羽賀善夫(柔道リオオリンピックメダリスト羽賀龍之介選手の父) ・【アスリート誕生物語】
2016年 リオデジャネイロオリンピック柔道男子100kg級で銅メダルを獲得した羽賀龍之介選手の父親羽賀善夫です。 去年行われた全日本選手権で羽賀龍之介さんは優勝されました。
宮崎の延岡にいる頃は、私は現役でコーチみたいなこともしていましたので、休日もなかったようなイメージですが、家族で河原で遊んだり山登りに行ったりしていました。 埼玉に引っ越した時には3歳から5歳頃で社宅でした。 兄がいて二人兄弟でした。 妻は国体に2年連続の競泳の選手でした。 牛乳は欠かさず飲むようにしていました。 ごはん、みそ汁、納豆、牛乳は当たり前にやっていました。 旭化成で柔道をやっていて、先輩もやっていて、その子が始めるので一緒にやらないかということで龍之介も一緒に柔道を始めました。 水泳はすでに延岡のころからやっていましたが。 水泳では大会でメダルを取ってくるようにはなりましたが、結局本人と母親で柔道に進むような選択をしました。
埼玉の川越の柔道場で、先輩の北さんと私もコーチをやっていました。 道場に行って楽しくやってくれればいいなあというような思いだけでした。 兄も一緒に柔道をやっていました。 柔道場では先生と呼ぶようにと指導はしました。 練習の時間帯は特別視しなかったです。 基本の柔道を徹底して行うように一段階ずつ技術的な部分を上げてゆくように指導しました。 時間が長くなるし面白くはないとは思います。
私も内またが得意ですが、龍之介も又内またが得意です。 川越の道場のころから内または教えていました。 小学校3年の時に神奈川県に引っ越しました。 朝飛道場の近くに家を見つけました。 館長の彼は寝技が得意で寝技について細かく指導しました。 寝技を教えていなかったのでどんどん吸収していきました。 オリンピックに出場しようと館長の彼は言っていたので、口にはするようになりました。
中学では個人戦があり出場するようになって、少しずつ結果を出すようになりました。 3年生になって全国中学生大会に出るようになりました。 兄が高校は東海大相模に進学した関係で同じ学校に進学しました。 勝ち抜き戦では体がぼろぼろになりながらも20人勝って次に引き分けとなり、その次にも出され、妻などは悲鳴を上げていました。
2012年のロンドン大会は補欠。 2016年 リオデジャネイロオリンピック直前の世界大会で金メダル獲得、リオデジャネイロオリンピックでは代表として参加しました。 応援にはいきました。 目指すは金メダルで「楽しんで来い」とは言いましたが、プレッシャーは相当あったと思います。 結果は銅メダルでした。 「お疲れさん」と声をかけました。
柔道は現役を終えても柔道家として教えることができるので、教えた子供たちがまたいい選手になっていいスパイラルになってくれればいいかなあと思います。 すでに親孝行してもらっているので、父親として柔道家としていい結果なり残してもらって、私もそれを楽しめればいいなあと思います。