小藪実英(住職60歳) | 花の寺から人生案内 | ||||||||
<概要> | |||||||||
京都・丹波・観音寺(紫陽花寺)住職 高校の先生17年 国語、ソフトボールの監督、絵と詩 | |||||||||
寺に戻る決心をしたのは、癌で余命わずかを告げられたお母さんのためでした。 「生きている間に 親孝行したい」そう思い、平成3年3月教師を退職 |
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心を育てる「あじさい会」を主宰し、多くの人に心の教育を行っている 詩(自分で作った)、諺の紹介 |
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紫陽花 アルカリ性は赤っぽい 酸性は青っぽい | |||||||||
「雨に打たれて輝く紫陽花のように、苦しみや悲しみにうたれても私でありたい」 | |||||||||
命ある限り、前向きに生きていきたい 生きているかたに開かれた寺でありたい (葬式仏教でなく) |
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地域の子供たちを集め、紫陽花学校 心の教育 書道教室 | |||||||||
一般の人には紫陽花会 心豊かな良い人生を 絆を | |||||||||
座禅・般若心経・情操教育 | |||||||||
4歳のときに実夫亡くなる 中学2年の時に寺が全焼 高校失恋 人生の虚無を知る | |||||||||
教員試験を受け教員になる(寺から離れたい思いもあり) | |||||||||
母が脳腫瘍で1年半後に亡くなると宣告される→親孝行と思い寺を継ぐ |
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「悲しみの泉」・・・詩 | |||||||||
「悲しくても泣けない時がある 腹が立っても怒れない時がある 辛くてもぐちのこぼせない時がある そんな思いがいっぱい溜まり |
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深い悲しみの泉となる その泉の中から優しさが生まれ 私の人格が生まれる」 | |||||||||
「人生 万事 塞翁が馬」 人生は大半生きてみて 初めて幸せ 不幸せが後からわかる なにが幸せでなにが不幸せか判らない |
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城塞に住む老人の馬がもたらした運命は福から禍へ、又禍から福へ、と人生に変化をもたらした | |||||||||
全く禍福というのは予測できないものである | |||||||||
17年教員生活 16年担任 4人が自殺 (受験、学生生活、就職つまずき、 恋愛失敗)・・・ アドバイスをしたかった(後で自殺した事を知る) |
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お寺の役目・・・「抜苦与楽」 仏や菩薩が衆生の苦しみを抜いて、福楽をえる | |||||||||
「大慈与一切衆生楽 大悲一切衆生苦」 |
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ソフトボールも教えた 126校の頂点に立つ 厳しい練習・・・就職しその練習の厳しさを乗り越えたこ とがその後の苦しみを乗り越えることが出来た |
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いかに自分の持ち味を生かすかという教育をしてやることが大事 | |||||||||
「私の花」・・・詩 | |||||||||
「桜の木の生命は桜の木の花を咲かせる 梨の木の生命は梨の木の花を咲かせる 間違いなしにその花を咲かせる |
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私の生命は私の花を咲かせる A君やB君とは違った私の花を咲かせる」 自分らしい花を咲かせることが大事 |
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他人と比べて評価するんじゃなくて、自分の持ち味を評価 大事に伸ばしてやること事 | |||||||||
「良い 悪い」ではなく 仏教としては個性として見る「これも良い あれ良い」 |