阿刀田高(作家) ・「91歳、終わりこそ晴れやかに 後編」
ご両親を早くなされて、20代は1人で生きざるを得なかった時期があり、その中で文学への道切り開かれていった話から始まります。 そして30歳で結婚、妻の慶子さんと人生を共に歩まれいてきますが、2020年、慶子さんはレビー小体型の認知症を発症します。 阿刀田さんは介護を続けながら寄り添い、去年2025年慶子さんを見送られました。
もともと独りだと思っていました。 妻もいたし子供もいたし、もともと独りではないんでしょうけれども、どっか人間は皆独りですよ。 独りであることを享受しなければ人生はうまく生きていけないんじゃないかなと思います。 一時的に私は独りでした。 早く両親に死なれてしまったものですから。 15歳になるまでは豊かな家庭で大事に育てられまいた。 私は子供の頃はのんきに自由に身勝手に繋がれたものです。 20歳を過ぎて10年間ぐらいはそれなりの苦労はしました。 父が亡くなったのは高校2年の時でした。 大学は奨学金等アルバイトで生活しました。 大学のときには肺結核を患って1年半療養生活をしました。
新聞記者になろうと思ってましたが、国会図書館に勤務しました。『ブラックユーモア入門』と言う本を出版したら、それがベストセラーになってしまいました。 決心して退職してミステリーなら書けると思っていました。 ロアルド・ダールの作品を見て、こんな世界がある、これだったら書けるかもしれないと言うのがデビューにつながっていきました。 「冷蔵庫より愛をこめて」の中に収められている短編「幸福」が1つの転機になりました。 ユニークな作品です。 編集長のところに原稿を持っていったら、こういったものを待っていたということで、まだ雑誌に乗らないうちに原稿料を支払ってもらいました。 いきなり直木賞候補になりました。 2冊目『ナポレオン狂』で直木賞をいただきデビューしました。
1年半の闘病生活があったので、ほんのちょっといいことがあればいいなぁと言う悟りみたいなものはありました。 今もそうです。 ほんの少し良いことがあればいいなぁ位の気持ちで過ごしています。 妻が2024年に亡くなりました。 その3年位前から妻の介護をしていました。 70、 80パーセントケアしないと生活ができない状況になっていきました。 危機的な状況になっていると言われて、このまま行くと、あと3ヶ月であなたはダメになると言われました。 子供たちとも相談して施設に入れることになりました。 10日位前に手を握り合って、「おじいちゃん大好き。」と言いました。 それがちゃんとした言葉を吐いた最後でした。 「ありがとう」と言う意味合いがあったと思って勝手に解釈しました。
エッセイの中で「死は無である。」と言うことを書いています。 神様とか宗教と言うものは人類が考え出した偉大なるフィクションだと思います。 このフィクションは人類にいっぱい良いことをもたらしていると私は思います。 偉大なるフィクションに対して否定するわけでは無いですが、私自身は死は無に帰ってくることだと思ってます。 死んだ妻に対しても、あの世で何を考えているかなんて言う事は全く考える必要ないんです。 いいことだけ思い出してよかったよかったと思います。 子供の頃そういった考えを持ってましたが、もし死後の世界があるとするならば、それは他の動物にもあるはずだと思います。 動物にない世界が人間でもある筈がないと思います。 どうせ無なんですから、死の世界を考えなくてもいいんです。 かなり本気でそう思ってます。
人生の道標として思ってきたのは、自分の与えられた条件の中で、ほんの少しでも良いものを求めて行こうと思い、ほんの少し努力することとです。 自分の幸福は自分で作るより他にないと思ってます。 ほんの少しでもいいですから、それを重ねていくと、少しは良い人生があるんではないかと思います。 「掌より愛をこめて」は多様な作品がぎゅぎゅっと詰まってます。 友人、知人、同じ世代の人がどんどんなくなっていくので、そういう年齢になったんだと言う事はつくづく感じますが、どうせまた無に帰ってゆくわけですから。