2011年11月8日火曜日

ニシャンタ(羽衣国際大学教授)    ・違ってるんからいいんだよ

 ニシャンタ(羽衣国際大学教授)        違ってるんからいいんだよ
龍谷大学 大学院 博士課程 経済学博士  2005年に日本国籍を取得 
日本女性と結婚 1男1女 
来日以来日本の武道を修連 拳法2段 柔道初段、空手4段 日本語も来日以来1年間で日本語能力検定試験1級を取得する 
日本に来て25年 スリランカ(セイロン)から17歳より来日
中学3年生の時に手紙が教科書に載っている TVで流された「おしん」80%の取聴率(スリランカ) 日本では50%の時もあった
其の時の状況がスリランカに似ていた(物がない ) 親近感で見ていた  
乗合牛車で学校に通っていた 72年日本から中古車が入って来る(おしんのイメージとは違う)
日本が夢を与える国になった  日本に対する興味が膨らむ (日本の情報が断片的)
ボーイスカウトで来日(御殿場で開催) 1カ月滞在 消化不良のような状態だった 
1年後に再来日(家を担保に借金をして費用捻出 7万円)
ホームステーした家に厄介になる 最初言葉が判らず目の動きとちょっとした動作でよしあしを判断した(第六感)
こんなに小さな国なのに方言が多いのに吃驚した 謙遜語 へりくだった言葉 好き  
犬にも丁寧語を使う

立命館大学 拳法4年間する 学部総代をする (録音機を使って講義を収録するが時間が長くて聞く時間が取れない アルバイト 収録時間の長さ)
日本に行くからには格闘技をしなければいけないと思った  
結婚に際して相手の父親、母親が反対した 
お墓(スリランカの墓はない長男だが墓守に必要はない)、
国籍(自分の国を捨てるようでは嫁も棄てるのでは、信用できない)  
子供(褐色に生まれたらいじめに遭ってしまうのではないか)  

半年間たってから挨拶に行く 承諾を得られる  朝起きたら妻の母親より手紙があった
「昨日貴方の本を読みました 貴方はとても強く優しい立派な人です 今の日本人にない心を持っている本当の日本人です 今まで私達が文化の違いや肌の事で
貴方の事を誤解していた自分が恥ずかしいです ごめんなさい 何を書いてよいか判らないんですが、私達は立派な息子が一人増えて幸せです
貴方のご両親に感謝します」  
「留学生が愛してる日本」を書いたのを読んでくれる
人間は心の壁を持ってしまうが、 何のために壁があるかと云うと取っ払う為にあるんだと思います 壁を取っ払う数が多ほど人間は成長できます
自分が美しくなって行くと思いますね  取っ払えた瞬間が手紙ですね 

2011年11月7日月曜日

岡田芳郎(77歳)        ・ 定年人生を心豊かに2

岡田芳郎(77歳)        定年人生を心豊かに
詩を良く書いた 友達、会社の先輩後輩の、結婚、転勤、定年、昇進とか亡くなった時 
集まった席で詩を読む(スピーチの中の一部)
「サラリーマンの酔い」
「サラリーマンは酔わずにはいられない 何かに 仕事に酔いたい 遊びに酔いたい 
一日を何かに酔いたい なぜならそれが生きるってことだから
 
いい仕事をした夜は仕事の酔いを酒で醒ます 良い酒とはそんな酒だ 
いい仕事が出来ない時 酒で命をけしかける やるせないけどそれがサラリーマンの酒なんだ
何にも酔えない一日 そんな日は人生じゃない 
何にも酔えそうもない日は人に会ってその人の酔いを借りるんだ」
今生きている時が中心 定年後に話すのは仕事以外の事を話すのが良いと思う 
映画、本、旅行、・・・酔う対象を話す その話をしながら酔う。
そこにしか人生の中心がなければ多分そこに戻ると思う(仕事の話に  会社での栄光の日々) 
「8-7か 1-0か」

