2026年4月11日土曜日

フレデリック・クレインス(国際日本文化研究センター 教授)・興味が尽きない、日本の戦国時代

 フレデリック・クレインス(国際日本文化研究センター 教授)・興味が尽きない、日本の戦国時代

俳優の真田広之さんが主演、プロデュースしたテレビドラマ「SHOGUN」が、アメリカテレビ界最高の栄誉とされるエミー賞に加えて、ゴールデングローブ賞でも、作品賞や主演男優賞など獲得して話題になりました。  戦国時代の日本を緻密に再現したことが評価されたもので、その時代考証を担当したのがクレインスさんです。ドラマはオランダの船で日本に漂着したイギリス人航海士ウィリアム・アダムス、後の三浦按針と徳川家康、そしてキリシタンの細川ガラシャの3人をモデルにした人物を軸に展開します。  戦国時代と武士に惹かれて日本にやってきて、戦国文化、日本とヨーロッパの歴史、日本とヨーロッパの交流の歴史を研究しているクレインスさんにドラマの時代考証について、そして戦国時代研究の面白さをお聞きしました。

時代考証で、例えばどんなことをしてきたのか、脚本が当時の日本の文化と離れていたので、まず当時の戦国時代の武家がどのような行動をして何を考えているのか、それを説明することから始めました。 色々誤解していました。 例えば、切腹と言うのは、武家が自分の犯した過ちとかを訂正するために、おのずからやると言う風習ですけれども、彼らはいやいややっている罰だと思い込んでいました。  武士の名誉、考え方、死生観などからスタートして、これによって新しいシーンを一緒に作ったり、キャラクターも新しく作りました。 深みのある作品になりました。

戦国時代を研究すると、茶の湯のことも結構出てきます。 言葉も英語で書かれていたものを、日本語に置き換えてますが、現代語にすると雰囲気が出ないので、セリフを妻と共に慶長期の日本語に置き換えました。  実は当時の辞書と文法書があるんです。 それを参考にしました。 セットと衣装なども時代考証しました。 江戸時代と戦国時代はかなり違います。 当時の武士たちは、和歌とか連歌が非常に重要な文化要素です。 そのシーンも作りました。

私が幼稚園の頃、日本人の子がいました。小学校5年生の頃に日本に戻ってしまいました。 彼と文通をしてすごく日本のことに興味を持つようになりました。   本を購入したりして、日本のことをどんどん勉強するようになりました。    1980年私が10歳の時にテレビでSHOGUN」(旧)というのをやっていました。 それをきっかけに日本の歴史に興味を持つようになりました。 衣装、文化言葉などに特に興味を持ちました。  19歳の時に来日して日本語を勉強して、大阪外国語大学に留学しました。 28歳の時に京都大学大学院に入って博士号を取得しました。    日本人の女性と結婚しました。 江戸時代の作り方で家を新しく作りました。   武家屋敷と古民家の間ぐらいの建物。

多くの歴史的人物は、充分資料が資料が残ってないです。 ウィリアム・アダムスについては資料が十分残っています。 それを一次資料にしました。 ウィリアム・アダムスはすごく面白い人物で、1564年にロンドンからちょっと東の港町で生まれ育ちました。 船大工になって航海術も覚えました。 24歳の時に、スペインの無敵艦隊がイギリスに侵略しに来ますが、それに対抗してイギリス人の艦隊を形成して向い打ちをします。 その艦隊の船の中の1つのアダムスが船長として働きました。その後バーバリー商会という貿易会社に就職して 、10年近く続けます。 

1598年オランダ人がアジアに派遣する船団を形成していると言うことを聞いてそこに入りました。 16世紀は大航海時代で、ポルトガルとスペインが世界に出て行った時で、アジア南米で植民地化をやっていきます。 ポルトガルはアジア、スペインは南米を支配をしていました。 イギリス、オランダはスペイン、ポルトガルとは宗教戦争をやってました。 経済的ダメージを行うために海賊行為を行います。  略奪品を自分の国に持ってくるという事をお互いがやってます。

ドラマの中では、日本に来るまでが大変だったと言うことがあります。 旅自体が2年間かかりました。 逆風でなかなか進めなかった。 食料も尽きてしまう。 アフリカあたりで伝染病にもかかったりします。 非常に苦労しながらマゼラン海峡に入ります。 そこは非常に寒く風も強い。 最初500人の乗組員だったが、そのうち100人が寒さで亡くなっています。(この時点で半分になっている。) 食料調達する上でも多くの人が亡くなりました。 出発した船がついに二隻になってしまいました。  二隻で太平洋を渡って、日本に行こうと言うことになりました。 その途中嵐に出会って一隻はいなくなりました。 最終的に日本に着いたのは一隻でした。

乗組員は24人でした。(出発時500人)到着後すぐ6人が亡くなってしまいます。  残った18人の1人にアダムスがいました。 豊後につきました。 そこの領主が、長崎奉行に報告しました。 長崎奉行は、五大老に報告しました。家康も大阪にいました。 家康は、積極的な外交を行っていた武将でした。 とにかく輸入を以て日本の経済を豊かにするそういう考えを家康は持っていました。 船長を呼ぶように指示しましたが、船長が病気だったため、航海士が大阪に送られました。 アダムスに会って、この人間は有能な人物であると判断したようです。

ポルトガルとスペインは貿易の代わりに宣教師を容認しろ、キリスト教を布教させてほしいと言うことでした。 けれども、アダムスはwin winで貿易をしたいということでした。 アダムスは旗本になって、家康の側近になります。 アダムスは家康に世界情勢のことをいろいろ語っていきます。 その他にいろんな学問を教えました。 通訳と外交全般の窓口になっていきます。  いろいろな国と貿易をすることによって、値段も安くなってき、日本の経済が豊かになってきます。 

スペイン人が江戸湾の測量をさせてほしいと願いでてます。 アダムスはこれを聞いて家康にこれは罠であると言います。  彼らは測量して、次は軍を送ってくると言うことを力説しました。 家康は宗教の怖さを知っていたので、キリスト教で同じことなったら大変だと禁教令を出します。 イギリスは1923年に日本であまり元気が出ないので撤退してしまいます。 ポルトガルとスペインは貿易と布教が表裏一体でしたが、オランダは貿易で利益を得ることそれが大事でした。 積極的な布教活動は一切やってませんでした。 オランダであれば十分な輸入品が得られるし、布教活動の脅威から解放されると言うことで鎖国に発展していきます。

戦国時代の文化、武家文化を海外に伝えたいなぁと思っています。 足利将軍家の本について書いています。(学術書) 足利家の時に、武家文化が出来上がっていきます能だったり、茶の湯だったり、連歌だったり出来上がっていきます。 もう一つはSHOGUN2、これに力を入れたいです。 戦国時代を英語で小説を書いて、11000ページで6冊の構想を持っています。 武家文化の素晴らしさ、深さを海外に伝えたいと思ってます。