2024年7月30日火曜日

池辺晋一郎(作曲家)           ・〔わが心の人〕 森村誠一

 池辺晋一郎(作曲家)           ・〔わが心の人〕 森村誠一

森村誠一さんは1933年埼玉県熊谷市の生まれ。 32歳で作家デビューし、ミステリーを中心にベストセラーを数多く生み出しました。 森村さんの作品は詩画やテレビ土間らの原作としてもお馴染みです。 昨年2023年7月24日亡くなりました。(90歳)  

もうすぐ81歳になります。 身体が弱くて医師から母親に「この子は20歳まではとても無理です。」と言っていました。 元々推理小説が好きでした。 森村さんによる詩の合奏曲を頼まれました。(1984年) 「悪魔の飽食」という731部隊(優秀な医者の集まり)が中国人などの捕虜に対して残酷な生体実験を施したという記録があり、それを暴いたのが、森村さんの「悪魔の飽食」だったわけです。 神戸市役所センター合唱団がそれを合唱組曲にしようと思い立ちました。 歌声で平和運動をしようという組織の中心的存在でした。 原作者に詩を頼んで、作曲を僕に頼んできました。 初演の日に初めて森村さんにお会いしました。 当時はもう大作家でしたが、対談、サインなども、どこを取っても慣れたという感じのない人でした。 初心を忘れない細やかな雰囲気に感動しました。 森村さんとは4曲お付き合いしました。 特攻隊の青年の恋の物語、阪神大震災の鎮魂組曲、9・11を扱った「正義の基準」という曲。 

熊谷は1945年8月15日の午前中に空襲に有ったところです。 森村さんは運命的な戦場にいたという事です。 「悪魔の飽食」を書いて平和への思いが一層強くなった。 コンサート終了後によく森村さんと打ち上げで飲みに行きましたが、全く大作家という雰囲気を抱かせない人でした。 「悪魔の飽食」に関する組曲は全国で歌われ、ライフワークの様に感じる人が全国に沢山いました。  全国縦断コンサートが行われ29か所でやっています。 多い時には400人の合唱団になりました。 その間に海外にも8か所行っています。(中国、韓国、ロシア、ポーランド、チェコ、バルト3国) 海外でも200人ぐらいの合唱団が行きます。 平和に対する共感があり、どこへ行っても評判が良かったです。 

阪神大震災の鎮魂組曲は森村さんから作ろうと言い出しました。 8楽章あって45分ぐらい掛かります。 神戸市役所センター合唱団は100回以上歌っています。 第一章「激震」から始まります。 最後の章は「我が街よ永遠に」」という明るい曲で終わります。 「悪魔の飽食」の曲は7勝でしたが、最初は14章ありました。 

*最後の章「我が街よ永遠に」の一部 作詞:森村誠一 作曲:池辺晋一郎 歌:神戸市役所センター合唱団

能登の地震の鎮魂歌も作りました。 

森村さんは素朴な方飾らない方でもあります。  写真と俳句をくっつけてやっていましたし音楽も好きでした。 晩年は鬱との闘いがありました。 病魔に悩まされたが見事打ち勝った。 その闘病の記録「老いる意味」はベストセラーとなりました。  「歳をとったと書いている自分は、これからの自分に比べれば一番若い。」と書いています。 確かにそうだなと感じ入りました。