常盤貴子(俳優) ・「ひとりの笑顔のために」
常盤さんは神奈川県出身で1993年に俳優デビュー、以後数々のドラマで主演を務めています。 NHKでは石川県の能登半島を舞台にした、2015年の連続テレビ小説、「まれ」で主人公の母親役を演じました。 これをきっかけに10年以上にわたって能登の人たちとの交流を続けています。 2024年の能登半島地震以降、被災地に繰り返し足を運び、能登の皆さんの心に寄り添う活動を続けています。
常盤さんは現在NHK総合で放送中の夜ドラ「ラジオスター」に出演しています。 大阪からボランティアで能登にやってきた主人公が、経験もなければ、予算もない中で、地震と豪雨で傷ついた街を明るくしたいと言う気持ちのみで、ラジオ局を開局し、放送に奮闘すると言うストーリーです。 常盤さんは能登のおしゃべりお姉さんと言うキャッチフレーズで、ラジオパーソナリティーに挑戦する、地元の主婦の小野桜?役を演じています。 このインタビューでは、常盤さんの能登への思い、そして1人の人間としての生き方を見つけた現在について、朝ドラマの「まれ」のロケ地でもあり、常盤さんが能登を訪れるたびに、必ず立ち寄るとと言う能登半島の最先端石川県珠洲市でお話を聞きました。
20代前半の頃、いろんなことを吸収する時期で、現場で出会う人、出会う人が楽しかったです。 お芝居することも楽しかったです。 いいことばっかりだったとは言え、すり減って言ってしまうこともあって、24歳の頃、自分の中が空っぽになってしまったなと言う感じました。 楽しいと思ってやり始めたことが、その楽しむ先がなくなってしまった。 テレビドラマではお客さんと接する事は全くありません。 大林宣彦監督の映画で舞台挨拶が終わって、大林監督は映画を見てくださった方の人たちと握手すると言うことを伺いました。 私も行ってみて監督が嬉しそうに迎えてくださいました。
皆さんと挨拶をしたときに直接私にご言葉をかけてくださったことにすごく感動しました。こういう世界があったんだと言うことに気づき涙が出てしまいました。 人対人になれた瞬間だと思いました。 「まれ」の撮影が始まった頃は、まだ自分の中にお客さんとの線があったような気がします。「まれ」の撮影ではお母さんの役でした。 合間に能登をに回って、自分で出会っていった人たちに対する思いが、どんどん募っていきました。 自分の中で線が消えていったという感じです。 人として大事なものを失うたくないと言うのは凄いと思っていると思います。
2024年の元日に地震が起きて、1月10日には新聞に文章を載せました。 「・・・私の大切な場所が大変なことになっている。私の大好きな人たちが心を痛めている。 誰も誰のせいにもできないなんて言う事はわかっている。 それでも言ってしまいたくなる、もうやめてと。 私の大好きな人たちが住んでいる私の大好きな大切な場所,私は諦めません。 これから訪れるべき場所、これから出会うべき人たちだってまだまだいるんだもの。 私は北陸を石川を能登を輪島を珠洲を〇浜?を絶対にあきらめない。 私の好きな人たちの笑顔が戻るその日まで。」
自分でもこのタイミングでなければ出なかった一言だなと思います。 これを書いたことによって、自分の中心にそれがあるんです。 避難したまま寂しい思いをされている方がいらっしゃる。そういう現実を知れば知るほど自分の中で移すとしてしまうものがありますが、そういう人たちもいつか能登で笑顔で会えることを信じて、私はその日まで諦めずに進みます。 自分自身に対して覚悟が決まりました。
3月に入って炊き出しのボランティアをしました。 人と人が会える事は当たり前なことのように思っていましたが、会えると言うのは奇跡かもしれないと思って、人と会えることの喜びをすごく感じました。 「誰も来てくれない場所によく来てくれたね。」と言われました。 災害にあっても来てくれる場所と来てもらえない場所があるんだと言うことに気づき、そういう場所に行こうと言うふうに決めました。
人間常盤貴子は何を求めるかと言うふうに考えたときに、たった1人の人の笑顔でも取り返すことができたら、と思うようになりました。 能登の人たちとの出会いによって、自分で何かを考えて行動する勇気を持たせてくれた。 私がやっていることが望まれていることではないかもしれないけれど、私がやりたい、これはきっといいんじゃないかなぁ、皆さん喜んでくるんじゃないか、と思うことの提案をする勇気を持てました。 今まででは絶対できなかったことです。 大谷中学校の避難所に行かせていただいたことで、その道を自分の中で見つけることができたと言うことがあります
「ラジオスター」と言うドラマを放送しています。 石川県の能登に誕生した災害FMが舞台です。 このドラマで被災した人を演じています。 私たちの仕事は疑似体験するみたいなところもあって、かなり深いところまで体験をした人の思いには入り込まないといけない部分もあって、そこでのセリフになってくるので、深くシンクロすることができて、その体験と言うのは被災した人の思いに少しは近づく事が出来たのかなあと言う思いはあります。
お正月を迎えた時に、「あけましておめでとうございます」って言う挨拶がまだしにくいとか、震災の後に能登の人間にとって、これから元日はおめでたい日ばかりではなくなりました、と言う言葉を言われたときに、私自身も言いづらくなってしまいました。 それが言えるようになればいいなぁと思っていますが、言えない思いも共有できたらいいなとは思ってます。 せっかくの人生なので、いろんな人の影響を受けたいです。 常盤貴子と言う1人の人間として、すべての人とお付き合いしていくことができたら、より楽しくなるだろうなと思います
能登は透明になれる場所、自分を自問自答する場所でもあるのかなって言う気がします。 能登の方々は非常に優しい人たちだから、そのエネルギーをいただくことで、自分の中にもその優しさがしっかり根付いて人を大事にしよう、私は人が大好きなんだと言うところに落ち着けるというか、そういう場所かもしれないです。