岡本知高(ソプラニスタ(男性ソプラノ歌手))・ソプラニスタの声が響くとき
岡本さんは高知県宿毛市出身。 その澄んだ高音と圧倒的な存在感でクラシックの枠を越えておおくのファンを魅了してきました。 宗教曲やオペラはもちろん、日本の唱歌やポップスなど幅広いジャンルを歌い、そして個性あふれるキャラクターと華やかな衣装でも注目を集めています。 岡本さんのこれまでの歩みを振り返りながら、声を通して音楽の楽しさや力をどう伝えてゆくのか、その思いに迫ります。
身長は175cmあります。 ヒールが5cmで衣装も大きいので巨大に見えます。 岡本さんは変声期を経てもなおソプラノの高音域を自在に響かせるという、世界的に稀有な男性ソプラノ歌手です。 国立音楽大学を卒業後にパリ市立プーランク音楽院を首席で終了しています。 奇跡の歌声と評される歌声は聞く人の心の奥に優しく届いていきます。 クラシック界はもちろんですがあらゆるジャンルのファンを魅了しています。 印象に残っているのは2021年の東京オリンピックの閉会式でオリンピックソングを歌いました。
*「ボレロ」 作曲:モーリス・ラヴェル 歌:岡本知高
ソプラニスタ(男性ソプラノ歌手) 少年のボーイソプラノもソプラニスタです。 裏声でソプラノを歌える方もソプラニスタです。 僕の場合は生まれつきのソプラノです。 足がちょっと痛い痛いと思っていたら、先生の診断ではペルテス病という股関節の難病でした。 小学1年生から4年生までの間、家族と離れ特別支援学校で過ごしました。 皆親元を離れて施設に集まって生活をしているという同じ条件ですし、皆障害と向かい合って戦っているので我慢を抱えているんだけれど、でも逞しいんです。 身体が動かせなかったので、夜になると先生方が歌を歌う時間を設けてくださいました。 僕にとっては大きな最初のステップだったと思います。 地元に戻って5年生からピアノを習いはじめました。中学では吹奏楽部に入りました。 サックスを担当することになりのめり込んで行きました。 音楽の先生になりたいという思いが湧いてきました。 高校も吹奏学部でした。
楽器から教育の受験コースに転向しました。 入試科目に声楽がありますので高校3年で声楽の門を叩きました。 (愛媛県宇和島市 神﨑克彦先生) ソプラノは声が出るが、低い声にチャレンジしたんですが、駄目でした。 その場で国立音楽大学の瀬川先生に電話をして東京に行くことになりました。 特殊な声で個性的なので声楽科を受験してみてはどうかと薦められました。 入学後声楽の基本から習いました。 大学4年でデビューしました。日本初演のドイツ捕虜兵たちの演奏(徳島県鳴門の収容所)を再現した第九でした。 君の声はカウンターテナー(裏声)じゃあないと言われました。 カウンターテナー(裏声)は緻密なテクニックの上に成り立っている。 ソプラニスタという言葉を知って、ソプラニスタと名乗って大学の卒業のコンサート(成績上位者)で歌って卒業しました。
国立音楽大学を卒業後にパリ市立プーランク音楽院を首席で終了しました。 先生にたどり着くまで13人でした。 もっと広いジャンルに向かった方がいいと言われました。 フランスではフランス語を大切にする国なので、自分では日本語を大切に歌う歌手になりたいと思いました。 日本に帰ってきて「スタジオパークからこんにちわ」と言う番組でした。 そこから芸能の道が広がって行きました。 歌が好きだという事が心の根っこにありました。 歌はオペラであれ、歌謡曲で有れ、僕の中では一緒で境目がないという感じです。
学校訪問コンサート、神崎先生から誘われて宇和島の体育館のコンサートで歌ったのが、僕の初ソロコンサートでした。 肥っていたので生地を買ってきて自分で工夫して衣装を作り始めました。 衣装は良かったが首から上に違和感がありました。 化粧も工夫してやがて顔と衣装が一体化したという瞬間が訪れました。 大学時代は勉強でしかなかった歌が、今は人に喜んでいただけることが嬉しくて、お返しするものだと思ってステージに立っています。 奥深さは年齢を重ねた方が出ると思います。 歌はうまいからいんじゃなくて、そこになる味わいに、歌っている自分、聞いて下さる方々が心を震わせた時に、歌の魅力が生まれると思うので、味わい深い歌が歌える歌手でありたいと思います。
*「あなたに太陽を」 Kiroro玉城千春書き下ろし新曲 歌:岡本知高