永田晶彦(園芸文化協会 副会長)・〔心に花を咲かせて〕 薬草を観賞の花に変えた日本の花文化
愛知県の花市場の理事長をしている永田さん、花の流通だけでなく地元から海外まで広く日本の花文化を広めたいと活動しています。 特に中国とのつながりが強くて44歳から中国語を習い始めて、文献を読んだり中国に行って花関係者とも交流し、日本の植物は中国から渡ってきた薬草を元に品種改良を重ねた結果であり、日本は世界に誇れる花文化立国だと実感しているそうです。
営業を担当していましたが、退いて市場の理事長と言う立場になりました。 花自体が時代と共に変わっていきます。 花市場に役に立つことをしていったら段々手が広がって来ました。 日本の花文化は日本人にとっての生まれながらの資産と言うふうに思えてきました。 或る程度知識が固まってきたのが45歳ぐらいからです。 先代の理事長がある程度集めたものを段々増やしていって、植物園にしました。 最初は古典菊、カキツバタなどを中心に巣を増やしていって、ツバキ、シャクヤク、ボタン、モミジなど日本伝統の植物を増やしていきました。 素人なのでいろいろなところへいって植物の基本から教えてもらいまいました。 今は2000種類ぐらい栽培しています。 ほとんど伝統園芸です。 椿は250種類ありますが、250株だけです。
日本の植物、特に花は元々は中国から薬草として伝わったものが多いです。 本草書が文化として伝わって来る。 奈良時代の初期頃。 種とか薬とかから始まります。 代表的なのが朝顔とかです。 (芍薬、牡丹もそうだったと思います。) 朝顔は江戸時代に大ブレークします。 旧暦の9月9日に咲いた菊についた露を飲むと長寿になると言った言い伝えがあり、文化とともに伝わって来て、日本でも菊を栽培するようになりました。 菊が伝ったのは奈良時代の中ごろから終り頃です。 後鳥羽上皇が皇室の御紋にまでして、菊は日本の代表の花という事になりました。 栽培技術、新しい品種を作るという流れは日本の方が発展していきました。 (江戸期以降昭和) 日本はかなり優れています。 中国は菊で作った建築物の様なものに趣きを置いています。(規模が凄い)
きんもくせいは香りのする花の代表の一つですが、中国から渡ってきています。 しかし、日本のきんもくせいほどは香らない。 日本ではどんどん香るものに集中していったと思います。(品種改良) 芙蓉は中国の四川省が発祥と言われています。 中国からすると芙蓉は木に見えるらしい。
44歳から中国語を習い始めて、文献を読んだり喋れるようになりました。 中国ではシュウカイドウは、清の時代悲劇の象徴のような花です。 雄花と雌花がありますが、雄花が先に落ちてしまいます。 残された雌花、と言ったところから小説が出来ました。 ホウセンカは周り花が咲き終わった頃に、耐え抜いたうえで花が咲く。 これに対して著名人が色々な詩を書いています。 毛沢東もホウセンカが好きだという事で書いています。(中国ではあまり知られていない。) 中国語を始めて20年になります。 2009年に中国で中国語で講演をしました。(当時は丸読みだったが。) 日本の花の文化のことを話します。 好意的に捉えてくれるのが圧倒的に多いです。
営業を担当していましたが、退いて市場の理事長になって時間が出来て、日本の花の文化にも興味を持ち、中国語も勉強したり、一気にいろいろ始めました。 お茶の作法なども勉強しました。 万葉集、百人一首だとかから花の部分を理解していきました。 かつては花と日常が一つになっている文化ってありましたよね。(今は余り無い) モミジは日本にしかないです。 花は日本人の生活の中に沁み込んでいて、そのレベルが高いです。 日本は花の多様性が発達する土壌があったんです。 日本の伝統文化、(文学、芸能、能、雅楽など)、はどれをとっても世界に通用するものばかりです。 だから日本で生まれている植物は世界最高峰に達する何かを持っているんです。 日本の花の文化レベルの高さを皆さんにお伝えしていきたいです。