「波乱万丈な人生がある 大金持ちから破産者になり また盛り返したものの 政治家を失脚し 
小説家として成功した男 事業を成功させ 新しい映像システムを作り
世界のトップスターを妻としながら 航空事故で死んだ男 
大名の娘に生まれ 幸せな少女時代を送り 家が戦いに敗れ滅んだが 助けられ 艱難辛苦の末
最後は将軍の妻となった女 野球でいえば 8-7のシーソーゲーム そんな人生も面白い
 しかし人に語れる目覚ましい成功も 輝かしい社会的地位も無く
毎日決まった時間に家を出て 伝書鳩のように家に帰り 些細なことにもくよくよしながら 
定年を迎える 吾らの時代の大多数の人間だって 1-0の投手戦のように味わい深いゲームなんだ
人生のゲームは点数の多さが大事じゃない
 
どれだけ人生といい勝負をしたかが生きた意味なんだ 自分の人生に負けるな
一投一打に魂を込める 」  
大金持ちから破産者になって盛り返したけれど政治家を失脚し小説家になった人→
イギリスの作家ジェフリー・アーチャー
世界のトップスター(エリザベステーラー)を妻としながら 航空事故で死んだ男→マイケル・トッド 
家が戦いに敗れ滅んだが 助けられ 艱難辛苦の末最後は将軍の妻となった女→江(ごう)
40年勤めて判った事がある これからやりたい事をやれるんだと言う事 
束縛されるものは無いんだという事 
結果は問われないと言う事 魅力のある人間であり続ける事が大事
現役時代の魅力ある人間→ 

①社会的存在感を持っている 
②美的な価値(態度、物腰等)を持っている 
③未来展望(未来についてのビジョンとか上昇発展してゆくものを持っている) 
 定年になると役職等無くなる
  
定年後を生き生き生きてゆくためには でも魅力ある人間でなければならない 
そのためには上記三つは形を変えて持たなくてはいけない 
①会社がないんだから自分と社会を持たなければいけない 
 仲間、サークル、家族であったり(肉声の届く社会)
 自分の世界を持つ 一人でも社会だと思う (山里離れて一人で住んだとしても社会だと思う) 
 本を読んで一日を過ごす、畑に一人で行って野良仕事をする
 これは自分一人の世界ですね 自分一人の世界の中で充実していると思う 
 こういう事が定年後の(再構築した)社会的存在意義だと思う

②美的な価値 現役以上に大切だと思う 現役時代は美的な価値が低くてもパワーと云いましょうか 
 社会的な影響力とか力がありますから皆に尊敬されたけれど
 今はそうじゃないんだから美的な美しい態度とか美しい言葉とか美しい態度、物腰こういうものを
 持っていないとこれからの魅力ある人間とは云えないんじゃないか

③未来展望→老人になったら未来展望が要らないかと云うと、とんでもなくて、矢張り楽しみとか
 続ける事、やりたい事を見つける 諦めない 一人で取り込む事を見つける
 自分の尺度を持つ  定年後の生き方と云うのは個人の力ですね 
 自分の持っている力をもう一回見つめ直して再構築してゆく
 
 人生は定年後からが勝負だ まさしくそうです  
 大事なのはこの世界に自分は自分しかいない と云う事を認識出来れば良いんじゃないでしょうか
 自分が満足できるような自分の世界を持って生きていければそれで十分なんでしょうかね  
 自分のペースでゆっくりと歩いてゆく  でも諦めてはいけない
 自分を受け入れる場所がある それを自分で見つける  
 昨日の他人は今日の友かも知れない(広い範囲を対象に出来る) 
中国の宗の時代の思想家に「朱新仲」と云う人が書いた 「人生五計」と云う本がある
5つの計画を立てろと言っている  ①生計、②身計、③家計、④老計、⑤死計
  
①生計(自分に与えられた命を如何に大事にするか、全うするか 一つは健康とか体調 
 もう一つは命と云うものを何のために使うのか 人生目標とか精神目標とか人生哲学とか 
 生を充実するための計画を作りなさい)
②身計(社会生活とか社会活動とか如何にきちんと行うか 身の処仕方) 
③家計(家庭をどのように維持してゆくのか 夫婦、親子、金銭、行事、食事、健康、隣人関係とか
 家庭を維持してゆく為の計画)  
④老計(美しく老いる計画  人間は美しく死ぬよりも美しく老いる事の方が難しい 
 年を取れば年を取るほど人生が難しくなる 
 だから美しく老いる計画を)  
⑤死計(如何に死んでゆくか どんな思いで死を迎えるのか この問題を考えるのが死計)

