梨田昌孝(野球評論家 元プロ野球監督) ・〔スポーツ明日への伝言〕 人を活かし人に生されて
梨田さんは1953年(昭和28年)島根県浜田市出身。 島根県立浜田高校を卒業後1972年ドラフトと2位で近鉄バッファローズに入団、17年の現役生活でベストナイン3回、ゴールデングラブ賞4回獲得するなど、リーグ屈指の強肩のキャッチャーとして活躍、1979年近鉄球団初のリーグ優勝、更に翌年リーグ連覇に大きく貢献しました。 引退後はコーチ、二軍監督を経て、2000年から大阪近鉄バッファローズの監督として指揮をとり、監督2年目にチームをリーグ優勝に導きますが、球団合併により近鉄球団は2004年55年の歴史に幕を下ろし、梨田さんは近鉄最後の監督となりました。 その後北海道日本ハムファイターズ、東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を務めて、監督として通算805勝を挙げています。 この間現場から離れた時にはNHKの野球解説者としてわかり易く親しみ易い解説を聞かせていただいています。 2020年の春には新型コロナウイルスに感染、重症化して一時は集中医療室での治療が続きましたが、幸いにも一命をとりとめて、現在はお元気に御活躍中です。
2020年の3月に新型コロナウイルスに感染。 どこで感染したのか今でも全く判らないんです。 3月20日過ぎに一寸身体がだるいなと思いました。 体温は36,7℃ぐらいでした。 3日目に38℃を越えて4日目に40℃になりました。 味覚、臭覚がなくなりました。 5日目には41℃になりました。 病院に行ったら即入院という事になりました。 意識が無くてどうやって病院に運んでもらったのか覚えていないです。 集中治療室に2週間ぐらい入ったと思いますが、全く覚えていないです。 悪夢と幻覚を見たようなそんな感じだけです。 先生曰く97~98%は死という事をでした。(息子が聞く。) 命が助かったにしても、 寝たきり、凄い重い障害を持って、というような事だったらしいです。
トータルで50日間入院しました。 19kg痩せました。 歯茎迄痩せました。 食事、運動、お酒のリハビリを始めました。 陽性反応がある時から軽い運動のリハビリは先生のもとで行いました。 せっかく人生生きているんだから楽しく、皆に楽しくしてもらいたいというような思いはあったので、より一層人に伝える事(講演などを含め)、楽しく、元気に、明るくという風な感じで話をさせて貰っています。
2007年10月に北海道日本ハムファイターズ監督に就任。 2年目でリーグ優勝。 1年目で選手の情報を相当仕入れました。 2年目にそれぞれを評価して使っていきました。 近鉄の時には「打」のカラーのチームでしたが、日本ハムはピッチャーが安定していました。 バント、スチールとかの1,2点の積み重ねで勝てるのではないかという、計算が出来るようになりました。 ミーティングをして選手の意見も聞きました。 糸井選手はなかなかサインを見落としがちで、コーチからは2軍に落としましょうという意見もありましたが、「外国人選手」にしようと決めました。 単純なサインにしました。 そうしたら6年続けて3割を打つ選手になりました。
私生活ではダジャレもよく言っていましたが、NHKの解説では言ってはいけないと思って言っていませんでした。 選手が近寄りがたいという風にはしたくなかったという思いがありました。 選手がやりやすいような雰囲気を作ってあげるというのが、監督として考えるべきではないかと思います。 時には厳しさも必要ですが。
小さいころは医者になりたいという思いはありました。 5人兄弟の末っ子です。 長男と3男が小さい時に亡くなりました。 西本監督には心のなかでは父親のような感じで想っていました。(父は中学3年生で他界。) 亡くなった時には弔辞も読みました。 仰木さんはサインミスにはすごく厳しかったです。 飲みに行ったりすることにはあまり言わなかった。 勝ったり負けたり、5割でいいんだよ、みたいな思いの人でした。 西本さんは打順などあまり変わらなかったが、仰木さんは色々と変えました。 広報部長的な発想の人でもありました。 西本さんと仰木さんからはいろいろ勉強しました。 今に時代には西本さんのやり方では無理だろうなと思います。 仰木さんのやり方でも駄目だろうなと思って、今を生き抜くところを見出さないといけないと思います。
日本ハムでは、選手の起用法、育成方法、作戦などは球団は一切口を挟みませんでした。 トレード、ドラフト、外国人選手の補強などに関しては、監督は全然関係ないというところです。 1989年アメリカのワールドシリーズで中継をして、日本のメジャーリーグの中継の草分け的な存在となる。 野茂選手もメジャーリーグのことを聞きに来たりしていました。 日本ハムはメジャーからの影響はあったと思います。 メジャーではチームとしてのまとまりがないような感じがします。 日本ではまとまりがあり、緻密さがあるという気がします。