2026年3月11日水曜日

垣添忠生(日本対がん協会会長)       ・「Dr.カキゾエ みちのくの沿岸を歩く」

垣添忠生(日本対がん協会会長・国立がん研究センター 名誉総長) ・「Dr.カキゾエ みちのくの沿岸を歩く」 

垣添さんは3年前82歳の春に、東日本大震災で被災した沿岸を南北に走るおよそ1000キロの「みちのく潮風トレイル」を歩き抜きました。 多くの出会いを得ながら歩みを進めるその姿を追ったドキュメンタリー映画「Dr.カキゾエ歩く処方箋」が今全国で順次公開されています。 がんの専門家でもある垣添さんがなぜみちのくの沿岸を歩こうと思ったのでしょうか。 旅の途中で出会った震災で被災した人やがん患者達との交流からどんなことを感じたのでしょうか?

参照 https://asuhenokotoba.blogspot.com/2012/02/blog-post_15.html

1941年生まれ、今年の4月で85歳になります。 がんの専門家でもあり、連れ合いをがんでなくした患者遺族でもあり、さらにはご自身もがんと戦ったがんサバイバーでもあります。 現在は国立がん研究センターの名誉総長でもあり、日本対がん協会の会長として、がん予防や検診の推進、患者や患者家族の支援、がんの正しい知識の普及や啓発などに取り組んでいます。

何故東北を歩くようになったのか、8年位前に全国がんセンター協議会に加盟している32施設、南は九州から北海道まで半年かけてずっと歩きました。(2500キロ位。)その前に妻を亡くした後で四国のお遍路を3年がかりで歩きました。 2022年にドキュメンタリー映画監督の野澤和之さんから、私の書いたものに感動したと言うことで映画を撮らしてほしいと、できるならば歩いて欲しいと言われました。 それでみちのくトレイル1000キロを歩こうと思いました。 この道は青森県の八戸市から福島県の相馬市までの1025キロ。  北山崎、浄土ヶ浜などが印象的でした。 岩のところに松が生えていて植物とは強靭なんだなぁと思いました。

一瞬にしてご主人とご主人の両親を失ってしまった方とか、酒のお店をやっていて「負けねぇぞ気仙沼」と言うラベルを作って、一升瓶を売って、何とか店を立ち直らせたとか、その他いろいろ凄い体験された方に出会うことができました。 岩手県の大槌町吉祥寺と言うお寺の高橋住職にお話を伺いましたが、その一角では2000名近い方が亡くなったり、行方不明になったりもしてます。 巨大な苦しみや悲しみをどうやって一人の身で受けられたのかと聞きましたらば、どんなに忙しくても夜5分でも10分でも座禅を組んで、自分の心を空っぽにしたと言ってました。

3時間、4時間の睡眠時間が続いたと言うことでした。 無私の精神、仏教徒の原点を見たような気がしました。 若い女性の方の両親と姉さんが津波で行方不明になってしまって、私も人の役に立つ仕事をしたいということで、薬剤師になって戻ってきたときに、心臓発作でなくなってしまったと言う女性がいました。 お寺でお預かりしてると言うふうに住職はおっしゃってました。 こういう苦しみ悲しみに会っている方が無数におられると言うことを強く思いました。 乳がんの女性は私を追いかけてきて、15年化学療法をやっていて、頭がすっかり髪の毛が抜けてしまった方がいまして、明るい方でそれだけの苦しみを耐えてきて、お話できたと言うことがありました。その方も亡くなったと言うふうに、お姉さんから連絡がありました。

俳句を作っています。

「春風に防潮堤の遺構立つ」?

