2021年5月17日月曜日

浅野祥(津軽三味線奏者)        ・【にっぽんの音】

 浅野祥(津軽三味線奏者)        ・【にっぽんの音】

宮城県仙台市出身,31歳。  津軽三味線を本格的に始めたのが5歳。  祖父が津軽三味線をやっていたので見様見真似で始めました。  両親はむしろ津軽三味線は嫌いでした。   7歳の時に津軽三味線全国大会に初出場、翌年からは各部門の最年少優勝記録を次々に塗り替え、天才少年といわれる存在になり、2004年14歳の時、最高峰であるA級部門で史上最年少優勝。  C級、B級,A級とありどんどんレベルが上がっていきます。  2006年までに3年連続優勝、大会規定により殿堂入りとなります。   17歳の時に津軽三味線奏者としてメジャーデビュー、民謡の演奏はもちろん、自由な演奏スタイルを生かして、クラシック、ジャズ、フラメンコなどほかのジャンルのアーテイストとも数多く共演、津軽三味線の魅力を広く伝えるとともに、独自の音楽を追求している。

津軽三味線の楽器自体がとっても大好きで、好きなだけ触っていたいという感覚です。    津軽三味線を演奏する人はずいぶん増えました。   自分の音色で一番大切にしてきたのは、津軽三味線の小さな音色、多分皆さんの思う音色とは真逆の音色です。  張り詰めた一本の線のような音色を大切にしています。

*「拍(はく)」というアルバムから「春催(はるもよい)

コラボレーションするときに注意するのは、コラボレーションする相手のジャンルのことを勉強しています。  リズムを出すのに自分なりに工夫して楽器をたたいたりしています。   津軽三味線のバチの打撃音は生でないとなかなか聞けないので生で聞いてもらいたいですね。  いろんな三味線のジャンルがありますが、津軽三味線は歴史的にとっても自由で、決まりがないんです。   民衆に開放された芸能という部分があり、自由に演奏する部分にすごく魅力を感じます。    歌と人形の伴奏として演奏していましたが、津軽三味線単独で演奏するようになったのは、ここ5,60年というところです。   

民謡という音楽はとっても言葉が特徴的で訛りがどんどん入っています。  地方独特の言葉のリズムが織り込まれている音楽だと思います。  仕事歌が多いです。

東日本大震災後、チャリティーコンサートをずーっと続けてきましたが、昨年コロナでできなくなって、今年のチャリティーコンサートで一区切りとなります。  僕はあの時には東京にいたのですが、実家がものすごく心配でした。 実家の家は全壊しました。  親戚なども一週間以上連絡が取れませんでした。  当時皆さん暗い顔をしていましたが民謡を始めると、はしゃぐんです。  音楽の力はすごいと思いました。

祖父が大工をやっていて棟梁で、自分で作った自分の壊れた家の柱を使って二挺三味線を作って、そのうちの一挺を持ってきました。  縞黒檀(シマコクタン)という床柱です。 縞黒檀は固い木で、三味線は固ければ固いほどいいので、丁度いいと思いました。

*福島県の「相馬盆歌」、山形県の「花笠音頭」、宮城県の斎太郎節(さいたらぶし、秋田県の「どんぱん節」

民謡再編成プロジェクトを去年の年末から始動させました。  人と人とのつながりがなかったら、なかったであろう民謡音楽を今こそ歌おうぜという事で同年代の人と一緒に始めました

*最上川舟歌をアレンジして「船道」という曲を作りました。 

私のように歌いながらの津軽三味線奏者はすごく少ないです。

日本の音とは「米研ぎ」の音です。  日本人の精神性とリズムが備わっているじゃないかと思います。