2011年6月13日月曜日

畠山重篤 (NPO法人代表)    ・森は海の恋人


畠山重篤 (NPO法人代表)   森は海の恋人
 NPO法人「森は海の恋人」の代表
1989年に牡蠣の森を慕う会を結成 →漁民による植林活動を続けてきた→3/11大震災で牡蠣の養殖施設などを失う
父の代からカキ養殖を始める 三代目の息子たちが後を継いでいる 私も50年やっている
牡蠣も種が必要 カキは真夏に産卵する→3週間プランクトン生活をする(ものにくっ付く性質がある)→ホタテの貝殻に穴をあけて70枚(一連)海にぶら下げる
そこに牡蠣の赤ちゃんがくっ付く(そのままだと脱落したりする)→万石浦(干潟)の干満潮にさらす→しっかりとホタテの殻にくっ付く(水からあげて、2週間ぐらいの輸送に耐えられる)→柔らかくなった縄の間に殻を挟み込む→それをいかだに下げておけばプランクトンを食べて成長する  
早ければ翌正月から春には売り物になる(昔) いまは1年から2年必要 

カキ養殖 広島は大田川という広い川がある 宮城県は北上川が注いでいる 
川と海の混じっている領域をきっすい域と言うが、きっすい域でないとカキ養殖はできない  
養分は段々川の上流から来ることが判ってきた ・・・それは森は海の恋人ではないかと判った  
平成元年から気仙沼湾の養殖している漁民が中心となって落葉広葉樹(ブナ、ナラとか)の植林を展開する→森を作る運動を展開
毎年葉っぱが落ちる→腐葉土が出来る・・・森でも一杯生き物がいる森は良い森→海にとってもいい森、杉とかひのきの手の入らない山は暗い 
生き物がいない・・・悪い森→海にとっても良くない
 
一番いいのは東京湾と鹿児島湾を比べればいい(ほぼ同等面積) 
東京湾には16本の川(武蔵野の雑木林)が流れ込む (2年で真水になるぐらいの量)
 →鹿児島湾より30倍の魚介類が取れている(本来なら汚い海)

鹿児島湾は大きな川がない(火山の爆発で出来た湾 綺麗な海)
3月11日 地震発生 この4~5年地震が多い 
7年前 三陸はるか沖地震の時の方が揺れは大きかった
大津波警報が発令→チリ地震津波を想定で対応(去年も大津波警報出たが大したことなかった)→潮がひく(直感 異様な感じ)
25mの高台自分の家から見る→第一波 静かに海面が盛り上がる 
動いてくる 5~6m →第二波 10m以上 あらゆるものが第二波でやられる
放心状態 引き波 早い 時速40km? チリ地震の比ではない さらに裏山に逃げる 
93歳の母親を亡くす 家は助かるが生産設備等全て失う

大きな家の屋根がどんどん流れてゆく 
三男が湾の外へ船を脱出させようとしたが、出遅れてしまった 灯台がしたに見えた 
島の近くに流されてきた浮輪を体に付け何とか泳ぎついた
この津波はでか過ぎた 弥生時代 貞観時代 今回 1000年に一度の大地震・大津波
復興への気持ち    日本は地震と津波は免れない  
船もない、全国から支援があって、大阪から船をトラックに乗せて2艘もってきてくれた
(環境調査をしていた方)

その人が海底調査をしてくれる→海底は思ったより被害は少なそう
岩場には海藻が在り アワビ、ウニがいる、プランクトン( 牡蠣に必要なキートセロス)がびっしりといる 酸素量も問題なし・・・海は壊れてなかった
ガレキ、木等を除けばいかだを浮かべる条件は揃う  牡蠣の種も残っていた
30人で杉の木を山から切って降ろす(いかだ用木材)一気に出来ないが一歩一歩進めてゆく
大分県から竹を一万本寄附してくれる(いかだ用) 
アンケートをとってみると、最初は戻りたくない→小高い丘に家を建てうみの見えるところに住みたい・・・海の恵みを受けている
小舟を浮かべて魚を採ったりアワビを採ったりする生活をしたい  
だれも海を怨んではいない
植樹祭→こういう時こそやらなければならない(6/5実施)
海は塩分だけではプランクトンは育たない 森の養分 鉄分が特に大事  
川と森は健全・・・もっと良くしてゆく 

十何万世帯の家を建てなければならない→木が必要→杉、ひのきが山ほどある →手を入れる絶好のチャンス→森に手を入れる→家を建てる→    森が明るくなる→光合成が活発になる→Co2を吸収→川が良くなる→結果として海が良くなる事に繋がる  
この仕組みをどう作るか今動いている   
この循環がうまくいけば十分再生はきく
震災での家を建てる木材を国産材の地元の木をどうやって使うか、ここがキーワードの様な気がする雇用も生まれる、経済も回るんじゃないかと思う