「3月のプロムナード」
「貴方が廊下を歩いてくる やや足早に 瞳が笑っている 恋と青春に見放された女は 
誰にでも腹を立てると言ったのはスタンダールだが 恋と青春に包まれた人は
誰にでも微笑みかける 貴方が友達とお茶を飲んで いる ちょっと首を傾け 話を聞きながら 
幸福になる偉大な技術とは 上手に生活するに他ならないと言ったのは
ルシスだが いつの間にか幸福を掴む人は 生まれながらの優しさを持っている 
貴方が話しかける部屋の中で そよ風がカーテンを揺らすようにゆったりと
自分の感情は大声で怒鳴るよりも 静かに囁く方がよく表現できるものです
 といったのはアンネ・フランクだが 

控えめで静かな人は自分の気持ちをさりげなく表わす事
を知っている 貴方がメモを書いている机に向かって 真面目に注意深く心を込めて 
枯れしぼんだ木の葉でさえも 愛がその上にかがみ込めば 豪奢なものに思われる
 と云ったのはシュレーダーだが
 
喜びと愛に満ちた人はどんな日常の事物にも 華麗な輝きを与える
 貴方はまぶしい3月のプロムナードを愛する人と歩くだろう
その道にはクロッカス ゼラニューム、サイネリア ヒヤシンス ルピナスが咲き乱れ 多分ワーグナーの
ローエングリーンが聞こえているだろう かつて鳴り出でしもの 時を経て又鳴りいずれば
幸福も不幸も歌となる
と言ったのはゲーテだが 

これからの2人の過ごす日々は喜び、苦しみ、
悲しみ、楽しみ 全てがかけがえのない味わい深い交響楽となって
いつか二人の心に響き渡るだろう 
そしてその頃21世紀がベンガルの虎のように誇りと活力に満ちてやって来るだろう」
 
観察力→日常の観察、本で読んで気に入った言葉とか気になった言葉とかを書き留める習慣
があったように思う 

ユングが云っている幸福の5つの条件
①心身が健康であること  
②朝起きて今日やることがある事  
③美しいものを見て美しいと思える事  
④楽しい対人関係が保てる事  
⑤ほどほどにお金がある事

「分け前  佳子(娘)にあげられるもの」  詩
「私の分身である佳子に分け前を上げましょう  生きている喜びを沢山 生きている悲しみは
出来るだけ少なく 私が生きられなかった生をもっと 私が見つけた素敵な世界を 
もっと そのために私が佳子に上げるものはお金ではありません 知恵でもありません 
ユーモアでもありません 経験でもありません 夢見る力でもありません
ただ、私と雅恵が生きている事 それだけです それが私達のささやかな でも最大の佳子に上げられる 
分け前なのです 私とママは佳子の分身です」 
詩を書くと言うのは習慣  降りてくる感じ  心のゆとりが必要なのでは  神経が研ぎ澄まされて
いる時にふっと出てくる時が多い

「同じ人生」  詩
「私のしてきたことはいくつかのささやかな成功と 数多くの失敗の連続だった 
それでも神様に云う事が出来る もう一度生が与えられるならば まったく同じ人生を
やらせて下さい 同じ妻と子供を与えて下さい  人生とはそれほど価値がある 
どんな人生にもそれなりの楽しみを作ることが出来る 
私は自分の人生にある深い味わいを味わい
味わっていない 深い香りをまだ嗅いでいない 他人の人生にそれを見つけ 欲しいと思うより 
自分のなかの広大な宇宙に それを探したい 
人は誰でも一人一人が深いゲームなんだ
人類のアナロジーであり 宇宙のアナロジーだ
 私はまだまだそれを楽しみたい もう一度人生を歩き直すことが出来るなら 
同じ人生にもっと深い味わい良い香りを得られるに違いない」
素晴らしい人達、芸術等々出合ってきたが薄っぺらい付き合いで終わってしまったのではないか 
違う人生を歩むと言う選択肢もあったでしょうが、 
私がやってきた事をまったく同じにやったとしても もしこういう認識を持って 
もう一回繰り返したら そのひととももっと深い会話が出来たんじゃないか 
もっと良い付き合いが
出来たんじゃないか    世界の都市へいっても深く観察できたのではないか 
上っ面をあわただしく見て過ごしてしまったのではないか そういうような悔いが残っている

