冨士眞奈美(女優) ・「余白を味わう暮らし」
富士真奈美さんは静岡県の出身。 1956年に女優デビューしました。 以来幅広い役柄で活躍しています。 一方長年親しんでいる俳句の世界では、句集を出版したほか、選句や選評も務めています。
吉行和子は私の家から歩いて15分の位のところですが、亡くなるまで3年会っていません。 お互いに大親友だと思っていました。 俳句をして月1回ぐらい会ってたんですが、突然なくなってしまいました。(去年9月2日) びっくりして1週間ぐらい寝込んでしまいました。 岸田今日子ちゃんとは18歳位からのお友達です。 野球、相撲などに一緒によく行きました。 和子っぺは料理が嫌いでしたが、私は好きでした。 或る時に「一緒に暮らさない」と言われたが、冗談だと思っていたが、今考えると本気だったと思いました。 亡くなってしまってからなんで、そうしようと言わなかったんだろうと思いました。
デビューはNHKのテレビドラマからスタートしました。「この瞳」の主役に抜擢されてデビューしました。 (70年前) 或る時、大山のぶ代さんから一緒に暮らさないかと言われて、ついて行って2 3年は一緒に暮らしました。 まだドラえもんの役に巡りあう前でした。 1970年、「細うで繁盛記」に出演しました。 私は伊豆の人間なので、方言の指導などもしました。 舞台は伊豆の旅館で、若いお嫁さんとして来たのが新珠 三千代さんでした。その新珠 三千代さんをいじめる小姑の役でした。
女優の忙しい時期に結婚しました。 女優として第一線から退きました。 娘が生まれて一緒にいる時間がすごく楽しかったです。 離婚したときにはこんな自由ってあるかしらと思うほど、今日子ちゃんと和子っぺと一緒に遊ぶようになりました。 女優業に復帰しました。 和子っペは「本当にあなたのおかげで、離婚したおかげで、私の後半生がぱっと開けたのよ。」と言ってくれた時は嬉しかったです。
俳句は14 、5人でやるんですが、みんな仲良しで感覚が一緒の人たちってやっぱり親族の次に仲良しになれるかなぁと思います。 和子っペは「結局、ボーイフレンド、最後の男友達は句会の仲間かな。」と言ったけど、好きとか嫌いとか感情を抜きにして、淡々と付き合えて、俳句を仲立ちに友達になると言うのはすごく強いものがあります。 最初は、中村汀女先生とテレビ句会に出ました。 黛敏郎さんとか、谷川俊太郎さんとかと一緒に出ました。 俳句をやったらいいんじゃないかと言うことになりました。 毎月1回必ず句会をやっていました。
最近はずっと作りませんでしたけれども、和子っペが亡くなったときに、一句作りました。 「とこしなへ夢見る一人静かな」
アグリさんのお葬式のときには、「ゆすらうめ乙女の夢を想うまま」と言う色紙を書いたんですが、それをアグリさんの「お棺に入れておいたよ。」と、和子っペが言いました。 俳句やってて良かったなと思いました。 私の俳号は衾去(きんきょ)です。 「おしとね下がり」という言葉がありますが、おしとね下がりのつもりでつけました。 佐藤愛子先生から、「あなたは俳句はいいけど、「おしとね下がり」なんてよくないわよ。」と言われちゃいました。
和子っぺは「窓烏」上手くなったら「そうう」と言うふうに言おうと思いますが、今は「窓がらす」と言っていました。 京子ちゃんは「眠女」(みんじょ)といいます。 俳句を上手くなるには、名句を暗記していくことだと言われました。 俳句っていうのは、作っておけば日記みたいなもので、その日の様子とか環境とかまざまざと浮かんできます。 俳句を作るのと言うのはいいと思います。 俳句作るようになったら、自分について1番考えるようになりました。
「百合開く闇一寸の吐息かな」 句集の中からこれが好きだと言われました。
「明日開く百合一輪結ばれる」 百合の句は一杯作りました。
本は小さい頃から好きでした。 最近も俳句に関わるような本を読みます。 食べ物は好きなものを気ままに食べてます。 手紙を書いたりするのも好きです。 電話とかは苦手です。 家のものを片付けたいとは思いますが、いろいろ思い出があって、なかなかそういうわけにはいきません。