「二人の子授かり災後十二年」(被災した時には高校生だった人。)

「災後十二年千の話千の意味」 (伺った話が全部違う。)

俳号は冬瓜(ガンと戦う)

「がん語る女性の顔に春日さし」?(15年がんと闘ったった人への句)

私は大腸癌を内視鏡で切除して、早期発見だったので1日も仕事を休まずに直してしまいました。 妻の昭子も癌で亡くなりました。 二つのがんは直しましたが、三つ目の小細胞肺がんと言う、肺がん4種類の癌の中で1番の悪い癌が見つかりました。 再発して抗がん剤治療をやりましたが、癌が全身に広がっていきました。  妻は自分の余命が3ヶ月位であると言うことを自覚しました。 

ほとんど動けなくなった時に家で死にたいと言いました。 あら(魚)鍋を食べたいということで作って、大きなお茶碗2杯おかわりしておいしいと食べました。  苦労して家に連れ帰りましたが、家に連れてきて本当によかったなぁと思いました。 その翌日12月29日から意識が途切れ途切れになりました。 31日の朝から完全に昏睡状態になりました。 呼吸困難であえていましたが、夕方6時15分突然妻が半身を起こして、私の方を見て自分の右手で私の左手をぎゅっと握って、その後心肺停止になりました。 言葉にはならなかったと思いますが、ありがとうと言って亡くなったと思います。

亡くなった後、妻との対話が一切できないと言う事は本当に辛かったです。   亡くなってから3ヶ月間本当に鬱状態だったと思います。 心を紛らわすためにウイスキーとか強い焼酎を飲み、泣いていました。 よくあんな状態でアルコール依存症にもならず、肝臓も痛めないでこっちの世界に戻って来れたと思います。    仕事はやっていましたけれども、私は仕事は普通にやってるつもりでしたが、周りからは声をかけられないような雰囲気だったと言ってました。 百箇日の法事を過ぎた頃から、腕立て伏せ、腹筋、背筋の運動を始めました。 だんだん生活も規則正しくなってきました。 

1年がかりで見かけ上普通の生活に戻れましたが、やっぱり心の底には深い苦しみ、悲しみは残っています。 そういう経験をすると他者に対して寛容になると思ってます。  癌になった人の苦しみ、悲しみの心情がよくわかるようになったと思います。 いろんな被災の経験者が、どういう状況からどうやって立ち直られたのかとか伺っていくと、すごい勉強になりました。 

毎朝予定よりも1時間早く起きて家でトレーニングをやってます。 腕立て伏せ110回、軽い腹筋500回、スクワット10回ずつツーセットとか相撲の四股を10回とかやってます。  最初のころはそれほどはできませんでしたが、妻が亡くなった、2007年以降ずっとやってます。 人間と言うのは歩くことが1番体を健康に保つためには大事だと思います。 毎日家から事務所まで片道3300歩往復6600歩、歩いてます。 他に歩いているのを足すと10,000歩なんて軽く行きます。 

私は完全高齢単独世帯者です。 家で死のうと思ってます。 往診してくれる良い先生を見つけられました。 玄関ドアを遠隔で施錠したり開錠したりできるように変えました。 信託銀行にエンディングノートのサービスがあって、書類の手続き、スマホ、カード、パソコンの解約とかを全部代行してくれます。 今度のトレイルでだいぶ無理をしたので右膝を痛めました。 

私が思ってきたのは、がん検診の受診率を上げることです。 早期発見すればもう普通の病気ですから。日本に組織型検診と言って、台帳管理をして対象の年齢の人はみんな受けてもらうと言う体制を導入したいと思います。 これは法律をいじらなくてはいけないので大変な作業なのでその方向性だけでも実現したいなと思ってます。 ガンサバイバーを支援すると言うことも私のライフワークです。 家で亡くなりたいと言う人が沢山いて、それを実現できるような体制を実現したい。 38万人ぐらいが癌で亡くなって、そのうちの20万人が配偶者を亡くしている現状です。 医療の中にグリーフケアとかといったことを取り組んでいければなぁと思ってます。

人生の途中で津波で足元を救われた人癌で足を救われた人、そういう意味では同じ経験なんじゃないかと思います。 過酷な体験をしながら、人は何か立ち直ってこられる。 人は何か少しでも希望があれば生きられると言う結論に至りました。  「行動をすることが希望につながるんだ。」と言うふうに思ってきました。

グリーフケアは専門家が手を差し伸べ支えること、グリーフワークは自分で立ち上がるために努力すること。 反跳力が人間には備わっていると思います。    人はどんなに苦しい状況にあっても、かすかな希望があれば、生きられると言うのは映画の重要のテーマであり、私が生きていく上でも大事なテーマになってます。