2011年11月6日日曜日

岡田芳郎(元広告ジャーナリスト)   ・定年人生を心豊かに

岡田芳郎(元広告ジャーナリスト77歳)        定年人生を心豊かに
1934年東京都生まれ、電通入社、CI室長、電通総研監査役を経て1998年に退職
横井也有(やゆう) 楽隠居の進め  古い文体に触れた   おけら伝(自分に対する戒めの言葉) 
おけらはいろんなことが出来るのだけれどもみんな満足にはできない
跳ぶんだけどうまく跳べない 泳ぐんだけどうまくは泳げない
走るんだけどうまくは走れない 等々

ここに一人の老人がいます この老人は詩を作るんだけど詩になっていない 
歌を歌うんだけど歌らしくない 書き物はするんだけど出来が良くない 
横井也有は42歳のときにこの本を書いているが翌年尾張藩の寺社奉行になる
油ののりきっている時にかいたもの(自分を厳しく見つめる)
「うずらごろも」俳句の文集を集めた物 26歳~亡くなるまで書いたもの 草庵に残されていた
大田南畝がこれを読んで面白いと思い 蔦屋重三郎 版元から出版された けら翁伝
以下の4つの事が老人が生きてゆくには大事なことなんだと言っている

①心が和らいでいる(ストレスがない)  
②何事も自然の成り行きに任せて焦らない 
③環境に安んじてゆったりと暮らす(自分の現状を受け入れる)  
④一つの事に凝り固まらない (余り思いこまないで柔軟に行動する)  
気持ちよく(清く)忙しいのはいい事だ(目的を見つけてトライしてゆく)
当時の寿命は50~60歳 年老いて恥多し 

第一線から退いた人は以下の4つを考えるべきではないか
①人生は有限だ(だからやりたい事を今やるんだ  今を気持ちよく暮らす 周りを大事にする) 
②自分で幕をひく
 自分で幕を引くにはある程度自分に力が残ってるときに引かないと引けない 余力で次の道に進む  
③自分の役割を常に開発する必要がある
 傍観者にならないで自分が自分の人生ドラマの主役なのだから自分が登場人物として活躍する
 そういうドラマなのだ どんなことでもいいから自分で動く
④自閉しない 外の物をなんか取り入れる仕組み(仕掛け)を持つ   
 第一線から退いた人はこの4つを考えるべきではないか

 岡田さんは定年になってから  本を出版 それをするためには沢山の取材をした
取材することによって自分の好奇心を満たす 人と会う 旅行しなければできない
横井也有は名門の家に生まれたからこそだと思いますが、尾張藩と云う家がらとか横井家の
家長としてのいつも立場をわきまえて生きていかなければいけないと言う
束縛というかそういうものから早く逃れて、一切の束縛の無い言わば虫けらのように成って行きたい、
 自然のなかに生きたい 
横井の考え方は人の世は小さな世の中である 
自然 虫とか草花とか獣とか自然の現象(雨とか風とか) 大きな世界である 
大きな世界の中の一つとなりながら
自ら「無」 ゼロになってゆく そのようなものが彼の求めた境地なのではないか 

粋な人 器は形がある 形の中に(自分の形に)従えようとする 
袋と云うのは風呂敷もそうだが形がない 中身に従って形が出来る 「虚実の自由自在」 
松尾芭蕉が「虚に居て実を行うべし」  嘘の世界の中に真実がある 
それが俳句だよと云っている  俳句を作る時にその中には虚がある でもそれが真実だ 
俳句と云うのは本当の事を本当にある事をそのまま俳句にすれば良い俳句になると云う訳ではない 
その中に真実といったら抽象的ですけれども 嘘があることによって
本当以上に本当になる  それが本当の俳句だと言っている
  
