2026年4月15日水曜日

田中ひかる(作家・歴史社会学者)      ・「女性たちが切り開いた歴史に光を当てる」

田中ひかる(作家・歴史社会学者) ・「女性たちが切り開いた歴史に光を当てる」 

田中さんは、歴史や社会学の専門家としてその研究を物語として届けてきました。明治時代に初めて医師になった女性たちや、生理用品を開発した女性など、近代の女性活躍の礎を築いた人物を取り上げてきました。  その中で2023年の著書、「明治のナイチンゲール大関和物語」はナースの先駆けである2人の女性、大関和鈴木雅の姿を描いています。 看護が職業として確立していなかった当時、2人はきちんと訓練を受けたトレンドナースとして地位向上に尽力しました。 今年、今放送中のNHK連続テレビ小説風「風、薫る」はその田中さんの著書が原案となって、2人の主人公がナースとして成長する物語です。 インタビューでは看護の歴史をひもときながら、女性の働き方や生き方について田中さんの思いを伺いました。

モチーフとなる人物とイメージ通りです。毎回楽しみながら見ています。     大関和は離婚して東京に来て、その後のことが比較的わかっているんですけれども、それまでの事はわからないことが多くて、地元の方もあまりご存じなかったようです。 地元の方にも大関和のことを知っていただきたいと思います。

大関和について書いていましたが、鈴木雅の存在も知って、2人の物語にしたら面白いと思いました。  同じ看護学校で2年間学んで、同じ病院に就職して外科と内科の看護師長になって数年で2人とも辞めてしまいます。 その後離れ離れになりますが、また東京で働くようになります。  2人が関わったのは約10年位です。  しかし、日本の看護の歴史を築く上で濃密な10年間だと思いました。  2人の物語として書きました。 トレンドナースとして正規に訓練された看護婦として、登場する前は、看業婦とか看護人と呼ばれていて、卑しい職業としてみなされていました。 

当時、明治の時代は内戦とか日清、日露戦争とかあって、怪我をした兵隊を看病すると言う仕事がどうしても必要となってきました。 国としても看護婦と言うものを養成していかなければいけないと言う考え方もありました。 徐々に卑しい職業から憧れの職業にイメージが変わってきました。 和たちが看護学校に入った当時は、ナイチンゲールはまだ現役で70代で活躍していました。 牧師から看護は素晴らしい尊い仕事だと言うことをに説得してしました。 桜井女学校附属看護養成所ところにと雅は入ります。

看護を学ぶ上で英語は必須でした。 明治時代はコレラ、赤痢、腸チフス、天然痘とかいろんな感想が流行っているのは、当たり前のようでした。 は、集団感染の現場に行って衛生環境を整えると言うことを徹底的に行った結果、死者数が激減しました。 当時4人に1人は亡くなっていたと言われる時期に、100人中死者を5人に抑えたとかと言うことが記録されています。 和は自分の後輩も養成していきます。 うがい、手洗い、顔洗い、部屋をきれいに保つ、換気と言うことを唱えてます。 

鈴木雅の功績としては、派出看護婦会を立ち上げたのがすごいなと思ってます。 その成果を見て広がっていきました。  雅は看護婦養成所を作って3年間かけて看護婦を養成しました。(資格、制度のない時代) 派出看護婦会が一気に増えて、日本の国の8割は派出看護婦と言う時代があるそうです。  性格の違う2人だからこそ、うまく支え合うことができたんだと思います。  大関は人のために献身、犠牲、奉仕と言う働き方とする人でした。 しかし看護と言うのは仕事ですし、それに見合った待遇ではないんではないかと言うことを思っていて、あまり奉仕とか犠牲が素晴らしいと言う書き方は良くないとは思いました。(雅の役で対応。)

桜井女学校附属養成所のメンバーが6人で、あと先生の7人の集合写真があって、後でドラマがあると感じました。 一人ひとりにすごいドラマがありました。    明治時代は経済的なことで離婚がしづらい状況にありましたが、桜井女学校附属看護婦養成所の校長の矢嶋楫子と言う人は、DVの夫から逃げ出して、離婚をして教員になることで、40歳で経済的な自立を果たしています。 看護婦と言う仕事が、経済的自立の手段として発明されたようなものなんですね。 和と雅は、2人の子供を持つ母親ですが、仕事を持ちながら子供を育てると言う大変なことをしていきました。 しかし子供は亡くなってしまって、働く女性のジレンマと言うのは昔も今もあると思います。

日本で最初に生理用ナプキンを開発した女性のことを本に書きました。その後2020年に書きました。 「明治を生きた男装の女医 高橋瑞物語」を書きました。    生理に関しては、20年前はまだタブーと言うような時代でしたけれども、だいぶ情報が得られるようになって、だいぶ生きやすくなったんじゃないかと思います。 ナプキンが登場してるのは1961年です。 女性の社会進出が一気に増えていった時代でもあります。 女性の働く便利さが格段に変わったと思います。 保身に走るのではなく、自分がやりたい道を進むと言うのが、結局自分にとって1番良いところにたどり着くのかな、と言うことを過去の人が教えてくれるような気がします。