2026年4月3日金曜日

森田佳奈子(キャナルハウス 代表理事)   ・「一人の少女との出会いが導いた国際保健への道」

 森田佳奈子(キャナルハウス 代表理事)   ・「一人の少女との出会いが導いた国際保健への道」

4月7日は世界の人々の健康について考える日、世界保健デーです。 森田さんがジャイカ青年海外協力隊や国際NGO国際機関のコンサルタントとして、世界各地の災害支援や保健活動に携わってきました。 2010年のハイチ大地震では、多くの子供たちの厳しい現実を目の当たりにして、途上国での保健や教育支援の必要性を強く感じたといいます。  その原点には、幼い頃にフィリピンでストリートチルドレンの少女メアリーとともに過ごした経験がありました。 1人の少女との出会いが、どのように森田さんの人生を導いたのか、世界各地での支援活動を通して見えてきた支援の本当の意味、そして森田さんの国際保健にかける思いについて伺います。

国際保健は一般的にグローバルヘルスと最近言われていますけれども、人間の健康課題をいろんな分野で複合的な学問領域からアプローチする研究を言います。  自然災害、環境破壊、地球温暖化、そういったものと人間がどううまく関わっていくかと言うところも国際保健の分野になっています。 国際保健と言うのは医療と言うイメージが強いですが、1番現場で大切なのは水とか衛生とか、運搬搬送のマネージメントとかも大切になってきてます。 貧困と言うのも国によって違います。国連では1日2ドル以下の暮らしをしている人たちを貧困と定義していますけれども、精神的な貧困、情報のつながりのない貧困といった目に見えない貧困がよく取り沙汰されています。 

日本も深刻で7人に1人ぐらいの子供が貧困にあると統計されています。 2000人に一人の子供が軽度の栄養不良にあるという統計があります。 アジア、アフリカの妊産婦さんの死亡の第一位は出血多量で亡くなっていきます。 私は7歳の時にフィリピンのストリートチルドレンのメアリーと言う女の子と一緒に暮らしていました。 父がフィリピンの女の子を学校に連れて行き、教育を受けさせると言うことになりました。 そこから私もそういった途上国の子供たちに、こういった状況があるんだと言うことを知って、そこから国際保健と言う道につながっていったような気がします。 

父は校長先生だったので、日本で教育を受けさせると言うプログラムの1つとしてメアリーが家に来ました。 なんでこんなこの子を連れてきたのという思いもありました。メアリーは日本語をほとんどしゃべれなかったので、ちょっとしたことで喧嘩などをしたことがありました。 メアリーは1年半か2年ぐらいいました。   一緒に住んでる時は、その子が特にかわいそうとか不平等な状況にあると言うところまでは何も考えていませんでした。 

10代から20歳過ぎ位の頃に世界の不平等というものが存在すると言うことが感じました。 母が乳児院に働いてまして、寒い冬にへそのおを付ついた赤ちゃんが段ボールの中に捨てられていたと言うようなことを2、3回聞いたことがありました。 母の友達は、普通に養子縁組で一緒に養子の子と過ごしていると言う家族がたくさんありまして、そういったことが普通な家庭で育ったので、支援と言うよりも人間としてそういうことをするものが当たり前と言うような中で育ちました。   その影響で、支援活動への思いが広がっていきました。 メアリーの件は何かをやるときの1つのきっかけになったとは思います。     

青年海外協力隊として現地にも行きました。 ODAが大きなプロジェクトを展開してますけれども、プライマリーヘルスケアと言うプロジェクトの中の一員としてカリブ海のドミニカ共和国に派遣されました。 コミュニティー開発、村人の人たちと一緒に養護医学の活動を2年間しました。 住民の組織化と言うのを担当して非常に勉強になりました。 住んでる方たちにとって何が1番良いのかと言うことをまずよく知ることかなと思います。 支援と言うものの前に彼らをよく知ることで、彼らが何を望んでやって欲しいと思ってるかと言うことを、私たちは知る必要があるんじゃないかと言うふうにいつも考えています。

いろんな支援のやり方があると思いますけれども、私は基本は自分は介入者、外部者だと言うスタンスを貫いています。 彼らとの暮らしに徹底的に寄り添うことをから始めます。  信頼関係を築くのには1年間ぐらいはかかります。 まずは信頼してもらう。  入ってすぐにハイチ地震がありました。 31万6000人と言う世界の自然災害では最も大きかったものです。 2010年の2月28日に南米のチリですごい大きな地震があって、ハイチに行く用意をしてたら、チリに行くように指示されました。 

現地に入って、国連がベーシックな情報をまず出していきますが、私が心がけているのは、現地の人にヒアリングを結構取りに行きます。 国連とか政府機関が出している統計データを頭の片隅に置きながら、住民が何を気にして、恐れているのかと言うようなことを聞いて、プロジェクトをリードしていきます。 

2010年のクリスマスのころに、ハイチではコレラの感染症が流行っていました。 コレラに感染した10代の精神疾患を持った男性に対して、、医師がいろいろ対応してくれました。 けれどもその子が亡くなった後、私はPTSDになって、3、4時間涙が止まらなかったりしました。 一旦仕事を離れて、上司にもう仕事を辞めますと言うことを告げました。 その後ニューヨークに行ってリフレッシュしてまた帰ってきたということがありました。 

辛い場面とかあると逃げたいとか、早く忘れたいって言うことがありますが、最近はそういうことがあるからこそ続けるきっかけになったり、自分をもっと強くさせているなと思ってます。 現在はキャナルハウスと言う組織を立ち上げました。2012年に私は子供を出産して、グローバルヘルス分野で何をしていこうかなと思ったときに、次世代に何か残していきたいと言う思いがあって、子供支援の団体と言うふうに立ち上げました。 ハイチの状況は日に日に悪化しています。 首都はギャングが制圧してしまった状況で、私も2021年最後に行ってから行けてない状態です。 メアリーのおかげで、今はこのような仕事をできているので、いつか伝えてみたいと思います