良い俳句と云うのは本当にその事があったかどうかは実は関係ない 
感動する俳句があるが感動する俳句と云うのはそこに実があったからですよ 
(真実 人に訴えるものがあったから)
人に訴えるえうものがありと云う事は虚というものがそこにあることによって真実を見つけ出すと
言う事です そこが表現と云う技術ですね
「夏草や つわものどもが 夢のあと」 むせかえるような夏草の中で幻覚のようにつわものの
叫びとか甲冑の姿があるが芭蕉のイマジネーションの世界 なにもない草原に
行った時に人の空しさ、を感じる そこにドラマが生れてくるわけです

「やがて死ぬ 景色は見えず 蝉の声」  違う次元の世界を見る
横井は52~82歳まで庵で過ごす 粗衣粗食 風雅に生きる   
町人とはちょっと違う 高級官僚は教養をもっていた  中国、古典、等々
定年後に勉強している
「老いは忘れる方がいいんだけれども、でも忘れてはいけない」 →老いてゆくと言う事は考えない
方がいい 忘れて生きてしまってるのがいいんだ
だからいつまでも生き生きと若々しく生きていければそれはいいことなんだ 
ただ一方自分は実際には年を取って行く訳だから,老いてゆくんだと云う事は忘れてはいけない
「さくらさくら ひとひとさくら いないひと」 

2011年11月5日土曜日

水口憲哉(東京海洋大名誉教授)   ・海と魚と人と

水口憲哉(東京海洋大名誉教授)              海と魚と人と  
中国の大連で生まれる 引き上げの船の思い出 船倉での記憶 新宿にて生活を開始  
現在千葉県九十九里浜の南、いすみ市に住む
宮城県石巻市綿野葉 漁村での最初の体験 種牡蠣 (大学時代) 
東北との付き合いは長い 東京海洋大学 原発との関係を研究していた
陸前高田 火力発電所、ダムの問題で良く通った  
問題点を指摘して建設を断念に追い込む

原発をつくらせないということで30年間やってきたが、悔しさと、空しさを味わっている  
(未記載)を上回る放射能の汚染有
福島第一原発 1978年にほっき貝からコバルト60マンガン54が検出されてその時にも係わった排水溝の堆積物から放射能が検出された
 ほっき貝を採取 1年間控えて話し合いをしながら最終的に発表した  
青森県の六ヶ所村に集結 
漁場破壊、環境汚染の問題で漁業者といろんな問題に取り組む場合には伴走者と云うような立場をとっていると思っている

消費者と生産者との間に立って何時でも安全なものが食べられるようにという立場に立っている 大量の放射性物質が流出したが、世界的に見ても最大の量だと思う 
今回のように放射性廃液が直接海に流れ出したと言うのはない  
イギリスとフランスの再処理工場からは国が認めて放射性廃液を捨てているが最初の頃1年間の量よりも今回の量の方が初めの7日間で棄てた量の方が多い
それだけ規模が多い 水産物の影響は多い 回遊性魚類の影響 
汚染域にどれだけいたか 10ベクレル以下のものを子供には食べさせたいと私は思っている
日本ではこれまで放射性廃液を捨てていたが 5桁、6桁の高い濃度の廃液が流された 
千葉県銚子沖で7月8月と放射能を測定している
20ベクレル/kg 前後の値がずっと続いている (真鰯で) メカニズムが想像つかない 
理解できない 
薄まるから 放射性物質は無くなる事はない ヨウ素131 
2002年 1万枚 ハガキを六ヶ所村から流す(放射性物質の流れ具合の調査) 
一番多いのが六ヶ所村 岩手、宮城 数通返却  茨城県のところで40通の返却有
利根川と黒潮のバリアみたいなものがあって房総には流れて来ないのではないかと思われる
放射性物質は基本的には大きく広がって海面から段々深くなってゆくにつれて薄まってゆくが、さらに深く行くと底の方に溜まる (放射能の物質にもよるが)
吹きだまりのようなところに集まる 
アメリカが海に原子炉を捨てる事を考えた 最終的には海に捨てる考え方がある  
海からの恵みを考えない人達がいる
高レベルの核廃棄物 考え方を変える必要がある  
資源維持の考え方 いつまでも魚、海老を食べられるようにするには 行政にとっての資源維持の考え方、漁場破壊を許さず、乱獲を許さない 
汚染の問題は陸上でいろんな問題が出てくるので 発生源  放射能については原発であり再処理工場である
 
