宮本益光(バリトン歌手) ・夜明けのオペラ「モーツァルトの魅力に導かれて」
宮本益光さんは、愛媛県八幡浜市出身。 東京芸術大学卒業、東京芸術大学院博士課程を終了。 オペラの日本語訳詞とその方法論で学術博士号を取得しました。 二期会オペラ「ドンジョヴァンニ」でタイトルロールデビュー、その後新国立劇場、鹿鳴館や神奈川県民ホールのオペラ、金閣寺などで高い評価を受けました。 また、作曲、訳、演出などでも活躍、現在は桐朋学園大学教授、東京芸術大学講師として後進の指導にもあたっています。 2018年からは「モーツァルトシンガーズジャパン」を結成、これまで7作品を上演しています。 歌い手として活躍しつつ、オペラに関して様々な分野にも光を当て続ける宮本益光さんに伺います。
与えられることが自分を活かしてくれると言う思いでももありますので、教えることも舞台に立つことも自分を活かしてくる糧として、私は大切にしたいと常々考えています。 53歳です。 歌手なので、少しの不調が喉に現れたり、歌に影響することがあるので、体調は人一倍気を使っています。
子供の頃から音楽教育は全く受けていませんでした。 小学校の4年の時の先生が鼓笛隊を作ることになりました。 そして、のめり込んできました。 トロンボーンをやるように言われて、選ばれて音楽の才能があるんではないかと勘違いをしました。 全てが楽しかったです。 女の先生の影響力が多かったです。 歌を歌う事は嫌いでした。 中学では吹奏楽部に入りました。 音楽の先生になると言う思いがありまして、高校に入って嫌いだった歌を克服しようと言うことで歌を専攻しました。
愛媛大学では、教授の素晴らしい先生に出会えました。 高校時代に愛媛県のコンクール、四国のコンクールに出ましたが、毎回最下位でした。 1位の方が東京芸術大学に入学したと言うことを知りました。 私も東京芸術大学に入りたいと思って、先生に話したら東京芸術大学に受かるわけはないと言われました。 親を説得して3浪まですれば受かると言うふうに言って受けることになりました。 なぜか現役で受かってしまいました。 両親は中学を出てすぐ働いていたという事もあって、子供たちにはやりたいことを、与えられる範囲の中で好きなようにやりなさいと言う後押しは凄く感じていました。
回りからオペラを見に行くと言うふうに誘われましたが、オペラを見に行くと言う事はなんだろうなと思いました。 その劣等感が自分を推進する原動力にはなりました。 教育者になりたいと言う夢があったので、指導教官が博士号を取る手段があると言うふうに言われ、博士課程を受けることになりました。 日本語を音声学から研究しようと思いました。 それをオペラの研究に落とし込むには訳詞が良いのではないかなぁと思いました。 オペラデビューは24歳の時の広島オペラルネサスでした。 2004年に二期会の「ドンジョヴァンニ」でタイトルロールデビューしました。
*モーツァルトオペラの「フィガロの結婚」から「訴訟に勝っただと?」
モーツァルトの作品はほとんど長調で書かれていて、順次進行の作品は推進力があります。 悲しいものも長調で描く。 躍動と煌めきに満ちています。 「モーツァルトシンガーズジャパン」というグループを作りました。 自分たちを作ってくれたモーツァルトの作品と言うものが、心の中にずっと座ってくれています。 それを上演する機会を持ちたいと思いました。 それで活動を開始しました。22作品を全てピアノ伴奏で声楽に特化もしたものとして、レコーディングしてモーツァルトの生涯を追ってみたいと思いました。
「モーツァルトシンガーズジャパン」として、ザルツブルク音楽祭に呼ばれたいとと言う思いがあります。 演じることが好きで、演じることは自分を発見することにすごく似ていて、舞台の上で自分と違うことをやるので、演ずることがより楽しくなります。 「金閣寺」 1つの放火と言う事象が、三島由紀夫の中の文学性、芸術性を刺激したわけです。 私が演じるときに美と対峙している。 美を自分を凌駕するために放火すると言う三島的な発想がありました。 そこに至る葛藤を体現するために、私は何度も金閣寺に行きました。
訳詞の他に自身で作詞もします。
*「うた うたう」 作詞:宮本益光 作曲:信長貴富
良い出会い、良い仲間、良い指導者に導かれて今に至ってるなと思います。