2025年8月21日木曜日

中谷豊実(街角保健室)          ・性や体で悩む若者たちの居場所を作りたい

中谷豊実(街角保健室)          ・性や体で悩む若者たちの居場所を作りたい 

ユースクリニック:若い世代が性や身体に関する悩みについて相談できる場所で、ユース相談室、ユースカフェなどと呼ばれ、全国に60か所と広がているとされています。 生理で体調が辛い、正しい避妊の方法を知りたいなど、中高生や20代の学生から様々な悩みが寄せられています。 しかし、こういうクリニックに自らアクセスして足を運べる若者たちばかりではありません。 特にDVや性被害などの問題を抱える若者は大人に対する警戒心が強く、繋がるのは簡単ではないと言います。  そんな若者たちを支援しようと夜の街に出向いて活動いているのが中谷豊美さん(63歳)です。  中谷さんは愛知県名古屋市で活躍する現役の保健体育の教員、プライベートではピエロの格好で病棟を回り入院患者たちをコミュニケーションで元気付けるボランティア活動を長年行ってきました。  コロナを機に若者の居場所や性や身体の悩みに直面し、4年前から名古屋の繁華街にある公園の一角にピンク色のテントを張ってボランティアで若者の性や身体の相談に乗る街角保険室(ケアリングカフェ)を開いています。  この夏休みの時期は夜中までテントを開いて、若者を支援しているという中谷豊美さんにその思いを聞きました。

名古屋の栄4丁目は通称「女子大小路」と言う名前が付いています。(昔女子大があった。)そこの真ん中に池田公園がありピンクのテントを張って街角保健室をやっています。  繁華街で、以前は池田公園はセクシャルマイノリティーティーの聖地などとも言われました。   コロナのちょっと前からホストクラブが集中してきました。 ホストクラブで人生の質をどんとおとしてしまう若い女の子たちが多いんです。 一回で何十万円使ったと言う様な話もあります。  月2回土曜日の夕方の6時にピンクのテントを建て始めて、7時から運営を始めて10時まで行っています。  街角保健室ケアリングカフェが正式名称です。  夏休みはパラソルを数本たてまして、午後8時から12時30分まで実施しています。 ボランティアでやっています。  

メンバーは私は教員で、医者、産婦人科医、精神科医、養護教員、保健室の先生、助産師、看護師、福祉を学んでいる学生などが参加してもらっています。 性被害、実の父親という率も多いんです。  誰にも言えないので生きづらさに繋がって来る。  ホストとの間に臨まない妊娠、中絶をしたとか、感染症系が多いです。  他にDVです。  私たちが持っているネットワークに繋がります。(無料産婦人科など)  自分の身体を大事にするという事をそもそも知らない。  知識がない。   

私は保健体育の教員で、性教育研究会の役員をしています。  高校生の性に関する実態の調査、研修、などをやっています。  人生に関わる様々な知識、人権の学習でもあります。   日本は性教育に関しては凄く遅れています。  やりがいがあると思って性教育研究会を立ち上げました。  2021年コロナの真っただ中、若い女の子たちの自殺率が急に高くなっているという記事を見掛けました。  友達とも会ってはいけないような状況で息が詰まってしまうような状況になってしまいました。  生きづらさを抱える子は家が最も居づらい。  しかしいなければならない。 そういった状況が影響しているのではないかと思いました。  

何とかしなければいけないと思って、街角に保健室を作りました。  性感染症や生理、望まない妊娠のこととか相談してほしいと、大きな看板を建てているんですが、相談にはほとんど来なかった。  まずは色々な方法でコミュニケーションを取るようにしました。  私は2006年から総合病院で入院している子供達のところに、ピエロになってケアリングクラウン(ピエロ=クラウン)をやっていました。  コミュニケーションを取るのにはマジックがとてもよかったんです。  街角保健室にケアリングカフェという名前を付けました。  街角保健室ではマジックだけではなく、いろいろな方法でコミュニケーションを取るように工夫しました。  信頼関係が出来て来て、その中から深い闇が出てくるんです。  リピーターも多いです。  段々知ってもらえるようになりました。  テントの持ち出し、持ち込みは全部一人でやっています。  私が体調を崩すと出来なくなってしまっているので、いなくてもできるようなシステムを作って行かなければいけないと思っています。(仲間は増えていますが)

私の父親は左足が曲がらない身体障害者でした。 心臓に難病を抱えていました。 父は映画館で映写技師として働いていました。  教会の神父さんの手伝いで廃品回収などもしていました。  困った人、貧しい人たちのために父は動いていて、それを間近で見ていました。 父は私が中学2年生の時に亡くなってしまいました。  母親はキャバレーに私と一緒に住み込みで働いていました。 私がそこで見た風景は、性の健康、命の安全教育、ケアリングクラウンとかに絶対繋がっていると思います。  ホステスさんたちはマスターから殴られたり、望まない妊娠をしたりして、独りで生んだり中絶したりしました。  シングルマザーになると一気に貧困になって行きます。  女性の方が社会的立場も、身体も弱い。  生きずらさを抱えた女性たちとずっと繋がりを続けるために、細く長くワイフワークをずっと続けていきたい。  自分のことを大切にする術を知らない、知識がない、自分を大切に出来るように、自分の尊厳を大切に出来るように、これからも奮闘を続けて参ります。