有機錫化合物 TBT 船底にふじ壺、海藻、牡蠣が付かないようにする船底料がある 
燃費が20%改善する 2008年に塗ってはいけないと言う事になる
発生源を断つと言う例 原発を止めて発生源を断つ  
原発は平和利用でいいものと思われてきたが呪縛のなかにとらわれてしまっている
核兵器は段々使わない方向になってきているが原発のほうはそうはなっていない 
核文明(核兵器、原発)から脱する必要がある  
子孫が安心して暮らせない
福島第一原発の事故により世界の人達が再認識させられたと思う 
地震だけは我々にはどう仕様も無い ドイツははっきりと舵を切った
電気の使い方を考える必要がある

2011年11月3日木曜日

小山修三(吹田市立博物館館長)    ・挑戦する博物館 2

小山修三(吹田市立博物館館長)         挑戦する博物館 2  
国立民族学博物館の建設に準備をしていた梅沢忠雄さんにまねかれて、民俗学博物館に入って行って仕事をするようになった 
民俗学博物館→狭い分野に入ってやるのではなく広く  解説を付けない 
物から直接考えろ 判らなければ勉強する  
1978年開館
展示と考えている事を一致させる  
一般的にはお宝物集めになってしまう  
文化は相対的なもの 日本の中に独自性がありお互いに影響を受けながらこういう格好に有る 面白くないといけないと思う 同じ人間だから楽しんで来い(オーストラリアに行ったの梅沢氏の言)  
石毛直道さんと小山さんのトークイベントショー 
大阪の吉本興業 関西で売り物は吉本と宝塚と民俗学博物館やと云う 
第一回「 ウドンとそばでどっちがうまい」 「おしゃれな縄文人」「世界の音楽アンデス」・・・砕いた民俗学の展開 (吉本と民族学博物館との対話)
三内丸山遺跡の発掘にも係わる  
ヒスイがあったり、漆の櫛があったりで縄文人は裸足で髭を生やしていると言うのにどうも疑問を感じていた
いろいろ集めて言ったら意外とおしゃれ ネックレス、耳環、腕輪、 
そんなに汚いわけないだろうと絵本を書く 
「縄文時代の子供たち」(都合のいい物だけを集めたのではとの批判があった)  
三内丸山に全部出てきた 実証された  
三内丸山の発掘が終わったら野球場にする予定だった 
(青森球場 観覧席がコンクリートで出来ていた)  
市民の力で止めさせる  

2011年11月2日水曜日

小山修三(吹田市立博物館館長)    ・挑戦する博物館

小山修三(吹田市立博物館館長)         挑戦する博物館  
吹田市立博物館では特別展の企画運営を中心に市民参加を積極的に進める
20名の従業員 特色 地方の歴史を展示するのが基本理念 市民参加の博物館 
岩倉具視が起点になって1年以上かけて、欧米に行って見て、あっこれが庶民の文化の為に一番なんだということで、国立博物館をつくる
どんどん押しつけてくる 文化レベルを上げる 
お宝の番人見たいで触ってはいけない 
ルーブルに行って吃驚したのはルーベンスとかドラクロア 名画がずっと並んでいるだけでガラスケースに入っていない 
   
2004年着任 一般的な地方博物館だった 来なくなっちゃていた 
公のお金が入って来る時代 古いものを展示
市民から博物館を盛り上げる運動が始まる 千里ニュータウン展を実施 
今までの博物館の枠に入らない状況 
市民委員会を作って新しい意見を出して対応する方法にした
40数名集まって(かつての住民を含め)議論  2006年に千里ニュータウン展を実施 
バスタブ等 生活の場の再現 当時の生活用具 
博物館は展示する物から総合的なものに変わる (劇、歌、等) 良く入る
 
