420ヘクタール持っている (0からスタート)
木曽 蘭(あららぎ)生まれ 妻籠宿の入り口 母は一歳の時に亡くなる 父は山仕事 庄屋 南木曽 山に飯場を作り あまり家には戻らず
父が後妻をもらって育てられるようになる
生徒は周辺に600人いた 山仕事が主である 貧乏だった
食べれるものは苦労した 電気は無(周りはあったが) 風呂は一回/週
学校へは弁当をもってゆけなかった(ぞうすい、おかゆ)
勉強をした記憶がない (戦争等で)
サツマイモ作ったり、薪を集めたり、下駄を作ったり 米の買い出しをする 2泊3日
(たらいと米の物々交換)
辛いからやめようと思ったが、母親からお前は出先で米のご飯が食べられるから良いじゃないかと家の者は毎日麦、さつまいも食ってると、ばしんとやられる
小学校卒業後山仕事をする 父は山仕事に関しては賛成
母は勉強しないと苦労するよと言われた (他は厳しくされたが 後妻の母親に) 選ぶ道が他にはなかった まずはみんなの食事作りからの仕事
(16名のご飯とおかず探しから ボラ ハチの巣等)
仕事は大人の中で自分だけ子供なのでさびしかった
空を見て涙が出てきたことが何度かあった
死ぬことは簡単だが、生きることは大変
昭和26年 松本で材木屋に弟子入りする 4年間
婿さんに欲しいとの話がある 父に手紙を出す→ 飛んでくる→ 養子に行くんなら 俺(父)は其の時(母親を亡くしどうしようかと考えた時)死んだ方が良かったといった→父は涙を流しながら懺悔し、反対する
父に説得され家に帰ってくる→今後 両親の面倒を見ますと母親のまえで言う→母親曰く
お前なんかに面倒見てもらう必要がないという
情けなくなるが我慢して一年間山に入る→山の仕事をして13万8000円(現在の価格に換算すると500~600万円)もらう(1年間分)
父親に木を買ったり、山を買ったりした方が請負仕事するよりも利があるのではないかと説得する
借金をすることは嫌だと お前がやりたければお前がやってみろと父に言われる→山の木を買って始めた(成功への第一歩)