同年与謝野鉄幹と結婚「柔肌の熱き血潮に触れもみで悲しからずや道を説く君」は、浪漫主義の歌人として多くの歌集を発表、鉄幹と一緒に10人以上の子供を育てました。    源氏物語の現代語訳、文化学院への創立の参加、15冊にのぼる評論集を世に出すなど、短歌以外にも幅広い分野で活躍しました。 

与謝野晶子は社会評論の中で、いくつかのキーワードがよくあられわます。   自由と平等という言葉です。  自分が兄のように自分にも教育を施してくれていればということがよく出てきます。 男女平等と言うのは概念ではなく、自分の経験から生まれてきた強い願いだったと思います。 言論統制とかあり、精神の自由と言うのは切実な問題だったと思います。 民主主義と言う新しい思想が入ってきたときに、自由と平等を謳うこの民主主義ってなんて素晴らしいんだろうと、とても深い感動を覚えたはずです。

晶子にとって自分に学歴がないと言う事は非常に大きなコンプレックスでした。 書籍、雑誌や新聞を読んで、自らを高めていった人だと思います。  晶子の素晴らしさと言うのは、学び続けた人生にあると思います。 男女がお互いにそれぞれに自立して、対等な立場で愛し合うと言うことが最も美しい関係だと言うふうに思っていた方だと思います。  だから女性たちも経済的に自立したほうがいいですよと言うふうに考えたんだと思います。 男女が同じように外で働くことによって、社会全体の労働時間が短縮されて、生まれた余暇をそれぞれが読書とか楽しみのために費やして、それぞれの人生をより豊かにすれば良いと言うことを書いています。  

晶子が亡くなったのは1942年、1975年に国際女性デーが制定されました。  男女機会均等法とか法整備がなされて、晶子から見たら喜んでると思いますが、運用がうまくいってるかどうか、もっと上手に運営すると叱れるかもしれません。 男女の賃金格差も是正されていません。 非正規雇用の多くは女性であります。  貧困の問題も女性が多いと言う実情からすれば、何も変わってないでないんじゃないかと言われそうな気もします。  私たちはどんな社会をよしとするのか、どんな未来を切り開いていくか、と言うことを考えないと申し訳ないと思います。与謝野晶子は、偉大すぎて全容を掴むのが難しいです。私なりに他の人の気づかない側面は少しあるかもしれないので、それについて紹介して行けたらいいなと思います