生まれは香川県 小学校1年生が終戦 いつも腹が減っていた 
山へ行って実を取ったり、海で魚を取ったりしていた
国際キリスト教大学にいく 考古学 土器を掘り当てる 
土に文様が転写されているのを見て吃驚した
恋ヶ窪に土器が有った (崖の部分) 栗の栽培、粟  
縄文時代 二万年に遡る時代ではないかと思われる 
黒曜石 分布 
1971年アメリカに留学 カリフォルニア大学 5年間いる 
博士論文 カリフォルニアの先住民の人口と食糧の関係 川が何kmあれば人口を何人支えられるか 
日本の縄文時代の人口を計算してみたらどうかという事になる 
日本に帰ってきて各県の台帳を調査 パソコンが広まり始めたのでグリッドに落として計算してきた 縄文中期の土器の発掘量が東日本に物凄く集中していて
(武蔵野で発掘したものとはほぼ共通している)西日本は中期はがらがらです  
27万人が住んでいたと推定する (北海道入れずに本州のみで) 
ピークの時は東日本に集中していたと思われる・・・縄文中期
梅沢忠雄  情報論を中心とする見通しの正しさ 仕込まれました 

2011年11月1日火曜日

石橋純(東京大学准教授)        ・私を育てたベネズエラ文化

 石橋純(東京大学准教授)                     私を育てたベネズエラ文化  
ベネズエラ 距離から言うとブラジルより近い 日本の2.4倍の面積 3000万人弱  
ヨーロッパ系、アメリカ大陸先住民子孫、アフリカ系 その混血 多民族多人種
チャベス大統領 21世紀の社会主義を目指す 社会改革を進めている 石油が沢山取れる 
日本には地球を1/4周しないと輸入できないので石油の輸入は殆どない
パナマ運河をタンカーが大きいので通れない 
サッカーより野球が盛んでラミネス、ペタジーニ がベネズエラ出身 

スペイン語を専攻(東京外国語大学) 大手電機メーカーに勤務 
ベネズエラに駐在員に行くことになる  販売戦略の立案 月に2から3回販売店を回る
8年駐在 ベネズエラの文化、特に音楽に魅了された  
ベネズエラ文化を世界に知らせようと思った 日本に音楽を紹介する
ホローポが代表的(ブラジルのサンバに相当する) 
楽器はアルパー (ハープ) クワトロ(ギター) が基本の楽器
初めは一流のコンサートを訪ねていたが 民謡とお祭りを訪ね歩くようになった 
ベネズエラのTVにも登場しないような現地の音楽家に出会う事になる
  
戻って来てから会社と大学院を並行して過ごすようになった
(35歳までにライフワークを見つけて漠然と転職を考えていた)
1990年代なかばで会社が不況になり大規模なリストラが実施、会社を辞めて大学院に専念して博士論文を書く(35歳)
2つ学んだ 速況を尊ぶと言うこと 緻密に計画してがっちり固めてそれを計画通りに実行してゆく事ではなく、状況に応じて臨機応変に判断し、なおかつ臨機応変のチームワークを発揮して目標を達成する (速況精神を学んだ)

役割分担が決まっていないのでどんなことでも必要があればチャレンジしてゆく
(日本では固定化されてしまっている 持たざる者の生きかたの戦略ともいえるのですが)
未知なものにも恐れずにチャレンジしてゆく事にベネズエラ精神によって培われたと思う
人間的な魅力は→中南米の国のなかでも余り裏表がない 
自分の事を好きになってくれたら全身で好きだと表わすし、嫌いな人は嫌いと非常に判り易い 裏表がない
ベネズエラ文化から学んだこと、最もかっこよくやりたいときには最もさりげなくやれ 
さりげなくかっこいい事をやるのはベネズエラ文化の美学(かっこいい事には命をかける)
東京大学の名物授業があるが全学体験ゼミナール 専門分野以外の活動を実際に学生に体験してもらおうというのがある

ベネズエラの音楽を実際に学生に体験してもらおうと思ってラテンアメリカ音楽演奏入門として全学体験ゼミナールを開きました
ベネズエラ文化週間 カラカスシンクロニカという6人編成のバンド(ベネズエラで超一流)  
11月初めに来日コンサート
経済的に恵まれない人たちが(黒人等)教育、自助努力を通じて人間開発、社会開発してゆく為の良い仕組み作り 貧困のより少ない社会作り に何らかの形で自分の勉強を生かせたらなと そのひとつに人種差別の問題があり、この世の中には人種差別だけではなく不平等がある 
差別する人と差別される人がいるのが常ですので、差別を解消してゆく為に民衆文化や音楽の研究が役立てばなと思っています 
先ずは知らない人達の事を知る 豊かな感性を持つ