2026年4月12日日曜日

行定勲(映画監督)             ・「映画で支える熊本の復興」

 行定勲(映画監督)             ・「映画で支える熊本の復興」

行定さんは熊本県出身の57歳。 高校卒業後、映画製作の専門学校に進み、岩井俊二監督の映画で助監督を務め頭角を表します。 2002年には映画「GO」で日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞。 2005年の「世界の中心で、愛をさけぶ」と、2006年の「北の零年」では優秀監督賞、また2010年の「パレード」と2018年の「リバースエッジ」では、ベルリン国際映画祭の国際映画批評家連盟賞を受賞します。 414日と16日で熊本地震から10年になりますが、行定さんは 16日の本震のときには、熊本市内にて被災しました。 

熊本地震の被災から熊本の人たちが立ち直るために、何ができるかを考えた際に、映画監督である自分にできる事は、映画で被災した人たちを励ましたり、被災した熊本の現実を映像で記録することだと考え、被災前に作った熊本を描いた映画「うつくしいひと」の続編として、被害の大きかった益城町や熊本城、阿蘇神社や阿蘇大橋などの被災現場でロケを行い、「うつくしいひと サバ?」と言う作品に仕上げました。 熊本地震から10年が経ち、行定さんにとって、熊本地震の教訓は何だったのか、故郷熊本に対する思いはどう変わったかなどについて伺いました。

地震を乗り越えてきた今の熊本と言うものを認識している人たちが自負のある方が多い感じがしていて、この10年と言うものを前向きにやってきた10年と思うので、水害もあってその後コロナもあり、それを乗り越えてきたと言う感じがあります。当たり前にある熊本城が地震であんなに傷つく姿と言うものは今まで見てられなかったんですね。 ライトアップすると、復活しようとしている熊本城のように見えるんです。  見上げている人たちを見ると、皆涙をしてるんです。

完全復旧2052年度目標にしてました。 熊本地震の爪痕を部分的に残してあるというのが、多分ファッションデザイナーの高田賢三さんがおっしゃったことで、ヨーロッパでは多分ピシャと直さないだろうとおっしゃっていました。 自分の映画を復興している姿を、どっかに映画に取り込みたいと言うことを思って、「うつくしいひと」の続編「うつくしいひと サバ?」を作ったんですが、賢三さんが言ってることと近いと言うふうな思いはありました。 崩れ落ちた石垣を少しだけ残す事は重要なことかなぁと思います。  10年経って今しか見れない熊本町と言うものがあって、復活の途上にある熊本城を見ていただけるので、熊本に行く際にはぜひ見ていただきたいと思います。   

地震があった414日の翌々日の416125分に大きな揺れがありました。  余震にしては大きいと思いました。 テレビが倒れたり冷蔵庫の蓋が開いて、中身が飛び出したりして、ベッドにしがみついていました。 地震を経験したから、情報の発信ができたと言うことと、外側の人たちが支援してくださる熱い気持ち、愛情みたいなもの、支援をしてくれる彼らの思いみたいなものを受け取る側にいたから、ありがたさみたいなものをものすごく感じることができました。 「うつくしいひと」と言う映画を作っていたおかげで、熊本と言うものをについて、僕自身を改めて、生まれ故郷を感じることができました。 

5月に「うつくしいひと」を公開しようと言う手はずでしたけれども、地震が発生してしまいました 。熊本の美しい情景を撮っていたので、被災した人たちのことを考えると、見れる余裕なんてあるはずがないと思いました。 県外の関係者から「うつくしいひと」を上映して、チャリティー上映と言うことにさしてもらえないかと言う話がありました。 300から400カ所位のところで、上映していただいて、現金が2000万円位集まりました。  熊本県出身の俳優の人たちが多く出演してまして、まさかチャリティー映画になるとは思ってもいませんでした。

「うつくしいひと」を撮影した翌年に「うつくしいひと サバ?」を撮ってますが、明治40年頃にも、熊本に大きな地震が起こってまして、(熊本には地震が起きないという風説があった。)文化の力で変えていかないといけないと思いました。地震後半年位の時でした、撮影させてくださいと訴えて、自分たちがどんな思いでいるかと言うことを伝わると言う事はすごくプラスになるかなと言う風な思いがありました。 映画に協力してくださる方から、本当の俺たちの気持ちはわかってくれていないと言うふうに言われました。 それで或るスタッフがショックを受けました。

彼が涙ながらに撮影をやめましょうって言いました。 本音を言ってもらうシーンを取り入れました。 何かを諦めなければいけない人にも出会いました。 東京に行って自分の夢を叶えようと思った人が、地震で諦めざる得なくなりました。 本当はパリに行く予定だった女性が、ダンス留学をするのは諦めて、熊本でも踊れることができるって言う思いをそのまま使わせてもらいました。「うつくしいひと」「うつくしいひと サバ?」と3作目に作った地震当日の話「いっちょんすかん」、その3つの作品が合わさったら、熊本出身の俳優さんたちがリアルな熊本弁でユーモアもありながら、客観的に見られる映画だと思いますが、その思いが後の人たちにつながっていくと言う、映画は記憶装置と言う部分もあるかと思いました。

いろんな苦労に合いながらも、それでも熊本で頑張っていきたいと言う事を聞いたりすると励まされます。 熊本もいろんな変化を遂げていくと思いますが、例えば熊本の人たちで才能がある人がいたら、それを世の中に広めていったり、発見してあげたいとか、これからの時代を担ってくれるであろう、子供たちの人材育成のきっかけを与えられるといいなぁと思います。  映画祭自体がそういう存在になっていくと言う事が希望です。 熊本って新しいもの好きで最新のものが好きなんです。 わさもん文化というものがあります。 わさもん文化を復活させるというか、それが原動力になってパワーみたいものが、世の中にいろんな力を提示できたらいいなと言うふうに思ってます。